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豊倉賢略歴
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2006 A-1,2: 「 教育を考える- - -音楽療法と教育療法 」・・・高齢者の日常生活より・・・

  高齢者は何歳からと考えるか定かでないが、ここでは、定職を離れて毎日の安定した生活リズムを自分の意志で決めることが出来る年金受給者と考えることにする。簡単には定年退職した年金生活者とも考えてよいが、それだけでは対象範囲が広くなり過ぎると考え、少し面倒な定義をしてみた。豊倉研究室の卒業生の中には既に定年を迎え、悠々自適な生活をしている人がいるが、いずれは殆ど全ての卒業生はここで考えるような高齢者の生活を送るようになると思い、豊倉が送って(考えて)いる最近の日常生活の一面を書いてみることにした。

  豊倉は早稲田大学で10年くらい前に設置した選択定年制度の適用を受けて、早稲田大学を正規の定年退職時より数年前に退職し、そろそろ丸7年を経過したところです。人は皆それぞれ各自が行っている仕事の性質やその仕事に関与していた立場等によって何歳ぐらいで長年務めた職業から退職したら良いか考えると思う。その時退職してから斬新な志をもって新しいことを始めようと考えたり、元気な間はこれまでの人達との交流を保って気楽に後輩の支援を続けるような仕事をしようと思ったり、退職してからの生活について色々選択肢はあるが、それからの生活は少なくとも人生最後の集大成の時期であり、それまでに経験したことをベースに身につけた知識を生かして何かを仕上げる機会である。その過程ではそれまでの人生で経験できなかったことや時間の制約で疎かにして来たことなどを学び、それらを集約して「人生の総決算に相応しい生活を楽しむ」計画をする人もいると思う。その生活は、人によって異なるが、豊倉は「これまで生きてきた70余年の人生と重ねた時自分で満足に思える毎日を送り、そこで集約したことをこれからの人達の参考に残せれば」と考えている。

1)高齢者の日常生活とそこで思うこと:
  最近日本は、高齢者が急激に増えて世界の長寿国になっているが、欧米先 進国と異なり高齢者の数は短い年月の間に顕著に増加した。1966年アメリカ・アラバマ州のTVA公社から招聘を受けて北アラバマのフローレンス市で2年間生活した時、その町では80歳くらいと思われるような老人が大勢元気に生活していて、自分で気ままに車を運転して100マイルくらい離れて町まで出掛けて行っては生活を楽しんでいた。それを見た時、その頃日本で生活している年寄りとの差の大きいことに驚いた。その頃80歳くらいのアメリカ人は日本の60歳くらいの人のように見えて、まさに高齢者は生活を楽しんでいた。しかし、それから四半世紀経った1990年頃久しぶりにアラバマ州の知人を訪問すると、その町で生活した時大変世話になったアメリカの知人も既に60歳を越えて退職し年金生活を送っており、町から15分くらいのドライブで行ける郊外に数エーカー敷地に150坪くらいはあるような中古の大邸宅を1000万円くらいで購入し、夫婦2人で悠々自適な生活をしてhappy retired lifeを楽しんでいた。また、フローレンスで生活していたアパートの近所に広大な自宅を構え、豊倉と同じTVAの研究所に務めていたかっての隣人が、買い物から車で帰って来たところに出会って話を始めると、25年前の私達の家族のことを思い出してくれ、四半世紀経っても殆ど変わっていないアメリカ人の生活に接して、そこでもゆったりしたアメリカ流のhappy retired lifeを感じた。

  1966年に初めてアメリカに住んで生活をした時、非常に貧しく貧弱に思えた日本人の生活とそれから25年経った日本の生活変化を較べてみて、まだ日本人の生活環境はアメリカのそれとは大分異なっていたが、物の豊富さ、食生活、車生活など西欧化も進んで来ていて、車の走る通りなどのインフラはまだ大分遅れていて、改善進歩させなければならないことは沢山あると思いながらも、日本の住環境はこの短期間にここまで良く進歩発展させたものだと誇らしさを感じていた。家内が学会でお目に掛かるアメリカ人の奥さん方の会話では、年取った親の世話のことがよく話題になっているようで、そこでも日本人の日常生活はアメリカ人のそれと同じになってきたなと感じていた。現職の頃は月月火水木金金で仕事をしていて自宅近所の生活などには殆ど関与することはなかったので、日本人のプライベートの生活のことは子供時代に見た自宅付近のことしか知らなかった。しかし、退職して初めて日本の住宅地でもアメリカと同じように元気な老人が多くなり、そこでは自分自身で健康増進を図り、趣味を楽しみながら近所の人達と生活を楽しむ人が多くなっていることを知った。特に日本女性はこれまでの日本と違って生活に余裕が出来・社会に出る機会も多くなったためか、欧米先進国の生活様式に違和感なく受け入れることが出来るようになって、これまでの日本生活様式と調和を保ちながら新しい日本的な社会生活を楽しむ人が多くなっていることに気が付いた。

  一方、学校を卒業して直ちに社会に入り、仕事中心の生活を送ってきた日本男性は、退職して仕事を離れた生活にうまく切り替えて新しいハピーな生活を送るのは大変なようであったが、最近は欧米人のような生活を楽しむ人は徐々に増えて来ている。しかし、それでも退職するのを楽しみに現職時代を過ごしてきた欧米先進国の男性と較べるとまだまだ退職後の生活への切り替えはぎこちないように見える人が多いような気がした。それは日本社会の欧米的近代化が表面的には非常に進んだように見えても、日本人の心の中にある日本的なものと西欧で培われた西洋文明との融和による新しい文明の構築はまだ先のような気がしている。その構築には、さらに充分な時間を掛けて日本文化や西欧文化等の本質の上に未来の全世界の文明を支える新しい哲学を生みだし、その上に形成されるものと思う。そうは言っても豊倉が身につけてきたものはまだ日本人的なものが主であり、日常の生活を通して世界の人々に通用する自分の考え方を構築する必要あり、それを構築することによって世界の人々に理解され・受け入れられる人生観が持てるようになると思う。そのためには高齢者社会に生きる時には現職時代と異なる人生哲学を構築して身につけることが必要と思う。

2)現職時と異なる高齢者の日常生活:
  学校を卒業して社会生活を始めると、そこでは自分が就職した企業や所属す る組織の歯車の中に組み込まれ、自分が所属する組織の中で自分の分担する範囲の責任を果たすことに忙しく、組織の目標達成のために追われ自分のために自由に使える時間は限られるが、この義務を果たすことによってその成果に応じた報酬を受けることが出来、安定された生活が保護・保証される。しかし、定年を迎え、それまで活躍していた職場を退職すると、退職までに貢献してきた企業・組織や税金を納めた国からそれに対する報酬として退職金や年金を受けることが出来るが、その報酬に対する義務が有るわけではなく、殊更何も働かなくても生きることが出来る。そこでの日常生活では特に他人と相談して仕事をしなければならない義務はなく、一人で気ままに生きることも出来る。

  しかし、社会生活を営む人間は、生まれた時からいろいろの人に囲まれ、大勢の人々と協力して相互扶助の関係を保ちながら種々のことを学び、高度に発展した近代的社会組織を構築してその恩恵を受け、幸せな生活をする。このような生活を楽しむことに慣れた人達は定年退職して高齢者になっても同じような生活を続けることを期待する。その場合高齢者になっても現職の頃と同じように何時までも健康で、複雑な社会のルールを守りながら生活する判断力を維持し、人の助けを借りることなく自分自身の力量だけで生活を続けるが重要なことである。そのように生きるためには高齢になると必然的に衰える体力・知識力・思考力の低下を防止するように努力する必要がある。そのために、高齢者はこれらの活力を維持し続けるよう規則正しい日常生活を繰り返すよう努力することが必要である。最近、高齢者がこのような活力を維持するために何に気を付け、どのような生活習慣を続けたらよいかについては、書物のみでなく新聞・テレビなどでも扱われるようになっているので心掛けることによって容易にそれらの情報を得ることが出来るようになっている。しかし、現実には情報が非常に多く、又これらの活力のレベルについては個人差があるので、自分の力量に合わせて無理なく継続できるレベルのものを慎重に選択して続けることが必要である。

  ここでは、豊倉が経験したことで卒業生の中に参考になる人がいると思う2・3のことを紹介する。

ウ)私は年を取ってから早起きの習慣がついて、殆ど毎朝1時間くらい可成りの早足で歩くことを現職の頃から10年以上続けている。歩く道は時々変える人もいるようですが、私は殆ど同じ道をその日の出時刻を基準にほぼ決まった時間に家を出て歩いている。豊倉の自宅の近所ではほぼ毎日同じような時刻に歩いている人が数名いて、自然と顔馴染みになっている。そうなると、幾日か顔を合わせないと体の具合でも悪いのかと思うようになり、自分もさぼるとよく顔を合わせる人も同じことを思うのでないかと続けるようになる。その様な習慣的な歩行を数年続けていると、年を取っても変わることなく健康を保っているようである。毎朝道ですれ違う人の中には、リハビリのためにやっと杖をついて歩いていた人がいたが、3年くらい続けて毎日歩いているうちにその効果があって、しっかりした足取りで歩けるようになり、さらに5年くらい続けているうちに何時の間にか杖なしで歩けるようになっているに会って驚いたりしている。兎に角毎朝続けている人は10年経っても全然変わらないように元気な人がいて、自分もこのような習慣を毎日続けると良いのだなと思うことがある。・・・・・・

エ)最近は、日の出前に目が覚めることが普通で、ベッドを離れる前に1時間以上もテレビを見ていることが多い。その時見るテレビ番組に、高校生の数学や物理・化学の講義などがあるがそれを見ていると意外に面白く頭の体操になる。また、時には放送大学の講義で東大の数学科の先生のカオスの話など聞いていると、自然科学の法則が適用できない現象に対する取り組んでみようと言う気になってくる。また、週末の朝6時前に放送される世界の美術館巡りでは時々ヨーロッパで行ったことある美術館を解説付きで鑑賞が出来て、知らなかったことをベッドの中で勉強でき、現職時には経験できなかった満足感を味わうことがある。そうかと思うと美術館巡りのあと広島放送局担当の百歳バンザイの再放送を見るとまだまだ30年は人生を楽しむことが出来るかなと思い、「 夢と希望 」を与えられる気がする。・・・・・実は退職してから新しいことを経験したり、新しい知識を教えてもらったりすると、若返って得をした気になることがある。

3)音楽療養の話を聞いて:
  音楽療養は、数日前の朝、NHKテレビの1チャンネルを見ていたらその 番組の中に出てきた話です。ある音大を卒業した若い女性の先生が、知識傷害がある子供達の療養に絵を書いたり、積み木で遊ばしたりしても何も興味を示さなかった子供に、たまたまバチを持ってドラムを叩いて音を出したら突然それに反応を示した。そこでそのバチを自分一人で持たせて叩かせるとたたき方によって出る音が変わることに気が付いた。バチを握ったままいろいろたたき方を変えるとその音がいろいろ変わることを知り、ドラムを叩くことに興味を感じて次第に自分の意志で音が変えること繰り返すようになった。そのうちにドラムを叩くだけでなく他のことにも手を出して自分の意思でいろいろ試してみるようになって徐々に子供の仕草や表情も他の子供のようになって行った様子をそのテレビ番組は示していた。

  この時その先生はこれは音楽を使った療養行為であって教育でなく、この音楽療法を仕事として続けて子供を育てていきたいと話していた。この話を聞いた時、その先生の言われた療法と学校や幼稚園の教育と言う言葉に興味を覚えた。通常の考えでは、療養行為は多くの場合何か傷害を起こし、それを治療するためにその治癒の進捗状況に応えて治療法を変えながら回復を図る。この時ある程度の回復目標を想定して療養すると推察されるが、その時治療効果の進捗状況に対する配慮を重視するものと思う。それに対して教育はそれを受ける子供の学年や年齢に応じて想定した期間に学習する目標を可成り明確に設定することが多く、指導する先生も学習する生徒もその目標達成に可成りの努力を強いられことが多い。そのため、その学習をする子供が内容を充分理解しないままで学習を終わりにして次ぎのステップの学習に入ることがあるようで、それが、勉強しようとする生徒の学習意欲を低下させ、時には教育問題に発展することが多々ある。

  今から40年くらい前、家族と共に米国で生活した時のことですが、近所のアメリカ人の勧めで子供を幼稚園に行かせたことがあった。その時、アメリカの幼稚園ではすべての子供が先生の話を真面目に聞いている訳ではなく、中には先生の話は聞こうともしないで、自分の好きなことをしている子供がいた。それでも他の子供の邪魔をしないのであれば、先生は子供に注意するわけでなくそのまま飽きるまで見守っていたようで、日本の幼稚園のように先生が強制的に皆に同じことを教えようと一生懸命になっていないようであった。このような生活から子供は何かに興味を持てば、納得するまでそれを続けさせていたようで、親もその様に子供を教育することが子供の個性をのばす上でも、又他人の意見や行動を尊重する気持や自己責任のある人を育てる上で有効で有ると考えているようであった。

  この話は上記の音楽療法の話と全く同じことではないが、ある事柄に対して皆で行動するように一つの方針を決めても、他人に迷惑を掛けることがないようならその状況に応じて別の方針を勝手に試して見ることも大切であると言う意味で相通じることがある。また、それは「 日本人が得意な皆と一緒なら余り考えないですぐ同意して受け入れると言うことに警鐘をならす 」という意味で、忘れないようにしたいと思う。

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