ロンパリ日記

Contents
1.移動編
2.パリ到着
3.パリ初日 1日でルーブル美術館とベルサイユ宮殿を見学
4.半日観光〜高級レストランで本場のフレンチ
5.オルセー美術館〜オペラ座で600円でバレエ鑑賞〜ユーロスターでロンドンに移動
6.ロンドンの初日の夜は霧
7.半日観光〜夜はオペラ座の怪人
8.アンティークマーケットと買い物
9.帰国当日は6時起きでポートベローマーケット(ノッティングヒル)へ&あとがき




97年1月11日(土)
移動編

このツアーで利用したのはHISの「ヴァージンアトランティック航空で行く、パリ&ロンドン8日間」148,000円。
一緒に行ったのは会社の後輩の卓弥君/たかや君(このホームページの「たっくんのソウル出張日記」の作者)、彼は初めての海外、僕もヨーロッパは初めてでした。

出発は97年1月11日(土)。フライトは昼の12時発。OLに人気ナンバー1の航空会社のお手並み拝見です。
機種はエアバスA-300型、シートは63F。一番後ろから3〜4席目でした(HISのお客は後ろの方に座らされるようですが、まあこの際いいとして)。
機内に入って、まず目を引いたのはアッパークラスのブルーのソファー。大振りの立派なソファーで、しかも対面式。フルーツが飾られた木製のテーブルまで中央に配置されていていい雰囲気でした(今はソファーではなくバーがあるそうです)。
エコノミーはと言うと、全席にアメニティーキット(機内で穿くオレンジ色とグレーの太いしましま模様の靴下、アイマスク、歯ブラシ、くし、メモ帳、ボールペン、絵はがき等が入っていた)が置いてあり、しかもパーソナル液晶TVも前席の背に埋め込まれていて、なかなかの雰囲気でした。

この「シートバックビデオ」は、スカイマップや映画やゲームがいつでも楽しめますが、ゲーム(10種類位)は乗客が一斉にやろうとするので、始めるまで15分位待たされてしまいました(ソフトのダウンロード待ち画面になってしまう)。機内アナウンスで「ゲームがご利用いただけます」と言う前にアクセスし続けるのがコツです(帰りの便ではアナウンスの5分位前から使えました)。
卓弥君は相当気に入ったようで、ひたすらゲームをやってました(僕は、この時は卓弥君は単にゲーム好きなんだろうと思って呆れていましたが、帰ってから3年も経った99年になって、彼はパリに夜着くので機内で寝てしまわないように時差ボケ防止策としてやっていたことを知り、感心しました)。

機内映画も到着するまで繰り返し流れているので便利。映画は日本語吹き替え版が3本、字幕版が1本、英語版が4本位用意されていて、往きはディズニーのCGアニメ「TOY STORY」、メル・ギブソンの「ブレイブハート」。帰りはケビン・コスナーの「ティンカップ」やショーン・コネリーの「ザ・ロック」、ロバート・デニーロの「ザ・ファン」(英語版)をやってました。

さて、機内食ですがヴァージンは人気投票ではいつも人気No.1。松花堂弁当を楽しめるのが売りです。ところが松花堂弁当が往きは品切れで食べれませんでした(往きは数が少ないみたいで、サービスするブロックの前から2/3位までで品切れでした。座った場所が悪かったと諦めました。往きに食べた洋食は全く記憶に残っていません=という事は特徴が無いという事でしょう)。帰りは松花堂弁当を注文する人が多いのを見込んで充分な数を積んでいるようで僕もありつけました。

この有名な松花堂弁当は、暖かい山菜ご飯が竹の皮に包んで出てきて、前菜・焼き物・煮物・茶そうめんが漆器風のお重にきれいに盛られていて、デザートはフルーツに加え練りきりの和菓子までついていました。しかもお茶は本物の九谷焼の湯飲みに入ってました(写真左はパンフレットより)。

内容・器共にビジネスクラス並の内容ですから女の子に人気があるのもうなずけました。写真に撮っている子も結構いました。僕は味噌汁が辛かったので、ご飯を入れて猫飯にして食べてしまいました。

さて、今回の飛行ルートは僕にとっては初めてのシベリア横断ルートでした。このルートは大西洋や太平洋のような大きな海の上を飛ばず、日本海や北海等の小さな海の上しか飛びません。このルートはルートのほとんどが陸上という珍しいルートなのです。
成田からは新潟上空から日本海に入り、北北西に向けて通過してロシアの沿海州からユーラシア大陸に入ります。その後はひたすら何もない凍てついたシベリアの上空を通過して、北欧からデンマーク上空を通過してヒースローへアプローチします。

今回はロンドン乗り継ぎなのでロンドンヒースロー空港に同日17:00に到着(飛行時間13時間......)。ヒースローの乗り継ぎターミナルは広く、店も多いので免税品コーナーでシャンペン14.99ポンド(2,994円)を買ったり、カフェでコーラを飲んだりして暇をつぶして、乗り継ぎ便のブリティッシュミッドランド航空に乗換えて19:30に出発。パリ到着は21時30分着でした。

ロンドン-パリは時差が1時間あるので実際の所用時間は1時間、飛行時間は40分位ですから羽田-関空とほぼ同じです。


1月11日(土)

パリ到着(97年1月の為替ルートは1F=22円換算)

ドーバー海峡はあっけなく15分位で通過し、いよいよパリ・シャルル・ドゴール国際空港に到着。僕は近代的なイメージを持っていましたが想像よりずっと古く、ドゴール空港の未来的なイメージで有名なエスカレータ(=動く歩道がチューブになっていて四方から空中で交差している吹き抜け)も古びていました。

到着ゲートを出ると、HISの現地係員さんが待っていて、現地係員さんの第一声は「運転手さんに渡すチップの小銭がない人は、売店で何か買って用意して下さ〜い!」。何それ?と思いましたが、僕は食べたくもないお菓子を買って小銭を作りました。
せこい感じがしますが、大手と違いHISはチップをお客に払わせてツアー料金を安く設定しているのです。でも、大手のツアー料金とHISの料金の差はチップ代の差以上なので面倒でもしょうがないです。

HISが手配したマイクロバスの乗客は、運転手さんと合わせて6人。僕ら以外は全て女性でした。バスは高速道路で一路市内へ(30分弱)へ向かいました。初めて見る夜のパリの街は、オレンジ色の街灯の中に沈んでいました。

途中でホテルに乗客を降しながらバスは進み、最後に我々が泊まるホテルに到着。
このホテルはパリの中心地の東北方面にある、パリ北駅とオペラ座を結ぶラファイエット通りの中間地点にあるMontholon/モントロンというホテルで、夜10時を過ぎると正面ドアは閉まってしまい、暗証番号を押さないと入れない19室の小さなホテルでした。エレベーターも2人乗り位の小さなもので、部屋も日本のホテルのツインルームと大差ない広さでしたが、天井が高いので圧迫感はありませんでした(上の画像はダブルの部屋、我々が泊まった部屋はツインでしたが、雰囲気は全く同じ)。

この日はホテル着が夜の10時半過ぎだったので、ヒースローで買ったシャンペンで到着を祝って乾杯して即寝ました。

空港、美術館、レストラン等の情報が見れるParis Tourist Informationはこちら


1月12日(日)

パリ初日 
1日でルーブル美術館とベルサイユ宮殿を見学
 

さて、さて、翌日いよいよ僕にとっては初のヨーロッパの夜が明けました!
ところが冬のパリは朝8時でも暗い...(左の写真がホテルの部屋から撮った朝8時過ぎのパリ)。8時15分で白々してきて、8時半位になってようやく明けて来るのです(パリの各地に設置されたデジカメのライブ映像が見れる「世界の窓」はこちら。Yahoo!のパリの天気予報はこちら)。
朝食(ツアー料金に含まれている)は毎日ホテルの地下にある食堂でパン3種類(クロワッサンその他)とカフェ(コーヒー)というシンプルなメニュー。僕は追加でオレンジジュース(18F/396円)を頼みました。18Fは高いですが自動搾り機でオレンジ2個分をガーっと絞って出す本格的なものなので、おいしいです。ラテン系の国はオレンジジュースがおいしいので、ついつい飲み過ぎてしまいます。

食堂には丸々と太った黒人のマダムがいましたが、ここで初めてフランス語に挑戦。
「カフェ2つとオレンジジュース1つ下さい」は
「ドゥ- カフェ エ アン ジュドランジュ スィル ブー プレ」(あまり抑揚は無い)=「Deux cafe du un jus d'orange,s'il vous plat.」。
ジュドランジュが覚えずらいのでオレンジジュースだけずっと英語のまま言ってました。たとえフランス語と英語をちゃんぽんで言っても、誇り高いパリジャンにはフランス語に挑戦している事が重要のようです。
「アンまたはドゥ- 〜 スィル ブー プレ」
は何回も言った基本フレーズで、スィル ブー プレも良く使いました。ご存知の通りスィル ブー プレはPleaseですが人に呼びかける時は
「ムッシュー/マダム/マドマーゼル スィル ブー プレ!」
と言えば通じます。呼びかけはExcuse Meと同じ意味のExcusez-moi=エクスキュゼモワでも通じました。 

ところで、ボンジュールやメルスィとかは当たり前ですが、意外と多く使ったのは「パルドン」(最後をちょっと上げて発音)。英語のPardonと同じスペルで「なんて言ったの?」
「え?」
という様な英語と同じ場面でも使えるし、電車を降りる時ちょっと失礼で
「パルドン」
体が軽くあたって
「パルドン」
1日何回も言いました。英語のExcuse MeとPardonの一体語みたいな感じです。
ちなみに旅には重要な
「トイレはどこですか?」は「Ou sont les toilettes?」
=「ウ ソン レ トワレッテゥ」疑問文ですが語尾は下げます。

さてサバイバル・フランス語講座はこれくらいにして話をもどします。
実質初日はホテルを朝9時位に出てパリの北に位置するクリニャンクールの蚤の市へ直行しました。
ここへは初めてメトロに乗りましたが、メトロの回数券カルネ/Carnetは10枚セットで46F/1,012円。1枚だけ買うと8F/176円なのでカルネは約4割引きです。これは買わない手はありません(さらに週末に到着して、月曜日から1週間に16回以上乗る可能性がある場合、月曜日-日曜日有効の定期/カルト・オランジュもお得。バスも乗れるし、公営のレンタサイクルや観光バスも割引になります。購入には顔写真が必要で、1-2ゾーン=パリ中心地用が85F/1,870円)。

ところで、カルネは降りる駅の自動改札でなぜか戻って来てしまうので、駅の出口には使用済みの日本の鉄道の切符の横幅を広げた位の大きさの薄青緑色のカルネが一杯捨ててあります。
なぜ捨てるかと言うと、使用済カルネは/////と1cm幅位に小さくスタンプされるだけなので、使用済みカルネを財布に入れておくと財布の中がカルネだらけになってしまい、降りる時どれが乗った時のカルネなのかわからなくなってしまうからなのです。カルネ回収箱でも置けばいいのにと思う位一杯捨ててあって、なぜあの状態を放置しているのか不思議でした。

メトロの駅を降りて地上に出てみると、なんだか郊外の中途半端に栄えた街の雰囲気。決して美しいとは言えない風景でした。
道や駐車場に並んだ露店の集団が蚤の市で、我々は屋台で売っていたパリ名物の焼き栗を食べながらひやかしたのですが、時間がまだ早かったので今一つ僕の趣味に合わない雰囲気(アンティークよりも皮ジャンとか雑貨の店が多かった)。他の蚤の市に行く事も可能だったんでしょうが(帰国してから後悔しています)、店が開くのをのんびり待つ時間は無いと判断し、脇目もふらずメトロでシテ島へ向かいました。やはり最もパリらしい風景を早く見たかったんでしょう。

メトロを降りて地上に出るとそこはセーヌ河畔!。しかも快晴。

そこは、360度電柱や電線や高層ビルが全く見えない中世ヨーロッパの風景でした。


これは強烈な印象で、素晴らしい景観でした。今でも360度のパノラマ写真を撮らなかった事を後悔しています。この旅行ではNo.1の風景でした。
セーヌ川は意外と流れが早く、うすーい青緑色をしていて水質も悪くなさそうでした。

画像はセーヌのシテ島の夕焼け

帰国した今でもパリの魅力は町並みだと思っています。中心部はどこでもユトリロの絵になりそうな風景で感心しました。特にセーヌ河のサン・ルイ島の上流側にかかるシェリー橋からエッフェル塔の正面にかかるイエナ橋までの約5kmは、「PARIS,BANKS OF THE SEINE」として1991年にユネスコの「世界遺産リスト」に「その長期にわたる都市計画、文化的景観、歴史的建造物によって」登録されている程の景観なのです。

天気は快晴で気温は5度位。息は真っ白ですが、風が無いので普通の寒さ。
パリの気温はインターネットでチェックした時は最高気温が平均0〜4度、最低気温は平均マイナス10度だったのでかなり覚悟して行ったのですが、30年振りの寒波は数日前に緩んでいました。
HISの人も前の週は雪が降って耳がちぎれそうな位寒かったと言ってました。20袋も持って行ったホカロンは結局一袋も使いませんでした。

初めて見るセーヌ河の両岸の景観に感動した後は川岸を歩いて、卓弥君が持っている絵(パリの地図の上からノートルダム寺院を油彩でを描いた絵=Kerry Hallam作)を描いた場所を探しにノートルダム大聖堂が見える場所へ行きました。
寺院を裏から川越しに望む場所に絵を描いた場所はありました。卓弥君はこの場所に来る事がこの旅の大きな目的だったので、感慨深そうにたたずんでいました。

ここからB.C.300年にパリシー人が住んだのがパリの起源となったというシテ島へ渡りノートルダム大聖堂の横を通って正面へ移動。
縦の直線と直線の上部をアーチでつないだ左右対称の典型的なゴシック建築に足を踏み入れると、偶然大聖堂の中は日曜ミサの真っ最中。
賛美歌・パイプオルガン・司教様の歌う様な説教の声が大聖堂の高い天井に響き、荘厳な雰囲気でした。日曜日にパリに行ったらノートルダムのミサ(11時過ぎ)の場に立ちあうのも良いと思います。

ノートルダム寺院からはMusee du Louvre/ルーブル博物館へ移動。
中庭にあるピラミッドの入り口から入館して、エスカレーターで地上光が入って明るい地下の広いナポレオンホールに降り、パリ市内のほとんどの博物館で使えるカルト・ミュゼ=パスを3,000円で買って入館しました(ルーブルの入館料は一回45F=900円)。
カルト・ミュゼは3日間有効140F=3,000円。1日、5日券もあります。カルト・ミュゼは買ったら必ず有効期限を裏に記入しましょう。購入日を書いてしまった我々は、次の日オルセー美術館の入口でノン!って言われてしまいました)。もちろん11/1/97と書いたものを14に書き換えましたけどね。1を4に書き換えるのは簡単ですから。

ルーブルに入ってひとまず昼食。カフェ・ナポレオンでハムをはさんだ長さ20cm位のフランスパン(22F/484円)とオレンジジュース(22F/484円)を注文。
パリのお茶代・軽食代は日本より少々高目。ちょっとおしゃれなカフェのカフェ(コーヒー)はワインより高くて15〜25F/330〜550円位、サンドウィッチは34〜60F/748〜1,320円位が相場です。ビールは20〜40F/440〜880円位。場所代的な意味も入って高いんだと思います。
逆に、最高級のフランス料理は安く、トゥールダルジャンでも17,600円ですからニューオータニの東京店のコース代30,000〜35,000円はベラボーです。

とりあえず食べ物をお腹に入れて、いよいよ見学開始。ルーブルは「コの字形」になっていて、ピラミッドの真下からルーブル宮殿の3つの翼(ドノン翼・リシュリー翼・シュリー翼)の入り口を選んで入館します。ところが日本の順路通りに歩くスタイルに慣れている我々は入館していきなり迷子になってしまいました。
なにしろバカでかいので、行きたい所にいけないのです。そこで入り口にもどってミュージーアムショップで「時間がない方のための見学ガイド」と言うパンフ(日本語版。20F/440円)を買ってそこに書いてある順路を卓弥君にナビゲートしてもらい、右だ左だ上だ下だ、次は展示室何番だと歩き回りました。

ルーブル博物館はとにかくでかい!
うろちょろして最初からすっかり疲れしまいました。最初に見たい物がどの翼の何階(3階まで)にあるかチェックしてから入館するのが疲れないコツです。全部を駆け足で見ようなんて思うのは、徒労に終わるだけなので考えるだけ無駄です。

絵画はキリスト教の宗教画が結構多く私は宗教画に全く興味がないので、ずらっと並んだ絵の前は素通り。
ミロのビーナス(高さ2.02m)やモナリザの前では人だかりができていて、フラッシュが禁止されているにもかかわらず盛んにたかれていました。
「ナポレオン一世の戴冠式」(幅9.79m、縦6.21m)も見ましたが、あれほど大きな絵は初めて見ました。1804年のノートルダム寺院での戴冠式を描いた絵ですが、絵の中の100人位の人の視線が、ナポレオンが王妃ジョセフィーヌに授けようとして手に持つ冠に集中していたのが印象的でした。
ところで、この巨大な絵は日本の四国の鳴門町にある「大塚国際美術館」で実物大の複製画が見れます。陶版に焼き付けた複製画ですが、実物大の迫力はルーブル以外ではここでしか見れません。

他には、厚く黒い玄武岩に彫った塔のような高さ2mのハムラビ法典、そして古代オリエント展示室の高さ4.2mの「人頭有翼の雄牛像」は迫力があって興味深く、日本では古代オリエント美術(特に大きいサイズ)はあまり見れないので貴重な展示物でした。

ガイドに載っていた有名な展示物を確認しつつ見て回りましたが、絵や彫刻ばかりの中、ナポレオン3世のアパルトマンが保存されている展示室はルーブル宮時代の雰囲気が残っていて豪華絢爛。金、白、赤の色彩にあふれる室内は、とても落ちつける感じではありませんが本物の持つ迫力がありました。

ルーブルで展示物以外で感心したのは、展示室の雰囲気。この後見たイギリスの美術館・博物館にも共通していましたが、高い天井にシャンデリアが渋く輝き、場所によっては天井から自然光も入り、緑や赤の壁一杯に金の額に入ったいくつもの絵が掛かっている風景は、洋画のあるべき場所という感じがしました。この雰囲気は日本では絶対味わえない雰囲気です。

ルーブルに2時間弱いましたが、本当の私は気に入った絵の前の腰掛けでずーっと座っているのが好きなタイプなので、疲れました。

ルーブルを出て、卓弥君の提案でいきなり3時過ぎから電車でヴェルサイユ宮殿へ行く事にしました。
ルーブルを出て歩いていると、遠くに約10kmも離れているはずのパリ副都心に建つ新凱旋門(グランダルシュ)が見えました。このナポレオンが1808年に建てさせたガルーゼル凱旋門からは、コンコルド広場に建つエジプトから贈られた高さ23mのオベリスク(象形文字が刻まれた塔)、シャンゼリゼ通りを通してエトワール広場に建つ有名な凱旋門が見え、さらに近代的なデザインのミッテランが建てた新凱旋門まで、約10kmの直線上に全て見ることができるのですから壮観です。フランス人は「直線命」なんだそうです。

パリはナポレオン三世の時代のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンの都市計画によって改造され、この時シャンゼリゼ通りができて歴史的建造物が直線上に見えるようになったんだそうです(オスマンの都市計画は計画そのものが「世界遺産」に登録されている)。この都市計画が今のパリの他の都市にはない美しさに大きく貢献しています。
フランス人は直線の他、左右対称にも大いに価値を見いだしているようで、セーヌをはさんで約1km離れて立つギリシャの神殿風のマドレーヌ寺院と、同じくギリシャの神殿風の国民会議(ブルボン宮)も中間地点にあるコンコルド橋から見ると同じデザインの建造物が左右に見えるようになっています。

ヴェルサイユ宮殿はパリの南西20km弱にあり、ルーブルの対岸のRER(郊外線) C線のオルセー美術館駅(地下駅)からヴェルサイユ・リーブ・ゴージュ行き(往復26F/572円)。
20分に1本位の間隔で運行)に乗って30分位でした。
パリは中心部は平均6〜7階建ての建物が多いのですが、ちょっと中心部を出ると近代的なビルが建っていて、さらに10階建て位のアパート群、さらに一戸建ての住宅街へと10分単位で風景がどんどん変ったのがおもしろく、窓の外に風景をずっと眺めていました。

ヴェルサイユ宮殿はヴェルサイユ・リーブ・ゴージュ駅から歩いて5分位。入館料は15時以降と日曜日は35F/770円、通常45F/990円。我々はカルト・ミュゼで入りました。
宮殿はちょうど西日があたって美しく、鏡の間(と言っても長さが75mもある。画像右)を3往復もしてしまいました。
家具が無いので宮廷生活を偲ばせる感じではなく、豪華絢爛たる壁・天井・シャンデリアの見学といった感じです。色彩の印象は床の茶色、壁の白、全てを縁取る金、カーテンやカーペットの赤、優雅な天井画そしてクリスタルや鏡の輝きです。

宮殿はガイド無しとガイド付きは見学できるコースがかなり違います(ガイド無しは有りの半分位しか見れません)。ルイ15世・16世のリビングルーム、マリー・アントワネットのリビングルーム等を見たい人はガイド付きで時間をかけて見学するのを薦めます(当日に入り口でも申し込み可。追加料金は時間別1h:25F,1h30:37F,2h:50F/550〜1,100円)。
春〜秋だったら広大な庭園や離宮=大・小トリアノンを見学するのもいいでしょう(見学は別料金=30F/660円。あまりにも広いのでトリアノン行きの小さな電車まであるそうです=往復30F/660円)。
広い庭園はどこまでも続いているように見え、冬の真っ青な高い空にはいく筋も飛行機雲がありました。
ヴェルサイユ宮殿は実費なら600円弱で行けますが、オプショナルツアーだったら所用時間3時間半で340F/7,480円からです。

この日は朝ホテルで朝食を食べてから焼き栗とルーブルの中のカフェ以外で食べていなかったのでお腹が減ったのでヴェルサイユの駅の近くで5時30分位から早い夕食を食べました。ギャレット(そば粉で作ったクレープ=ブリュゴーニュ地方の郷土料理)コースが2,000円弱であったので注文。ギャレットコースは、
1皿目の前菜が子海老ギャレット
2皿目のメインがレタス+チーズ+ハムギャレット
3皿目のデザートがスライスアップル+いちごジャムギャレット
まさにギャレットずくし。それもボリューム満点だったのでまるで仕事のように食べて帰りました。初めてのパリのディナーはギャレットをいやって程堪能して終わりました。

帰りのRERの車内でぼーっとしていると、向こうの方から30過ぎと思われる長い髪の日本女性が来て
「すみませ〜ん、日本の方ですよね?」
と言うので
「そうですけど、何か?」
と言うと。
「あの〜 私たち今どこに向かっているんですか?リヨン駅に行きたいんですがどの駅で降りればいいですか?」
僕は、はあ!?という顔をしながらも教えてあげましたが、その女性は遠くでこちらを凝視していた5〜6人のおばさん軍団に報告をしに行きました。僕に聞きに来た女性はおばさんの中では若手なので代表として僕に聞きに来たようでした。
しかし、自分達がどこにいて、どこに向かっているのもわからないでパリ郊外の電車に乗っているなんて、大胆な人達です。

パリに帰って、セーヌ川沿いのエールフランスのバスターミナルでトイレの鍵を開けてもらってトイレを借りてから、少しうろうろしましたが、今から思うとそのあたりはダイアナさんの事故現場のアルマ橋からさほど離れていないセーヌの対岸でした。
我々はモンパルナスタワーに行こうと思って行き方を考えたのですが、良く分からないし、周囲は建物があまり無く、車だけがセーヌ河沿いの道を走っているような場所だったので、ここで初めてタクシーに乗ってパリ南部のモンパルナスへ。

パリの唯一の高層ビル=モンパルナスタワーに着いてロビーに行くと、展望ラウンジが800円位と聞き、高いので断念。そもそもパリは夜景を見る街ではない!と卓弥君と納得。

その後はモンパルナスで道行く人を眺めるスタイルのカフェに初めて入りました。
初めて入ったパリのカフェは道に面した場所がカフェ、壁を隔てて奥がレストラン(ブラッセリー)になっていました。
僕はフランスなのに紅茶、卓弥君は赤ワインを頼みましたがワインにはつまみで、薄味の田螺(たにし)が30〜40個位ついてきました。長居するには最適です。(参考:パリ在住の女性のHP「フランスのカフェ」
この日はカフェを出てメトロでホテルに帰り就寝。あしたはHISの半日観光だ!



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