1月13日(月)パリはきょうも快晴 

半日観光〜高級レストランで本場のフレンチ

この日も地下の食堂で朝食を食べてから、半日観光に出発。
半日観光(オプションでHISに頼んだ場合は220F/4,840円)は10時にHISのパリ事務所の近くに集合して大きなバスで出発。HISのツアーのメンバーの人は20人位でしたが、ツアーのメンバーは母親と娘の組み合わせが多かったです。

コースは凱旋門〜エッフェル塔〜コンコルド広場〜ノートルダム寺院〜お土産屋。
エッフェル塔はシャイヨ宮から見たのですが、午前中は完全な逆光なのでいい写真はとれませんでした。バスから下車したのはこのシャイヨ宮とノートルダム寺院で、それぞれ20分位のフリータイム。最後はお約束の免税品店で解散。

半日観光が終わると、フランス人ばかりの中華料理屋「Opera Mandarin」で久々のお米=チャーハンを食べました(チャーハン2つ+牛肉と野菜炒め1つ+ウーロン茶で167F/3,674円)。最後に試しに中国人と思われるギャルソンに「お勘定!」という意味の広東語で「マイタン!」と言ったら、ニヤっとして「マイタン?ウィ!」と言いました。その後、JCBプラザを捜してぶらぶら。
途中ヴァンドーム広場にある超高級ホテルリッツ/Hotel Ritz Parisに入ったら、ドアマンが追いかけてきて
「ムッシュー!」
と呼び止めるので
「買い物に来たんだけど」
と言うと
「ソーリー、ビジターは入れません」
などと言われ、ていよく追い返されてしまいました。
むかついたので卓弥君と「今度来たらここに泊まってやる!!」と誓い合って出てきました。我々がリッツに入る時使った回転ドアは、ダイアナさんが死の直前にリッツに入る姿を録画した防犯ビデオに写っていた回転ドアでした(上のイラストはRitzのHPに載っていたもので、問題の回転ドアが描かれています)。

リッツで慇懃に追い返された後は、夜のディナーのレストランの予約をしたくてJCBプラザに向かいました。途中でJCBプラザの場所を聞こうと思って公衆電話でAMEXを使ってかけたら3分位の通話でフランステレコムの加入料+通話料で10.53F/232円も請求されました。パリの公衆電話は現金に限ります。
さて、JCBプラザはオペラ座の近くのカルチエの向かいのビルの2階にあって、結構綺麗でした。JCBプラザではレストランの予約がトュールダルジャンを始め18のレストランから選べて、450〜800Fです。予約したのは星付きレストラン ル・ムーリスでしたが料金は食前酒と赤か白のハーフボトルがついて550F=11,000円でした(卓弥君には「一生物だから」と言って納得してもらいました^^)。JCBプラザのお姉さんは最近のラ・トゥール・ダルジャンは値段=800F/17,600円の割には今一だと言ってました(ちなみにタイユバンも800F/17,600円でした)。
レストランの予約や現地発のツアーの予約をする時はJCBプラザは本当に便利です。ソウルでも半日観光の予約に使ったし、パリでも便利でした。

JCBプラザの後はオペラ座見学。
試しにボックスオフィスをのぞいてみたら、次の日14日(火)のバレエの30F/600円の席なら空いてると言うので購入(一番高い席が6,000円位)。

その後、オペラ座の近くのモノプリ/MONOPRIXというスーパーへ行きフランスっぽいマギーブイヨンとか蜂蜜とかおみやげを買いました(196.8F=4,341円)。
その後一端ホテルに帰ってレストランでのディナーに備えてネクタイをしめ。モンマルトルにあるディスカウントショップ「タチ」へ行きました。ここは完全な地元の人向けの店で早々に引き上げメトロでプランタンへ行ってぶらぶら。
ブランドショップやデパートはどこも真冬のセール中(ロンドンも同様)。平均35%位値引をしていました。中には50%OFFとか75%OFFなんてものもあり、クリスマス前から1月一杯は狙い目の時期ですよ(パリジャンも買うのはこの時期だそうです)。

その後タクシーでいよいよHotel Meuriceの「Le Meurice/ル・ムーリス」へ。
ここは一泊シングル2550フラン、約5万円もする高級ホテルムーリスのダイニングルームで、ホテルの中はまるでベルサイユ宮殿の中のような雰囲気。
到着がちょっと早かったのでサロン(画像右)でカフェを飲んだのですが、ゴージャスな雰囲気でピアノが生演奏で流れ、ネクタイをして来て良かったと思わせる所でした。
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7時ちょうどにJCBプラザで作ってもらった予約票を渡して、即興で覚えたフランス語で「こんばんは 予約した田中です=Bonsoir.J'ai reserve au nom de Tanaka=ボンソワールジェ レゼルヴェ オ ノン ドゥ タナカ」(通じたかどうかは不明)と言って席につき。ギャルソンがメニューを持って来ました。7時は夕食には早い時間だったので我々は最初のお客さんでした(ラテンの国では夕食は8時位から11時近くまでゆっくりとります)。

メニューはJCBスペシャルメニュー。難解な普通のメニューではないので安心です。
料理は伝統的フランス料理。食前酒(キール)で始まり、前菜(フォアグラのカナッペ)、魚(3種類からチョイス)、肉(3種類からチョイス)そしてデザート(3種類からチョイス)。デザートはストロベリームースだったのですが、これがご飯茶碗一杯分位もあるビッグサイズでした。

味はおいしかったですが驚く程ではなかったです。お客さんは、我々+日本人おばちゃん3人組+日本人夫婦+地元のパリジャン3人+会社の接待風のビジネスマングループ(8人位)で、隣のテーブルの日本人おばちゃん3人組は保険のおばちゃん風で、大胆にもル・ムーリスのダイニングルームを外から見てあまりにも綺麗だったので入ったと言っていて、フランス語はもちろん英語もできないのでオーダーを取りに来たギャルソンが困ってしまい、しょうがないので僕が希望を聞いてオーダーしてあげました(後でギャルソンにお礼を言われてしまった)。

まるで宮殿の中で食事をしているようで、ここでもピアノが流れていて良かったです。あの雰囲気はどんなに高いお金を出しても日本では絶対味わえないものです。それが11,000円で味わえるのですから、安いものです。

この日はレストランの雰囲気に負けて疲れ、ぐったりしてホテルに帰りました。
ところが、ホテルに帰って重大なミスを発見。モネの360度の展示室で有名なオランジェリー美術館が実質最終日の翌日(火曜日)は休みだったのです。オランジュリーファンの「オランジュリーに行ってないなんて信じられなーい」と言う声と顔が目に浮かびました。
なんたるうかつ。パリは美術館の休館日に気をつけないとこういう目に合います。



1月14日(火)この日も快晴

オルセー美術館〜オペラ座で600円でバレエ鑑賞

この日の午前中はオルセー美術館オンリー。開館時間に並びました。
ここは1810年にナポレオンが外務省として建設を決定し、その後会計検査院→全焼→1900年に駅として再建→1939年に列車発着終了→1986年美術館開館と変遷した重厚な建物で、駅の名残があって(画像左)美術館としてはため息がでるほど良い建物でした。
カルト・ミュゼが使えなかったので39F/859円を払って中へ、入り口で卓弥君とは別れて鑑賞。
絵は素晴らしい名品揃い。ゴッホの「アルルの寝室」、ミロの「睡蓮」、ミレーの「晩鐘」、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、マネの「草上の昼食」とかざくざく、ゴーギャンが意外と多く展示されていて、今まで良さがわからなかったタヒチを描いた絵の良さがわかったような気がしました。色使いが洋画としてはエキゾチックで独特です(館内の詳細ガイドはこちら)。

絵や吹き抜けの趣味の良い内部に加え、アールヌーボ−の室内装飾を実際の部屋の中で再現した隅の方にあった展示室は人気は無いようでしたが僕は気に入りました。
オルセーの展示物も美しいですが、オルセーから見るパリの町並みも惚れ惚れする程良い眺めです。
真下にセーヌ川、はるか正面にはモンマルトルの丘に建つ白いサクレ・クール寺院、その手前の左側にはオペラ座の緑色のドームが見えます。ゴッホやモネが展示してある部屋の近くの窓から見れます。ここで見た景色はセーヌの川岸から見た両岸の風景に次ぐ美しさでした。

この日の昼食は美術館内のブラッセリーMUSEE' D ORSAY RESTAURANTへ。ここも豪華な雰囲気でお薦めです。これが美術館内のレストランか?という程良いのです。後で美術館内のガイドブック(5F/1,100円)を見て知ったのですが、駅時代には駅舎の一部に370室もあるホテルがあり、ここはホテルの大食堂だったのです。
食事の内容はビュッフェスタイルで料金は1人66F/1,452円。ハーフロゼワインが38F/836円、セットメニュー45FF)。
ここでもワインを飲んだのですが、パリでは本当にワインがおいしかった。乾いた空気が良いのかどうかわかりませんが(イギリスの紅茶もおいしかったし)やはり現地を代表する食べ物・飲み物は現地で食す。これが基本ですね。

食後、オルセーが気に入って離れたくないと言っている卓弥君を残し、6時にオペラ座で待ち合わせることにして別行動。
僕はルーブルの横にある高級アンティークショップへ。
あまりにも立派な雰囲気と値段に驚き、初日に行ったクリニャンクール(蚤の市)に行き先を変更。
ところが北部に行くはずが、メトロを乗り間違えて南西部のリヨン駅に着いてしまい、なんとか乗り換えてクリニャンクールへ。ところが蚤の市当日とはうって変った閑散とした雰囲気。トイレに行きたくなったので2F/44円の公衆トイレボックスに挑戦したのですが、修理中で断念。さびれたカフェに入ってトワレットに入りました。ところが個室はドアがお金を入れないと開かない構造になっていてビックリ。コインボックスに2F/44円を入れて入りました(フランスは節電意識が強いのかどうかわかりませんが、3分位したら電球が自動的に消えて、またビックリ。ホテルの廊下もそうだった)。
皆さんも、いざって時の為に2フランコインはキープしときましょう。

パリは駅にトイレがないので用心が必要です。ロンドンは結構ありました(公衆トイレは、治安の良し悪しの物差しです)。

トイレに行ってすっかり疲れてタクシーでホテルへ。
着替えてから(オペラ座観劇の準備)ナポレオンのお墓=アンヴァリッドにいこうと思って出発。ところが入り口の反対に着いてしまい、かつ閉館直前だったので目的地をカルナヴァレ博物館(パリの各時代の室内装飾を貴族の館の部屋を利用して再現した博物館)へ変更。カルナヴァレを知らない運転手と筆談でなんとか意志の疎通をして到着。カルナヴァレ博物館はヴェルサイユと違って、あまり広くない部屋に家具も含めて展示してあるので生活感があっておもしろかったです。
見学後、パリでろくな物を買っていないことに気づき、ミュージーアムショップで一本450フランもする=9,900円レターオープナー、建設途中のエッフェル塔の絵はがき、金属の皿を買いました(合計785F/17,800円の衝動買い)。
その後は、マレ地区のフラン・ブールジョワ通り界隈のアンティークショップを見て回りシルバーのティースプーンやサラダ用の大きな先割れスプーン(合計4,000円位)を買いました。
マレ地区はルーヴルの西、サンルイ島の北にある地区なんですが、結構おしゃれなブティックもある町でした。知らずに行ったのですが、ガイドブックにも「おしゃれな地区」として紹介されているところでした。
僕はその後、マレ地区からポンピドーセンターまで歩いてしまい、足は痛いわ、疲れるわでタクシーで6時に卓弥君と待ち合わせていたオペラ・ガルニエ(ガルニエは建築家の名前)/オペラ座へ行きました。

卓弥君のこの日の午後の行動は、
「オルセーには4:30〜5:00位までいて、オルセーからサンジェルマン地区まで街ブラ&ウィンドショッピングしてました。有名なサン・ジェルマン・デ・プレ教会は外見だけ見て去り、近くにこの寒空の中、外の席に大勢の客がいるオープンカフェがあるなと思ったら、有名な、「ドゥ・マゴ」で、そこで芸術家気分でアン・キャフェ・スゥィルヴプレーでトレビアーンしたのです。サンジェルマンは、おしゃれな街並みでした。
その後、(初日に行った)クリニャンクールにメトロで行ってぶらぶらしてたんですが、あまり記憶にありません。あと憶えているのは、スーパーで雑貨を見てたのと、暗くなって裏路地を歩いていたら何か危険な匂いがしてきて、プランタンデパートに逃げ込んだって事です。その後待ち合わせ場所のオペラ座に行きました」。

オペラ座の有名な階段の下で待ち合わせに成功後、卓弥君にカルナヴァレ博物館で買ったレターナイフを「ほらレターナイフを買ったんだよー」って見せたら手のひらに先端がぶすっと刺さってしまい、なんと出血。ティッシュで押さえながら席へ(このナイフは、日本に帰ってきてから先端を紙やすりでこすって丸くしてやりました)。

席はずーっと上(写りは悪いですが画像下が席から見た舞台)にあり、途中迷ってしまい舞台の裏まで行ってしまいました。
このオペラ座の建物も素晴らしい出来です。特に正面の左右からカーブを描いて上がる階段は様々な建物に真似された傑作です。今にでもルイ王朝時代のドレスを着た貴婦人が降りてきそうな雰囲気をもっています(画像上)。

この日のオペラ座は7時開始のコッペリアというバレエが出し物で、我々の席は俗に言う天井桟敷。3階の端の端の端。視界の1/2位は遮られていましたが舞台は意外と近くに見えました(左の写真は席から撮ったもの)。幸い内容が言葉の壁が無いバレエなので、結構楽しめました。休憩時間には客席の裏の廊下でシャンペンを飲みながら談笑している人がいるという、社交界的雰囲気でした。ちなみに私は生まれて初めてのバレエ鑑賞でした。

9時過ぎにオペラ座を出て、行ってなくてバカにされるとやなのでRERで近くのシャンゼリゼ通りへ。パリ最終日のディナーはなんとマックでした。凱旋門が見えるマックでビッグマックを食べ、その後スーパーで最後のショッピング。おみやげ用にマロングラッセ(Marron Motta)を71.9F/1,581円で購入(40個位入っていたお徳用でしたが、帰国後やっぱり本場のマロングラッセはしっとりとしておいしいと評判は上々でした)。

この日は、ホテルに帰ってからホテルの回りを歩きましたが、やたら恐いので早々に引き上げました。理由はよくわからないのですが、危険を感じるのです。夜の町はオレンジ色の外灯の中に沈み、コンビニなんて全くないので逃げる場所が無い感じです。
あまりにも恐かったので、いかに恐かったか寝る前の卓弥君にせつせつと訴えたら、彼は寝言で「むにゃ むにゃ 恐い 恐い」と言ってました。まったく、お子ちゃまです彼は(^_^)。

メトロに乗っている人たちも身なりがロンドンのアンダーグラウンドに比べて悪く、失業率が高いのも納得しました。それと、ロンドンもそうでしたが、寝ている人なんて皆無なんです。
みんなじーっと駅に着くのを待っているのです、もちろん網棚に荷物を置く人はいません、そもそも荷物を手放す事になる網棚なんて無いのです。
考えてみれば、網棚に荷物を置いたまま寝る事ができるなんて、日本は本当に良い国です。
それと、パリで気になったのは社内アナウンスや駅のアナウンスが無い事でした。実は町全体がそうだったのです、人工的な音といえば車の走る音やクラクションだけ。人工音楽を聞いたのはスーパーの店内でコマーシャルらしきアナウンスを聞いた時と、(当たり前ですが)シャンゼリゼのHMVの店内だけでした(ロンドンも同じ、だだし電車は駅も車内もアナウンスがあるのでパリより便利でした)。
ありとあらゆる音がする東京とはえらい違いでした。
ネオンも無くて、たまに社名だけを書いた点滅しない赤いネオンがビルの屋上にあった程度でした。ロンドンでもピカデリーサーカスには5つ位ハデなネオンを見ましたが、点滅はしていなかったし他の場所ではハデなネオンは見ませんでした。


1月15日(水)晴天

ユーロスターでロンドンに移動

朝9:40。ホテルをチェックアウト。
10時にHISの送りのバスが来て11:13分パリ北駅発ユーロスターに乗る為パリ北駅へ移動(ホテルから5分位)。
ユーロスターのチェックインは10時40分からスタート、手荷物検査はありましたが、イミグレはなく普通の電車に乗る感覚です(チケットにはチェックインは出発20分前までにと書いてありました。20分前までにチェックインをすればいいのですから駅のロケーションを考えるとかなり飛行機よりも時間を節約できるのではないでしょうか)。
時刻表を見ると11:13発13:43着と書いてあるので、時差を除くと3時間半の旅です。
フランス区間はTGV路線なので時速300kmですっとばしていました。新幹線とは明らかに違う早さです。
パリを出て15分もすると一面の畑が広がり、いきなり富良野状態。農業国フランスを実感しました。見渡す限り畑でした。
フランスの出国はボンジュールって2人のイミグレの係員が回ってきて、パスポートを見るだけでした。そして、TGV区間の終了という標識が見えてからノロノロ運転に変わり、ドーバー海峡を渡るトンネルに入りました。

パリで行こうと思ってて行けなかったのは、ディズニーランド・パリ、オランジュリー美術館。実質3日では無理でした(オランジェリーは事前調査ミス。98年秋に東京の渋谷の東急BUNKAMURAでやったオランジェリー美術館展には「一緒に行くのに最もふさわしい人」卓弥君と行ってきました)。



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