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豊倉賢略歴
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2006 A-1,5: 「 世界のトップクラスで活躍するために 」

1)はじめに
  人間は何のために生きるか? と言う問いに対して人は, それぞれの考えで答えることがはできる。しかし、考えれば考えるほどその答えは難しくなる。世の中には目的を持った活動をしないで生きている人もいるようであるが、活動に対する報酬を受けそれにて生活してる人の中には自分の活動に誇りを持って(あるいは持つように努めて)いる人が多いようである。人は、人生経験を積むにつれてそれを生かして活動内容の向上を図る。そのような活動を通して切磋琢磨し、次第にそのレベルを上げて特定グループのトップクラスで活躍するようになる人もいる。早稲田大学の卒業生は本人の優れた才能と環境に恵まれて活動し、関係者から高い評価を受けて人も多い。しかし、不幸にして期待するような評価が得られない場合、時としては活動する環境を変える必要がある。人は自分の持っている才能を十分生かして世のためになる活動をすることが大切であり、又社会に対してそのような活動をする義務がある。

  今年はサッカー・ワールドカップがドイツで開催され世界中の関心がそれに集まった。この様な行事に世界中の人々の関心が集まることは良いことであるが、又それに関連していろいろのことが起こった。日本ではドイツに派遣された日本チームの活躍に対して監督責任が一部で話題になっていたことを耳にしたので、この機会にそのチームの活躍と監督・選手の活動等について考えてみる。


2) 2006年開催のサッカー・ワールドカップ日本チーム監督の噂から思ったこと:
  新聞情報では日本チームの監督とチームメンバーの考えの間に多少溝があったようで、時にはそれがチーム内の円滑さを欠いてるように言われていた。しかし、このチームは2006年の本戦において一つの大きな実力集団として力を発揮することが重要なことであり、それまでの数年間、個々のチームメンバーの力を向上させると同時に各メンバーの力をスムースに連携させるチーム力を日常のトレーニングや個々に特色のあるチームとの国際交流試合を通して向上させねばならなかった。この日本チームメンバーに選抜された選手は、皆自分の行動の基になる確固たる思想を持ち、その上に確かな高いレベルの個性ある実力を有した人物であって、そこに集まった選手の力を萎縮させることなくさらに向上させることは、監督にとっても個々の選手にとっても至難なことであるが選ばれたものの責務であった。この責務を果たすことは当事者らの課題であって、門外漢の私には個々に意見を言うことは出来ることでないので触れないことにする。しかし、TVを通して日本選手の試合を思い出した時、試合中に動いている一つのボールに対する複数の日本人選手の動きが単調なようで、個々の出場選手がこのワールドカップをどのように考えて準備し、自分の持ち分を考えて相手チームが困惑するような戦いを本戦でどのように行おうとしていたか試合が終わってもよく分からなかったことであった。それでも、日本チームのメンバーがワールドカップの最終戦に出場できたということを考えると、皆立派な選手だと思っている。一方、ワールドカップ最終戦に参加した各国の選手は試合を見た印象では、皆選び抜かれた立派なエリートばかりであって、そのような大会で、母国から派遣したチームを応援する大勢のサポーターが期待するような結果を出すことは容易なことではない。この難しさが、この大会に選手団を送り出した国の人達に大きな関心と、期待を持たせていた。従って、この大会が終わった時に残した成果がこのチームを応援したサポーターが事前に期待した評価に近いものであればその成績がどのようなものであってもその健闘を称えたことであろうが、それ以下であるとサポーターは何となく拍子抜けした冷めた気分になる。私自身サッカーはほとんど行ったことのない全くの素人であるが、素人なりに自分の想いを描きながらそれなりに期待した評価をイメイジしながらTV観戦をした。しかし、今回のワールドカップ本戦前半のリーグ戦を通して感じたことは期待評価と異なって、はっきりした差異を感じた。特に日本選手のスタミナは外国の一流選手と比べて不足していたように見えた。ここで活躍していた日本選手は多くの優れたプロ選手の中から選ばれた人達であっても、ワールドカップのように大きな大会に出て成果を上げるためには、大勢の素人を含めた大サポート集団の支援を受けることが必要であり、そのためには素人が見ても分かるように、外国の一流選手を上回るような気力と体力に溢れた日本選手のプレーを見せて欲しかった。

  今回のワールドカップで活躍した外国チームのトップ中のトップ選手の活躍を思い出した時、彼らは素晴らしいスピードのある脚力やその持久力また蹴ったボールの飛んでいく飛距離・方向・速さ・高さ等の正確さに驚かされた。これは良い素質の選手が真剣なトレーニングによって、しっかりした基礎体力、基本技術を十分身に付け、その上に高度な技術を修得して初めて出来ることように思えた。

  ヨーロッパスポーツも西欧文化の一つと考えると、西欧文化に共通な「体験し、それを基に目的を考えて内容を工夫して発展させる手法」によって高度化したと考えられる。この様にしてスポーツの内容が豊富になるとそれらは科学的手法によって整理され、体系化が進むでスポーツ科学?が生まれ、新しい技はスポーツ科学によって開発されたと推察している。またその技の効果的な修得法やその技を取り入れた新しい健康法も検討されそれらを総括した新しいトレーニング法も研究されてそのスポーツは盛んになったのでないか? そして、種々のスポーツを対象にした国際大会は開催され、国際的な交流も活発になって世界経済の発展・世界平和の樹立への一つの道が出来るのでなかと部外者の立場でスポーツを支持してる積もりである。


3)近代日本の発展と日本の教育制度:
  日本の欧米化は明治以降急激に進んだ。当初は如何にして効果的に欧米文化を修得し、鎖国時代に西欧世界から置いて行かれた日本を取り戻すかに関心が集まった。それに対する努力の甲斐あって既成のヨーロッパ文化を修得し、優れた欧米文化の主要部分をある程度理解することは出来た考えている。しかし、現在の高度な欧米文化は道草を食うことなく直線的に発展してきたわけではない。実際は紆余曲折を繰り返してよりよいものを見つけだしながら、それらを試行錯誤的に組み合わせて近代文化を構築してきたと考えている。ここで構築されてる文化もその延長で将来発展し続けるものと考えることは出来ない。人間はこれからも未知なものにぶつかり、新たな試行錯誤を繰り返して新しいサイエンスを構築し、その新しいサイエンスを適用して、目の前に現れた難題を解決して進む必要があると思っている。その試行錯誤では一時期後退し、それから前進して新しい道を歩み出して新たなゲインを得ていたが、そのゲインを得るためにはある長い年月が必要で、それに要する期間は数年で済むことがあるが、30年、60年あるいはもっともっと長い年月がかかることもあるようだ。

  ここで、話は少し変わるが、日本の教育について考えてみる。日本は明治以降急激に発展し、さらに、第2次世界大戦以降は劇的な復興と進展を遂げた。これは、長期に亘った江戸時代の高度に発展した近世封建時代下におけるの地道な寺小屋教育と明治以降のトップダウン方式の効果的な教育方式が大きく貢献していると考えている。一方、現在日本の社会・経済・産業等は、欧米先進国のレベルにほぼ近くなっているが、教育制度は戦後6・3・3・4制に大きく変わったが教育内容や方法は第2次世界大戦前に行われた「紙に書いた知識」を教えたことと本質的には酷似しており、明治時代以降の欧米に追いつけと頑張っていた時代の教育と大差なかった。この追い付けと頑張った時代は、教育の限らず、日本の殆どすべてのものの目標が欧米先進国に追いつくことであった。この競争をマラソンにたとえると、先を行くランナーの姿ははっきり見えており、容易に先を走っている人の様子と自分を比べることが出来た。そこでは、先を走っているランナーに早く追いつくために自分は何に気を付けて勉強したらよいか指導者のアドバイスを受けて仲間同士競って努力した。しかし、この時、自分の目で追い付こうとしている目標の人の姿を見て考える余裕はなく、指導者が追い付くために考えた内容の理解に務め、その指導に沿った勉学に終始することが多かった。この方法は修得する学問や知識等の目標が、学ぼうとする人の現状より遙かに高い場合に良い方法であり、短時間で多くのことを学びぶことが出来た。ここで修得した学問・知識は欧米の高度な文明・社会・産業等を理解することに有効で、また、日本で直面していた多くの疑問点も解決することが出来て日本の近代化を進めることに大いに寄与した。これを考えると、この100年間続けてきた教育は極めて有効であった。しかし、今までに人類が経験したことのない初めての問題に直面した時、このような教育を受けて身に付けた実力だけで問題を解決できるか否かを判断することは容易でない。欧米先進国が開発してきた技術を使って同じようなものを作るのであれば、先進国で既に研究され、完成して学問を利用してより安価によいものを欧米で苦労してオリジナルに開発して生産できるようになった期間より遙かに短い時間で生産出来る。ところが、今までに生産されたことのない製品を初めて生産しようとする場合は、既存の知識を適用して生産できるかどうかを判断し、またこれまでの生産技術をどのように変更したらよいかを提案することは難しいことである。実際には新しい要望に応えるために新理論を提出しなければならないこともある。このような要望に対して、独自に解決策を欧米と対等に討議し、提案出来るようになった時に初めて、日本が真に欧米先進国の仲間入りをしたことになると考えている。それに応える若者を育成することが重要であるが、それを考えて努力している人は、欧米先進国のリーダーと対等に討議している一部の日本人であり、今の日本に欠けてる課題であって、教養のある多くの日本人が真剣に考えて欲しいことである。


4)世界のトップグループで活躍する研究者を育成するには?
  2006年に開催されたサッカー・ワールドカップが終了して、日本代表チームの総監督をこれまで務められた、ジーコ監督はオシム監督に交代することになった。ジーコ監督の指導は監督から選手に個々の内容を指示するのではなく、選手からよく考えて行いたいことを自発的に提案するのを待っていたタイプの指導者と言うことを聞いたことがあった。今度総監督になったオシム監督は、選手に走ること強く要求する監督と聞いた。そして、就任早々のゲームが終了した時の話では、日本代表チームを結成して3日間の練習で運良く2−0で勝てたが、この90分の試合時間を走り続けていなかった選手がいたと日本選手の問題点を早々に指摘していた。私は両監督の話を聞いてどちらの監督も本当に素晴らしい世界のトップチームの監督だと思った。今からでも時々ジーコ監督が試合中ジッと我慢して立っているように思えたことを思い出している。今から35年前豊倉が、アメリカのTVA研究所にいた時同部屋で仕事していた豊倉と同年輩のアメリカ人研究員が研究の話をしていた時 “・・・be patient (我慢)・・” と良く話していたことを覚えている。日本に帰ってきてから、日本人との会話の中で、このような言葉は余り聞いたことはないが、このような言葉を日本で聞くとこの人は一時逃れにしゃべっているだけで、何も考えを持ってないような気がしたことがあった。しかし、このことに関連のある話は二人の日本人から聞いたことがある。一人はその人がアメリカに留学していた時のことで、その指導教授は世界的に有名な研究者で、非常に厳しかったようです。話の内容は研究のことで討議していた後しばらくすると、必ずその結果はどうなったと聞いて来るので、それについて十分な検討を早急にしなければならなったとのことでした。実は、そのアメリカの研究室に、豊倉の知っていたヨーロッパの研究者がその後留学したことがあったが、彼はその厳しさに耐えかねてノイローゼになって、周囲の人々から自殺するのでないかと心配されたことがあったと聞いたことがあった。もう一人は日本国内の企業研究所に所属していた若い研究者のことで、上司の所長と夕方まで討議していた内容について、夜中の11時頃どうなったかと電話がかかってその後の検討結果を持参して討議した話を聞いたことがあった。その成果は社運を架けた技術の開発となり、後に技術系トップの担当常務になった人です。どちらの指導者も部下の研究員を買っていてその成算ありと期待して成果のでるのを辛抱強く待っていたことと思っている。

  研究者の世界もスポーツ選手の世界も同じことのように思っている。まず、基礎の勉強をみっちりたたき込んで、その上で対象にしている研究目的(スポーツでは競技目的)に対して自分の適正を考えて新しい挑戦をすることが必要である。その過程では辛抱強く我慢することも必要であるが、それには期日までの成算がなくては誰もが待っていない。この時、研究している本人は研究している課題の成算見通しを誰よりの強い自信を持つことが必要であり、その内容が価値あるものであれば必ず然るべき人から評価が得られるものである。そして、研究環境は自ずから整ってくるものであり、若い研究者を育てるためには地位と経験のある研究者は自分の背中を若い研究者に見せることも使命であると考える。


5)むすび
  今回はスポーツ選手と対比しながら世界の第一線で活躍する研究者に関連することを書いた。豊倉も晶析研究を初めて50年を経過し、種々のことを経験することが出来た。今月は2006B-5,1に、この間研究室の学生の協力を得て進めた来た晶析研究を世界の晶析研究の進展と対比して記述することにする。

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