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豊倉賢略歴
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2006 A-1,1: 「 学校教育と大学教育について思うこと 」・・建築強度偽装事件を機に・・・

人は社会に出て活動すると、種々のことで判断したり、決断しなければならない時がある。それらは今までに経験したことに似ていることが多いが、中には初めてのものがあり、それに対して自分で責任をもって判断したり、決断しなければならないことがある。また、今までに経験したことでもこれまでと同じ判断をすることの出来ないことがある。その場合、自分で考えて新しい判断をしたり、経験豊富な他人と相談して決めることがある。また初めて経験するようなことに対しても同じようなことがあるが、そのためにも判断する時の方針は平素より考えておくことが必要である。このホームページで対象になる豊倉研究室の卒業生やそれと同程度の教育を受けた人は、大学を卒業するまでに多くのことを学び、そこで修得した知識を活用してその場に相応しい独自な判断を出せる訓練を行ってきており、その上卒業後も自分で物事を考え、判断する生活を続けている。しかし、そのような経験のある人でも時として判断に窮して即決出来ないことがある。その様な場合でも、判断したことに対しては最後まで責任を持って見届ける必要があり、それは学卒者の責務である。

  最近(特に今年11月頃より)、日本社会で問題になっているマンションなどの耐震強度偽装事件に関連した建築確認申請書の審査において、それに携わった審査員の判断やその態度より専門職の自覚なさ、無責任さに憤りを感じており、改めて学校教育と大学教育およびそれとの関連で自己研鑽を考えてみたくなった。

1)良識のある社会人について:
現在地球上には多数の異文化民族が存在し、それら民族はそれぞれ固有の 宗教・生活様式の上に独自な文化を構築している。これらの個々の民族は当初同一地域で集団生活しているが、その文化の発展につれてあるものは他の異文化民族の間に徐々に分散し、それらが相互に影響をしあってそれぞれの文化を発展させてきている。時にはそれらは融和してどちらとも異なる新しい文化を構築して人類の新しい発展となっている。人間社会における人の成長を考えると、幼少の子供はまず、親や近親者から家に固有な習慣を学び、成長するにつれて近隣のほぼ同年次の子供と共に遊ぶようになって、他家の習慣を知り、また子供同士の共同生活を身に付ける(学習氈j。そして学校に進むようになると、人間として身につけなければならない種々の知識を学び、それをどのように使って毎日の生活に役立たせるかを修得する。このような学校での学修も日本で古くから云われた「読み書きソロバン」のようなどうしても身につけないと生活に困るような基礎的な学習をする(学習の)。ここで、学ぶ基礎学問はこれまで多くの人達が学習し、その内容は正しいと世の中で広く認められてるもので、どちらかと言えば全ての現代人はよく学習し、理解して使えるようになっていないと生活に困ることである。これは、(基礎氈jと考えられる学問であり、先進国では義務教育として学習するようになっている。しかし、現代社会人として生活するにはこの(基礎氈jとみなされる範囲の学問のみの知識では不十分であり、さらに高度な完成された学問等を修得する必要がある。そこでの(学習。)の学問内容は、(基礎氈jで学習する学問と区別される。ここでの学問を(基礎)と定義すると、それは概ね高等学校で学習する内容であるが、中には大学の教養課程で学習される内容も含まれる。しかし、この(基礎)も学問としては既に完成されたもので、学卒者の学習対象になっても研究対象ではない。しかし、現代人は全ての基礎学問を完全に学習することは至難なことであり、それを学習する人の適性によって科目の種類を選択して学習するのが妥当である。その意味においては特定の科目を選択した人は、選択した学問をほぼ完璧に理解し、社会の現実問題に対して正しく適用して一般的な社会人が容認する回答を出す責務がある。また、特定科目を選択した人は、それを選択してない人に自分が学習した学問を適用して提出した回答を充分理解するまで説明するノルマがある。また、選択してない人もその課題に対する共同作業チームの一員であれば、その結論に対して何かしかの責任があり、その結論に対する自らの責任範囲を明らかにしておく必要がある。その意味では、自分が選択してない分野の結論についても何処まで責任を持てるか明瞭にしておく必要がある。言い換えると自分の選択してない課題に対する基礎的な学問や概念をある程度勉強して、その結論に対して自分の誠意ある意見を持って責任を果たす必要がある。

  一方学問の進歩・発展を考えると、新しい学問は提出されてもそれが広く世の中に認知されるのに時間がかかる。その様な学問は学会等で発表されると、学説としては認知されることはあっても、その分野の専門家によって実証され・確認されるまでは理論として確立したことにはならない。そのような学説を学びそれを理論に近づける学習や研究は大学において行われる(学習「)。しかし、世の中の種々の課題は上記(基礎)までの学問を適用しても解決出来ないことがあり、その場合、その課題に適用できる新しい理論を提出し、さらにそれを発展させてその理論が問題になっている課題に適用出来る新理論体系を構築する必要がある。このようにまだ確立されていない学説を理論に近づけ、時として理論を確立し、それらを適用して社会の抱えている課題を解決し、地球上の人々が期待する人類社会を構築することが人類の目標である。このような目標の達成に貢献する人が良識のある社会人であり、その人は上記(学習氈`「)を理解し、その上で自分の適性に合致した(学習?)を自分に正直に行うことである。

2)大学教育について:
国は政府として教育目標を掲げているが、それはその国の国情に合わせ て掲げられるものでここでは議論しない。欧米の国々はそれぞれ特有な大学論を持っているようで、それらを広く並べてみるとその形態は長い年月の間に徐々に変わっているように思う。しかし、ここでは1)で述べた学校教育中の大学教育について普遍的な立場で考えてみることにする。

  前にも何かに書いたことがあるが、50年くらい前、豊倉が早稲田大学1年の学部講義で、後に早稲田大学総長になった村井先生が、高校の卒業生は自分の生活している地方の発展を考えて活動するが、大学の卒業生は国の発展を考えなければならいと云われたことを今でも時々思い出す。当時と現在では日本の国情は全く異なっているので内容そのものは変わっているが、村井先生の話された学卒者の使命そのものは今も全く変わっていないと思う。豊倉が化学系工学部に所属していることを考えると、日本の発展に貢献する活動とは日本の工学・生産技術を世界の化学産業をリードするように発展させることである。それは「まだ世に提出されてないオリジナルな工学理論や生産技術を構築すること」であり、上記1)の(学習「)に於ける究極の目的の一つである新理論の構築とそれを適用した新技術の開発である。これは正に大学教育の使命である。大学研究においては、理論的にモデルを設定し新理論を提出することも考えられる。しかし、工学分野では、現行理論を企業の生産技術開発に適用して産業界のニーズに応える新技術を効果的に開発することが重要である。この方法で目的を達成することはしばしばあるが、より良質な製品をより安価に生産するためには、本質的に抜本的な新アイデイアを導入することが必要である。装置内で起こると想定される現象は従来の理論で想定されていた装置内の現象と異なることがしばしばある。そのため、新しい生産方式による新生産技術の開発には、その生産装置内で起こっていると考えられる現象より装置内新モデルを提出し、そのモデルに基づいて主要因子間の定量的な相関式を誘導することによって提出される新理論に基づいた新技術の開発が本筋である。

3)豊倉研究室の晶析研究と研究室卒業生の社会での活動:
豊倉研究室の研究は、C-PMTなる研究哲学で行われた。このPはphenomenaで装置内の現象をよく観察することを意味し、装置内で起こっている現象をよく把握することである。次にPで把握された装置内で起こっている現象の変化に支配的に関与する因子に着目し、その挙動をM(モデル)化して表してその主要因子間の定量的な関係を考察する。この考察より各因子間の関係を立式化することにより、工学理論T(Theoryの略)を提出する。このようにして晶析理論が提出されるとその理論を用いて晶析プロセス(2巡目のP)が組み立てられる。このプロセスで生産される結晶製品はマーケット(2巡目のM)の評価を受け、それによって市場に受け入れられる製品(最後のP)を生産できるテクノロジー(2順目のT)を確立する。ここで開発された技術が抜本的なオリジナリテイーを持つことを確認するには、別の研究哲学(IKW)に基づいて検討する。ここで、I (Informationの略)はその技術に関する文献・情報についての充分調査を意味し、それよりそれに関する工学理論、技術に対する充分な知識K(Knowledge)を学び、それを知恵W (Wisdom) として、理論的な体系とその応用について充分検討することが大切である。この(IKW)によって構築される理論に基づく生産体系と、(PMT)によって構築される生産体系を比較しそれが全く異なっていてしかも製品の品質と生産コストが (PMT)の方が優れている場合、抜本的にオリジナルな生産技術と考えられると判断される。

豊倉研究室の卒業生は研究哲学 C-PMTとIKWをバックボーンとして研究して研究活動に携わっており、その成果の主要部分は1992年に出版した「晶析工学の進歩」および 1999年の「 21世紀への贈り物 C-PMT 」に纏めてある。これらの書物をみれば明らかなように、卒業生は(学習氈`「)通して物の考え方、自分の筋の通った信条をしっかり身につけており、卒業後はそれを生かした社会での活動を通して成長し、益々見識を深めた良識ある社会人になっていると確信を持って誇りに思っている。

4)むすび:
建築業界は最近の建築ブーム乗って活況を呈していたが、それを支えた 一級建築士や業界関係者・またこれらの人達と共に仕事をしてきた公務員の一部の人の中に人間としてのモラルに欠けた人がいて、大問題を起こしたように思う。新聞情報によると利益追求を優先させて強度偽装をし、しかも建築確認の審査員は専門職に拘わらず、それを見過ごしても罪悪感のないような専門能力の欠如した審査員がいて、その業界全体の信用をなくしたように思える。また、最近の大学教授を見ると勉強はしても大学教授に相応しい研究をしているのが疑わしい研究者がおり、これらの不可解な人が社会の重要な地位で、その職能に相応しい能力を持たないままで活動していることが目に付く。これらが日本が真の先進国の仲間入りが出来ないで問題を起こしてるのでないだろうか? 日本の各組織のトップの地位で活躍してたり、また、活躍しようと思っている人は本稿の(学習氈`「)よく考えて、自らの能力に相応しい仕事を見つけて活躍して欲しい。

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