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豊倉賢略歴
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2005 A-1,2:「2004C掲載の卒業生の記事より:社会の第一線で活躍し続けるために」


1) 2004Cに掲載された記事が語るもの:

  2004年3月より05年2月までの1年間に卒業生25名が書いた記事には卒業後の様子、近況報告等種々のものがある。その中には後輩が将来社会で活躍する時参考になる記事を書いたものが多くあり、今回はそれらの記事から豊倉が受けた印象を思うまま記述してみる。そこで対象にした記事を大別して、

1・1)日本国内での生活を離れ、国際的な視野・日本における感覚や判断に基準と異なる国際的な視野の下で判断する海外での生活を長くした経験からの記述、
1・2)企業内の活動において、特に部下を意識した組織的な仕事における経験、
1・3)どちらかと言えば職場内での自分自身の活動を主に書いたものがある。

個々の記事はこれらの分類の一項目を中心に書いたものではなく、それらのすべてを含んでいたり、内容によってはさらにそれら以外のものも含んでいる。従って、分類Cの記事を読んだ人の受ける印象は豊倉の感じたものと異なると思う。これらの印象は読んだ人が平素考えてることが異なるためで、他人の書いた記事を読んでどのように思うかを書いてみると、その内容は書いた人によって異なるものであり、それを書いた本人が読んでみると、自分の考えを鏡に写して見るように思う。その意味では人の記事を読んでその印象をさらに記事にすることはその記事を最初に書いた人に読んだ人の意見を伝える同時にその他にもいろいろの効果を示すことがある。それらを考えると、同窓仲間のホームページtc-pmtに掲載された記事を読んだ場合で、そこで感じたことなどを文字にするのは意味あることで、時間のあったときには是非このホームページに寄稿して欲しい。それを繰り返すことがお互いの進歩になり、成人した人の自己錬磨に繋がると思う。

2)海外からの情報・グローバルな意見に刺激されて:

  豊倉は最近自宅にいる時間が多くなって来た。そのことは外からの刺激を受ける時間を自分でコントロールし易くなったと思う。恐らく昔は自宅に閉じこもると外からの情報が少なくなり、物忘れが多くなって知識ばかりでなく世事にも疎くなったことと思う。しかし、最近はテレビ、インターネットのお陰で本人が心がけでいろいろな情報を集めることが出来るようになっている。しかし、テレビのスイッチを付けても漫然と見ているだけではほとんどの情報は素通りして何も頭の中に残らない。しかし、何気なく見ているテレビの画面もそれらの中に何か関心のあるものがあるとその内容から強い印象を受け、それがseedになってそこから新しいことが芽生え、いろいろ発展することがある。ましてその画面が平素考えていること、自分が求めている情報と関係があるとそれをきっかけとして種々のことを思い出し、思考が進み自分が豊かになった気がしたことが最近はしばしばある。卒業生がtc-pmtに寄稿する記事は「誰々さんが書いた」ということだけで、豊倉は「彼は以前かくかくしかじかであったが今はどうなっているか」と強い関心を持つものである。それで卒業生からの記事がきっかけで新しいことに関心を持ったことが数件あった。特にこの一年間は鶴岡さん、鵜池さん、小野さん、山崎さん、内田さんらが海外生活との関連事や国際交流記事を寄稿してくれた。これら卒業生の記事から直接思い出したのはフランスのこと、アメリカのこと、スイスのこと、オランダのことなどがあったが、それに付随してこれらの国の文化や、それらの国の晶析分野で活躍していた外国の友人等限りなく種々のことが思い出された。これらのことも行き着くところは自分が現在生活している日本のことになり、何歳になっても明日の未知な生活への期待とその時気になる不安なことであった。

3)最近の卒業生からの情報:

  豊倉は早稲田大学を退職して丸6年になるが、最近でも時々卒業生に会っており、またメールを受けるなどしていろいろ情報を得ることが多い。それらの卒業生の話の内容は就職して企業生活に慣れた人から管理職になってまだ数年くらい経って責任ある立場で活躍している人達の事がある。その話の中には、自分は今「・・・・をしなければならないと考えているが」それでよいだろうかとか? 最近社内ではこんな話があるが、自分の遠からずその様な話が来るだろうが、それに対して平素からどのように心掛けて活動していたらよいかなどある程度の悩みを持っている人達の話を耳にする。特に卒業して数年の卒業生には、その卒業生の仲間の結婚式に招待されて会うと、毎日の仕事には自信を持って働いているが、比較的近い将来に対してこのままでよいのかなど、ある種の不安をもっている人がいるようだ。それらの卒業生達は、別の企業に就職し、そこで活躍している同窓の仲間とお互いに自分の現状を語り合い、自分の考えや活動を話して自分の行動を確認して明日の希望と自信に繋げている。また、部下を持つ管理職の人は自分のことだけ考えるわけにはいかず、部下が安心して仕事が出来る環境を如何に作るか?やはりそれなりの悩みを持っているようである。豊倉がアメリカTVAの研究所に呼ばれる前の日本は高度成長期で、学生は引く手あまたで何の悩みもなく就職し、恵まれた将来を夢見てのびのび仕事をしていたように思えた。しかし、アメリカの研究所の生活に慣れた頃にはアメリカはベトナム戦争の影響で景気に陰りが見え始め、アメリカ人の間にレイオフの話が持ち上がっていて、当時の日本では考えられない状況であった。それから世界情勢の動きを30年以上にわたって経験すると、長い人生を常に右上がりに過ごすことは出来ないことを時々実感する事があった。それらを改めて考え直すと、過去において起こったことを先輩の人達の話や資料を調べて確認し、先輩達はどのように乗り越えたか考えておくことがまず必要であろう。次に、それを自分なりに理解した上で、将来は過去とどこがどのように異なるであろうかと考えその対策を検討して、自分で自分を守ることを常に心がけることが必要である。その時将来は過去の延長上で考えることも一案であるが、当然予想される変化を加味し、時には通常では予想出来ないようなことが起こってもその対応をどうするか検討しておくことが必要と考える。2004C5−1で福田さんが“セレンデイビテイ”を信じて技術開発に取り組み画期的な技術開発に成功した話を紹介しているが、人間常に奇跡を信じて自分の「プロジェクトX」を経験するように頑張ることが必要です。

4)社会のトップで活躍している卒業生からのメッセージ:

  豊倉が研究室で一緒に晶析研究をした卒業生の中には既に50歳を越え、企業の責任者として要職を務めた人が大勢いる。これらの卒業生には研究職を続けている人もいるが、ある段階で新製品の生産や新しい生産技術の開発に従事したり、また営業部門で活躍して企業の発展に貢献している。このように企業内で活躍して業績をあげた卒業生が社内で担当した職種は多岐にわたっているが、それにも拘わらずこれらの人々に共通なことは、皆自分自信の独自な考え持ち、その考えに従って出した結論には自信を持って上司に理解を求め、上司や部下をはじめ社内の全面的なバックアップを得てその仕事を進めていった。この様な卒業生が活躍している様子を豊倉はしばしば聞いているが、皆ものすごく忙しくて後輩へのメッセイジをホームページtc-pmtに掲載するための執筆依頼をすることに迷いを感じていたが、生々しい意見はこの様な時に記述して貰うのがよいと考えて週末の貴重な時間を割いて協力を依頼した。個々の内容は卒業生の記事をご覧いただくとして、ここでは豊倉が特に感じたことを記述する。

 卒業生が企業に就職する場合、各企業は規定の方針で運営されており、入社する本人の希望で職場を選択出来る可能性は極めて狭い範囲に限定されるか、実際にはほとんどないと考えられる。しかし、本人が配属した箇所で担当する仕事において出さねばならない成果は、その目標はあってもそれが出せる保証はなく、少なくとも比較対照となる既成のものより明らかに良い成績であったり、また類似なものを生産しているライバルグループのものより明らかに優れている答えを出すことは必要である。そして、その答えが広く社会に受け入れられるものである(充分?)条件を満足しなければならない。最近本ホームページで記事を執筆した卒業生の岸本さんが1980年4月に味の素に入社し、その当初に担当した仕事が成功し、種々の賞を受賞し、企業成績に貢献している。その業績との関連記事は新聞でも報じられているが、岸本さんが2005C−1,5で記述した彼の記事の中で

「後輩の皆様方に何を申し上げたいかと言うと、最近「自分さがし」とかで、自分が本当にやりたいことが何だかわからない、あるいは向いている仕事を求めて転職、などという話をよく耳にするのですが、少なくとも私の場合、若い頃はいくら探しても「自分」なんか結局なかったんじゃないかと思うのです。考える余裕もなく、たまたま味の素という会社に入り、甘味料という仕事に巡り会って、年月を重ねる中で少しずつ今の「自分」が出来てきたような、あるいは自己実現が図れたような、そんな気がします。いろいろ考えずに、とりあえず目先のことに力を尽くせば、道が開けていくということもあるのではないでしょうか。私はラッキーだっただけなのかも知れませんがノ。」

 このように書いていますが、自分が担当していた仕事を一生懸命頑張ことが何にも増して重要と思います。この記事に私が一つ追加するとすれば、岸本さんは自分の才能を知っていて、それを充分生かして成果をあげるように努力したのでないかと思います。そのことについては豊倉が岸本さんの掲載記事に関連して同門の卒業生に紹介した記事の中に

「岸本さんの活躍の様子は数年後、味の素九州工場を訪問した時、そこの工場長が岸本さんの入社した頃川崎の研究所に勤務していて、その頃社内を2分して議論していたアスパルテームの製造法を決定付ける研究成果を岸本さんが大変な実験を行って出したと言う話をしてくれた話を聞いたことがある。」

と書いたことをよく覚えています。私も今までに、「お前はどうして晶析研究を行うようになったのか」と言うことを国内外の人から聞かれたことがしばしばあった。その時、大学院指導教授の城塚先生から豊倉は「晶析」を研究してみては言われたからだと何時も答えている。当時は何も分からない大学院の1年生だったので指導教授の言われるように行っただけです。ただ、自分の理解できない方向には研究を進めませんでした。「あとは岸本さんが言われるように豊倉もラッキーだっただけなのかも知れませんが。・・・」 自分に適した事を偽らずに真面目に続けると運が向いて来るのでないでしょうか?・・・・卒業生からのメッセイジには「なるほど、そうだったのか」と思われることが沢山ある。

5)社会の第一線で活躍し続けるために:

  今回本ホームページに寄稿してくれた卒業生の記事を思い出して、豊倉が平素考えている事を重ねて書いた。このHPに掲載された記事は非常に多岐にわたり、豊倉が実際に引用したものはごく一部に過ぎない。実際は書きたい記事、引用したい記事は沢山あり、どの記事も自分の経験と重ねて読みながら考えると非常に多くのヒントが与えられる。それらはこれからも卒業生の記事は思い出して引用したいと考えている。そのためにも大勢の卒業生に、時間のある時には本ホームページに掲載する記事を書いて欲しいとお願いしたい。豊倉はよく思うことであるが、自分の考えと関連のある記事をよく読み、それをじっくり考えることが大切である。その時、

ウ)記述内容を自分自身でよく考えてまず理解すること、
エ)その時よく考えて理解出来る内容を対象に自分の考えと合わせて物事の判断に使用すること、
オ)その時現実と対比しながら考えて前進しさせる。
 
 前進し続けると何時かは必ず壁にぶつかり、カオス状態に陥る。この状態を出来るだけ早く予測し、それを解決する道を見つけだすこと。この時良識のある第三者が理解し納得する方針を提案し、その路線上で活動し続けることが必要である。その過程で矛盾する事柄に遭遇することは多いと思うが、その時これらの事柄を調和させながら永続的に発展させることが第一線で活躍し続けるために必要である。卒業生各位活躍を期待する。

2005年3月

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