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豊倉賢略歴
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2007 A-1,1: 「 3年間の研究室ホームページとそのこれからの展開 」

1)はじめに
  豊倉研究室のHPを立ち上げたのは今から3年前、2004年3月であった。しかし、退職したら現職時と異なる活動をしてみうおうと考えていたのは、豊倉が実際に退職した1999年3月より大分前のことで、「退職したら現職時には行いにくい活動をしては」と思っていたが、具体的に何をしようか決めていなかった。長年定まった職に就いて活動して来た人が定年を迎えた時、退職してもそれまでの活動や生活リズムを変えることなく続けることがよいと思える活動と、定年と同時に変えなければならないことの選択にぶつかる。その時、個人的な立場で行ってきた行動は退職を迎えても殆ど変えることなく継続することが出来ると考えられるがある。その一つに、現職時にオリジナルな考えや哲学によって提案し・構築した個人的な研究活動や思考法・判断基準は、現職であった職場や社会に充分定着してないと思える場合、それをそのまま継続することは意義あることと思っている。しかし、その人が活動してきた職場や社会で生活し、活動を続ける人々の多くが、その人が妥当と考えて行動してきた規範を容認している場合は、その人が行ってきた仕事は後任の人に譲りその仕事のメインの部分から離れるようにすることは世の中の継続てき発展に必要なことである。

   一方社会の発展を考えると、人が活動する範囲が限られている限り、大勢の人が同じ場所で同じ価値判断をもって行動していると、必ず飽和状態に達して何時の間にか歪みが生まれてくる。人類の歴史を見ると、狭い場所に人が集まり、その人達が同じ目標に向かって協力して行動すると大きな成果をあげ、素晴らしい発展を遂げることが多い。これは、その活動に従事した人達を裕福にし、幸せにすることが多いが、そのような活動をそのまま続けていると、最初に達成した満足感を何時までも維持し続けることは出来なくなり、次第にその生活に不満を持つ人が多くなってくる。戦後の日本を思い出してみると、1950年代後半に始まった高度成長はそれから30年間、紆余曲折を繰り返しながら大局的には成長を続け、豊かな日本社会を形成して多くの日本人に満足感を与えた。また、諸外国からも羨望の目で見られるようになった。しかし、1990年代にピークを迎えた日本社会は大きな壁にぶつかり、それから10数年やっと日本社会の一部に不況を脱して再び成長路線に戻ったようにも思える局面も見えるようになった。そこでの経済指数も高度成長期に較べて実質的にはさらに向上したように見られるようになった。最近では日本全体の経済動向について、かっての高度成長期の成長期間を越えたとも云われようになっているが、その一方で、一向に成長の恩恵を味わえない人のいることも話題になっている。それには、色々な考え方、評価の仕方があるので、簡単にその実体を決めることは出来ない。このような段階で人間社会の発展を考えて、永続的発展を続けるためには、同じことを繰り返す必要もあるが、新たらしい評価を生み出す新しい価値観を創生することも必要である。それらを調和した新しい何かを意識しながら、活動することが大切と考えている。

2)皆が幸せを感じる新しい戦い
  子供の頃は、絶対評価ですべての物事の判断が出来るように思っていた。しかし、人は成長して経験を積み、色々な人達と会い、種々の討議を重ねるようになると、絶対的な評価で物事の判断はできないことにぶつかり、次第に相対評価を知るようになった。そして、気が付いてみると世の中のものはすべて相対評価によって決まっていることに気づいた。

  人が個人の立場で行動する時、判断する基準はその社会に通用する貨幣や尺度の基準になる長さ・時間などすべてその時々で使用されている絶対値?である。その意味ではその絶対値に基づく絶対評価は重要である。しかし、そこで判断する対象物は世界の異なった国でその国情に応じて利用されるものであり、また、人類の発展との関連で物事を考える時には、異なる時代を意識した時間的要因を考慮した相対的な評価も考えることが必要になる。また、人は活動する分野が異なると同じ物質でもその評価価値は同じ時代においても異なっており、しかもそれは産業の発展によって年単位の時間関数で変わってくる。そうなると現代社会に生きる人間はすべてのものの価値について、その人の立場で納得する評価価値を理解していることが必要になる。

  人は何時の時代からか分からないが、自分の所属する社会での生活に満足するように努力して生きている。しかし、その努力にも係わらず満足した結果が得られるのは、その人が生活している人生における比較的短い期間でないかと思う。その満足度を検討する対象は、その人の社会生活で重要な要素になるものであり、その対象への係わり方によって満足度の程度は異なって来る。その満足度は多くの場合、自分の人生で成し遂げようと考えるその目的に対して、その対象項目を何処まで達成させたいと考えるかによって決まる目標に対する到達度によって決まる。その時の到達度は本人が考える想定した相手との競争に勝つための想定目標に対して達成した成果によって判断されるものである。その目標を達成したとき、子供も大人も人な皆それぞれに応じて満足し、幸せを感じる。しかし、またその競争相手は、自らの力の向上につれても徐々変わることが多い。その目標に到達した時、人はさらに高い目標や今までに対象にしたことのない新しい目標に向かって努力を始め、より高い幸せを掴もうとする。人生は常にその繰り返してあり、それは人生の戦であって、時には生死を懸けた戦いと考えた時代もあった。また、同じ世の中においてもそれに対する考え方は、その人の性格や、育った環境等によって異なってくる。さらに社会に出て活躍し、経験を積むことによっても徐々に変わり、より高い目標を設定して、努力するようになる。

人間の価値を個人の一世代と考えるか、代々継続する家族世代で考えるか、国家単位、民族単位で考えるかによって全く変わってくる。個人単位で考えると個人の生命は尊重され、集団単位で考えると集団のために個人の生命は犠牲にされることがあり、それが民族の発展に繋がり、大きな戦争の悲劇に繋がってきたと思う。近年西欧思想が拡がり、個人の生命が尊重されるようになって、平和な世界が身近なところに見えるようになってきたと思える。しかし、世界から競争がなくなったら、社会の衰退は疑う余地のないことであり、それはまた大きな悲劇に繋がることであるとあると思う。現代社会は過去の大きな犠牲の上に築き上げられたものであるが、これからは悲劇を繰り返すことなく、お互いに切磋琢磨して夢のある現代社会を発展できるような世界に通用するルールを構築しつつ世の中を発展させることが必要と思う。

3)これからの豊倉研究室HPの展開:
  豊倉研究室のHPは、「研究室卒業生が独創的な研究を行い、オリジナルな技術開発をするための環境の構築」を目指して立ち上げた。このHPには大勢の卒業生に理解と協力を得て多くの寄稿記事を掲載することが出来、お陰で豊倉が当初想像した以上の反響があった。卒業生はもとより、晶析工学・技術に関心のある人々から色々ご意見をいただいている。また、執筆した卒業生からは、学生時代を思い出し、大学で学び・研究したこと、またそれとの関連で卒業してからの行っている仕事を整理することが出来、これからの活動の参考にし易くなったと云うような連絡を受け取っている。豊倉自身にとっても、執筆され寄稿内容を読むとその卒業生が研究室に在籍した頃、何を考えて研究し、学生に何を理解して貰おうとしていたかを思い出すことが出来た。特に感心したことは、卒業生が豊倉の話したことをよく覚えていて、学生は如何によく研究室で討議を行っていたかを知ることが出来た。その詳細は既に掲載した卒業生の記事をご覧いただくとして、大学研究室の社会に対する使命を改めて考えてみることにする。

  大学はやはり教育機関であり、学生が大学を卒業するまでにオリジナルな研究成果をあげて、学問・技術の発展に貢献できるように教育すると同時に、その研究活動を通して学問の発展に貢献する大学の使命を果たさなければならない。昨日も豊倉の現職時に化学工学会で同時期に理事を務めた元企業役員方と、「最近の国立大学は、独立法人として産業界の期待に応えるような研究成果をあげて、その成果に対する代償として大学運営の必要経費を集金出来るようになることは健全な研究活動を発展させるためには重要であるが、昨今のように産業界からの集金活動を目当てにするような研究をしていては、日本の技術立国を達成することは出来るのだろうか」と話していた。豊倉研究室の卒業生はよく知っていることであるが、豊倉研究室の研究は、まず工学基礎学問でオリジナルな研究成果をあげ、それを発展させて、新しいオリジナルな生産技術を開発することに貢献してきた。最近、「化学系の工学部卒業生の中には装置操作の設計を理解しないで化学系の生産会社に就職する人がいて困る。」と云う話をしていた卒業生がいたが、それには、「産業界で活躍を志す化学系技術者が社会に出たら専門領域の教育を受けた卒業生として期待される学習は何かを応用化学系大学に在籍する学生に正しく伝える必要があるのでないか?」と考えている。それは、大学を卒業するまでに期待される学問をすべて学べと云うことではなく、それをどのように学習すれば必要なときに短期間に大学卒業生に相応しい知識ヲ修得できるようにしておくことである。豊倉は現職時代に学生に「勉強をしたことのない学生は、一生懸命勉強すれば学問は理解できると思っているが、真の勉強をしたことのある学生は、勉強をすると分からなくなるのが学問で、どのように学習するが重要だ。」と話したこと異がある。

  大学は単なる職人教育をするところでなく、既成の学問・技術の成り立ちとその相互の関連から新しい独創的なものを創生できる種を植え付けるところである。その過程で学生自身の持っている個性を尊重し、それを有効に発展させる素地を肥やすところである。それは何であるかを教えるところでなく、経験のある教授や実社会で活躍している卒業生と無限な可能性を秘めた才能とエネルギーのある学生がその持ち味を生かして力を合わせて新しい発展に向かって戦いをするところである。大学研究室のHPはその糧を集約するところであり、またその情報と成果を発信するところである。

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