ミコノス島!

4月5日(水)
:最高気温25度前後、最低気温10度強。快晴
(Yahoo! Weather :ミコノス島。lonely planet:エーゲ海の島々の地図


この日は佐治にとっては今回のツアーのメイン「ミコノス島」に行く日だ。
我々は朝8:10発のオリンピック航空に乗る為に6:30に起きた。
まだ暗かったが窓を開けてみると星が見えたので、ねぼけている佐治に「佐治!グッドニュース!晴れてるよ!星が見えるよ!」っと言ったが、答えは
「そっすかー、あれー、星なんか見えないっすよ」とそっけない返事。
まあいいさ、雨は夜だけ降ってやんでくれたのだ。

7時過ぎにフロントでタクシーを呼んでもらって空港へ(空港はオリンピック航空専用の西ターミナルとその他の航空会社が使う東ターミナルに分かれていて、オリンピック航空専用の西ターミナルは通称「オリンピック・ターミナル」)、ドライバーは運転中にタバコをスパスパ吸う女性だったがなんとなく安心した。
佐治が「TAXIって映画が最近あって、カーチェイスが面白かったけど、あれってアテネのタクシーの事だったかもしれない」と言って喜んでいた(帰国後確認したらフランスのマルセイユが舞台だった)。

ホテルから空港までは20分位で到着(2,600ドラクマ=780円)。
空港では、オリンピック航空のチケットセールスのカウンターで予約した時にもらった予約表を”くわえタバコ”のおばさんに提示してチケットを購入した。
空港は古かったが、空港のトイレの床も大理石、階段も大理石、こんな所に大理石を使うか?ってところに一杯大理石を使っていて、ギリシャは大理石の産地だけあって日本の大理石=高級=高いという常識はまったく無いようだった(街の歩道にも一部使っていた)。

オリンピック航空のミコノス島行きの飛行機は双発のプロペラエンジンの飛行機で、ATR-72という聞きなれない定員68人の小さな飛行機(右)。
翼が胴体の上に付いているので、どの席に座っても地上の景色が好く見える飛行機だ。窓際の席は憧れのエーゲ海が良く見えるように佐治に座らせて、いよいよ出発。
フライトスケジュールでは8:10出発して、8:55到着となっていたが、アテネからミコノス島は東南に150kmしか離れていないので、実際に飛んでいるのは30分位だった(クルーズだと7時間もかかるので日帰りは無理)。
良く揺れたので、機内サービスは無し(帰りはオレンジジュースが出た)、着陸の時に特に揺れたので着陸嫌いの僕としては、ドキドキものだった。なぜ着陸が危ないか佐治に飛行機の失速速度について説明しようとしたら「いいです、知りたくないっす」とあっさり拒否されてしまった^_^。

そしてミコノス/MYKONOSに到着。
ミコノス島は東西15km、南北9km位、人口5,000人の小さな島。
空港で地図を買ったついでにミコノスタウンまでのタクシーの相場(2,000ドラクマ=600円)を聞いてからタクシーに乗ったらまた女性のドライバー。
これがミコノス島かーっと思いながら窓の外の風景を見ていると、前方に一瞬ミコノスタウンが見えた。おー白い家、青い海。エーゲ海のイメージそのものじゃないか!

ミコノスタウンの港に面したマンド広場に着いてからの僕は佐治について行くだけ、佐治が地図で現在位置を確認するのを待っていよいよ港沿い(カンバニ通り沿い)から歩き始めた。

我々はまずミコノスのシンボル的存在の「カト・ミリの風車」を目指したが、ミコノスタウンに入ってみると、狭い道路の両側に建ち並ぶ家の壁は真っ白、窓やドアは真っ青。ミコノスのイメージ通りの風景が続いていてうれしくなった。
「まるで絵葉書のような風景」という表現はあたりまえ過ぎるが、本当にそうだった。歩いているとそれほど汚れているとは思えないのに真っ白いペンキを家の壁に塗っている人がいて、あーこうやってメンテしてるから白さが維持できるんだ、と納得した。
早速写真を撮ったが、どこに行っても絵葉書のような風景なのでいつでも撮れるような気がして、意外と撮った写真の数は少なかった。
ミコノスタウンの迷路のような道を歩いていると 10分もたたないうちに「カト・ミリの風車」が見える低い岸壁に出て、カフェが並んでいる海沿いの道を歩いてカト・ミリの丘へ向かった。
佐治は途中で立ち止まって地図を見ていたので、僕は「カト・ミリの風車に先に行ってるね!」と言って丘を登った。
カト・ミリの風車は海に面した丘にわらぶき屋根で、円筒形の真っ白い風車が5つあって、夕日が美しい場所として知られている(画像右)。

丘に登ってみると風車の裏側は駐車場になっていて、裏から見ると味気ない雰囲気だったが、正面から見ると周囲に赤や黄色い花が咲いていて奇麗だった。風車は傷んでいて風車自体は近くで見ておもしろいものではなかった(ミコノス島は1年で200日は強風が吹いているらしく、昔は粉引きに使っていたが今は老朽化しているので使っていないそうだ)。
ふーん、やっぱり遠くで見た方がいいなあと思って佐治と別れた場所にもどると、佐治はそのままいて、あれっと思っていると「トイレ行っていっすか?」となにやら深刻な様子。こりゃやばい!って事で、一番近い海沿いのカフェに座った。
緊急非難で入ったカフェだったが、ここは「アレフカントラ/Alefkantra」というレストランで、ガイドブック(旺文社の「個人旅行」)にも「打ち寄せる波を見ながらシーフードを味わう、シーフード中心のレストラン」と解説が載っていた店だった。

まだ時間が早かったので(朝10時位)、まだお客さんは数組しかいなくて、メニューも朝食メニューがあったので朝食とグリークサラダを注文。
朝食はパン(ライ麦パンのようなパン)とジャム、オレンジジュースだけのシンプルなコンチネンタルスタイルだったが、それでも十分おいしかった。
特にグリークサラダは体が喜ぶうまさ。ワインビネガーとオリーブオイル(画像左のサラダの向こうに見える)を自分でかけて食べるスタイル(スペインでもフランスでも同じ地中海スタイルと言っていい食べ方)で、久し振りの生野菜は、トマトも皮をむいた太いきゅうりもどれもこれもおいしかった。
オリーブの塩漬けも佐治は嫌いと言っていたが、僕もうまいとは思わないが口に入れた瞬間「地中海の味だ!」と思わせてくれた。
ここのサラダに入っていたやぎの乳から作る白いフェタチーズはあまり塩辛くなかった。
風が強かったが、目の前に広がるエーゲ海、真っ青な空、真っ赤なテーブルクロス、テーブルの上の新鮮な野菜、太陽を受けて輝くオリーブオイルの瓶が美しかった。
エジプトで閉口した売り込みは一人だけ、自費出版したらしいCDを黒人が売りに来た他には無し、エジプトとはこうも違うものかと開放されたような気分だった。

佐治もほっとしたようで、「グリークサラダはうまかったし、海沿いのカフェでお茶するとか食事することなんかそうそうないので、とにかくミコノスにいるなって感じだった」
と、やっぱりカイロにいる時の感想とは違って穏やかな感想だった。
しばらくこのレストランで休憩した後、またミコノスタウンの港へもどった。

朝は人影が少なかったが、クルーズ船で来たと思われる白人の熟年ツーリストが一杯歩いていて、土産物屋やカフェも段々賑わって来ててリゾートらしくなってきた。
僕は港沿いに建ついかにもミコノスらしい教会(画像右)や、ミコノスのアイドルでペリカンのペドロ君(画像下。ペドロ君は3代目で3匹いて、色も大きさも違うので見分けがつくが、みんなペドロという名前なので見分けがついてもしょうがない)、さらにミコノスに来たら絶対撮影しないといけない猫君を探して写真に撮った。ミコノスの猫は、ギリシャの島で撮った猫の写真集(ドイツ人カメラマン、ハンス・シルベスタ/HANS SILVERSTERの「CATS IN THE SUN」)が出版されて以来有名なのだ。
ところが意外な事に猫は全然いないので、猫が一匹でもいると観光客に囲まれてしまい、猫は「ミャー、なんだおミャーらは」と言いたげな面倒臭そうな顔をしていた。しかし、撮らない訳にいかない。僕はしつこく追いまわした、ごめんね猫君!

我々は港に出ると、今度は佐治がアテネのホテルのロビーで聞いたビューポイントを探した。
ビューポイントは、ミコノスタウンの北側にある小さなビーチ沿いの道に面して建っているLetoというホテルの、向かって左側の狭い坂道を登った所にあり、草が生えている空き地だったがここから見える風景は「あっ!見たことある」という風景で、旅行のパンフレットでもミコノスといえばここから撮影した風景が必ず使われている所だった。
手前にミコノスタウンのビーチ、港、ミコノスタウンそして海。遠くにはミコノス島の西20kmにあるギリシャ神話の太陽神アポロンが生まれた遺跡の島、デロス島まで見えた。我々はしばらく休憩。
風景も奇麗だったが、この空き地にも黄色や赤い花が咲いていて奇麗だった。
佐治の感想も「素晴らしい!」の一言。


上の画像の左がこの時撮った写真。右はプロが同じ場所から撮った夜景。

さて、この後我々は土産物屋を見て回ったが、シルバーやゴールドのアクセサリーのショップや、しゃれた土産物を売っている店が一杯あった。
僕は早速ミコノスタウンの風景を立体的に石膏で作って色を付けたマグネットや絵葉書、いかにもミコノス風の家のミニチュアを買ったが、佐治はアクセサリー狙いで、
「えっ!もう買うんすか!信じられない」と驚いた様子。
「だってさあ、今買わないと次買えるチャンスがあるかどうかわからないよ、どこの店も値段はそう変わらないよ」と言ったが、彼は
「俺って衝動買いってしないんすよ、納得するまで渋谷ー原宿ー渋谷と往復しても全然OKです」
と言うだけあって、確かにアクセサリー屋で気に入ったものがあって、いかにも買いそうな雰囲気でも
「後でまた来る、考える」
と言ってその場では買わない事が何回もあった。

ミコノスタウンの道はほとんど迷路なので、気に入った物があったらその場で買わないと、後で行こうと思っても同じ店に行けない可能性あるので、高くないものはその場で買った方が、僕はいいと思います。ただし、小さなギリシャカレンダーやマグネット類は、アテネのプラカ地区の土産物屋の方が安い事が後でわかったので、「ミコノス島で買った」という事に価値が無いと思う方、また、たくさん買う方はプラカ地区で買った方がいいと思います(事前にプラカ地区で価格と種類をチェックしてから行くのがベスト)。

さて、僕は買い物、佐治は買い物の下見を済ませたので昼食タイム。ガイドブックに「世界のガイドブックが紹介しているタベルナ(大衆食堂)」と書いてあった「デルフィネス」という店を探したが、全然見つからず、迷路のような路地を行ったり来たりしていると、路地のベンチで本を読んでいる東洋人を発見。通りすぎる時に何気なく本を見たら日本語だったので、へーこんな所で日本語の本を読んでいるおばさんがいる、と思って通りすぎると背後から
「なんでもインフォメーションどうぞ!」と日本語で声がかかった。

一瞬警戒したが、探している店の名前を言うと
「そこはつぶれちゃったのよ」と教えてくえて、じゃあと思って第二候補の店(エヴァス・ガーデン)の名前を言うと
「そこはいい店だけど、イースターにならないとオープンしないのよ、今年のイースターは4月20日だから、4月20日からね」
と教えてくれた。
「何が食べたいの?」と聞かれたので、
「新鮮な魚を食べれる店はないですか?」と聞くと
「じゃあ連れてってあげる、ここわたしの店でアクセサリーが安いから良かった来てね、ゴールドでもシルバーでも安くしとくわよ」と名刺をくれたが、特にそれ以上PRすることはなく、
「じゃあ行きましょう!」と先導してくれた。
歩きながら
「私はもう何十年もミコノスに住んでいるのよ、こっちの人と結婚して子供もいるの。今度息子が近所の娘さんと結婚するのでうれしくて」
「私はミコノスで日本人に結婚式を世話してあげて、その人達が地球の歩き方に投書してくれて載ったこともあるのよ、載っている時は、ミコノスに来た人からトシコ(敏子?)さーん!なんて言われたわ」
「ここも来たばっかりの頃は観光地化されてなくて、本当に人が良かったわ、最近は子供をほったらかして仕事するお母さんがいるのよ」
等々、いろいろお話をしながら歩いた。
敏子さんが紹介してくれた店は「タベルナ・ニコス/ΤΑΒΕΡΝΑ ΝΙΚΟΣ」。
ガイドブックにも「ペリカンのペドロに会いたければこの店で食事を」と書かれていた有名店で、店頭に飾ってあった魚の中から敏子さんが黒鯛を選んでくれて、調理方法(塩焼き)も店の人に言ってくれた。僕の念願のムサカも注文してくれた。敏子さんとはそこでお別れ、敏子さんありがとう!

外のテーブルに座って料理を待ったが、この季節のギリシャは日が当たっていると暑いし、日陰は寒いので途中で席を変えた。ミコノスに限らずアテネでも持って行ったヨットパーカーを脱いだり着たり温度調整が結構面倒くさかった。
最初に出てきたムサカは、ナス、ズッキーニ、牛の挽肉、ゆでたポテトの輪切りを重ねて焼いた料理(画像左下)で、佐治によると「まさにナスグラタンじゃないすか?これ?」。確かに言ってしまえば、ブラウンソースのナスグラタンで、味は慣れ親しんだ味に近くておいしかった。
黒鯛の塩焼き(画像右)は、醤油が欲しくなる味で、シンプルでおいしかった。お店の人が気を使ってくれてハインツの「醤油もどき」を持って来てくれたが、これは醤油とソースを混ぜたような妙な味で、かけない方がましだった。
お勘定はビール×2、黒鯛の塩焼き、ムサカで9,500ドラクマ=2,850円/2人。

食事の後は、佐治の要望で、せっかく来たのだからスーパーパラダイスビーチに行く事になって港でボートタクシーを探したが、デロス島行きの船(トップシーズンで1日8便)は出ていたが、ビーチに行く船はトップシーズンでないと運行していないことがわかり、ミコノスタウンの反対側のバス停へ。ところがバスは止まっていたが、運行している気配が無いのでタクシーで行くことにした。
ミコノスタウンからビーチまでは20分位かかって、片道4,000ドラクマ=1,200円。高い木が一本も生えていない荒野の、しかも舗装もされてない狭い道をどんどん進んでいくと、崖の下の方にビーチはあった。
ところが、ビーチに下っていく時ちらっと見えたビーチには人影がまばら。
「やっべ〜!誰もいない....」という佐治の声が寂しそうだった。
着いた早々、運転手さんに「15分待ってて欲しい、15分経ったらミコノスタウンに帰るから」と言ったら快くOKしてくれて、我々はビーチへ。

このビーチはガイドブックには「設備が充実している人気のビーチ。ヌーディストやゲイのカップルが多い」と紹介されていた(来る時、佐治が男2人乗りでビーチ方面に向かっているバイクを見ると「あの人たちゲイなんすかねー?」とか言って、しまいには「田中さんと俺がゲイのカップルだと思われたらどうしよう」とか言って心配をしていた)。
しかし、ヌーディストやゲイのカップルなんて皆無、設備はすべてクローズしていたし、ビーチには10人位しかいなかった。波がかなり高く、僕が靴を脱いで波うち際を歩いてみると、水はひやっとする程冷たくてとても泳げる状態ではなかった。

憧れの「ギリシャ・エーゲ海、バンコク日記」の作者の松原君に「ミコノスみたいなリゾートに行くならトップシーズンに行かないと意味がないよ」と言った自分自身の言葉を思いだしてしまった(彼はトップシーズンに行った)。佐治の感想も「あんなに人がいないとは思わなかった、確かめて行くべきだった。やっちゃったって感じ」。

佐治は座り込んでぼーっとしていたが、「もう15分経ちましたよ」と事務的な一言を残してタクシーに帰って行った。佐治は「焼けるかもしれない」と言って期待していただけに残念そうだった。

帰りも4000ドラクマ払ってバス停までもどった。
そこからまたミコノスタウンを通りぬけてまた港へ。
港に着いてからは、佐治が本格的に買い物をすると言うので、待ちあわせのカフェを決めて別行動にした。
僕はまたミコノスタウンの迷路のような路地を歩いて、お土産を買い、その後は港の横の誰もいないビーチ(僕にとっては奇麗なビーチでも、地元の人にとっては単なる街中のビーチなのだろう)で奇麗な石や貝殻を拾い(画像右上)、後は砂の上に座って打ち寄せる波をぼーっと眺めていた。
視界の右方向にはクルーズ船が停泊し、目の前はエーゲ海、左方向には白いミコノスタウン。
ここの風景は見ていて飽きなかった。誰もいないビーチに座って海を眺めるなんて、なかなかないので幸せだった。

この後は待ちあわせのカフェに移動して、エジプトで我慢していた牛乳を飲みながら、今度は港越しの海を眺めた。
やがてやってきた佐治は、狙っていた買い物ができたようで満足した様子で豪華なフルーツジュースを飲んでいた(画像右)。

さて、これでミコノス島の日帰り観光も終わり。
ミコノスはとにかく「きれーな」島でした。
スーパーパラダイスビーチを往復した時に乗った同じ運転手の運転する車で空港へ向かった。
佐治には
「佐治がいなかったらミコノスに来ることは無かっただろうから、感謝してるよ。ありがとう」と言ったが、佐治は
「俺も田中さんが一緒じゃなかったら、エジプトには行かなかったでしょうねー」
と感謝の言葉はなかったが言っていた^_^
ミコノスを離れる時、佐治は
「今の俺の気持ちわかります?田中さんがカイロ最終日にピラミッドを見終わった時の気持ちと一緒ですよ。。。。」と言っていた。

佐治は「素晴らしかった、イメージ通りだった」と言っていたが、ミコノスはこの「イメージ通り」という点が重要だと思う、なかなか想像していた通りの場所はないですからね。ミコノス島の人たちも街並みが唯一の観光資源な訳ですから、イメージを守るために努力しているのだと思います。


ミコノスからの帰りの便は18:35発、アテネにはまだ明るい19:10に着いてしまった。
空港からは、中心地まで40〜1時間で着くエクスプレス・バスが便利とガイドブックには書いてあったが、それと思われるバスは停まっていたが動く気配がないので、路線バス(B2番)に乗った。ガイドブックには市内まで1時間位かかると書いてあって、失敗したかなと思っていたら、30分位で市内の中心部に近いゼウス神殿前に着いて拍子ぬけした。

この日の夕食は佐治のお腹の調子が悪いので、オリーブオイルを使っていない慣れ親しんだ醤油ベースの日本食がいいのではないかと思い、お土産屋やカフェが建ち並ぶプラカ地区の「美智子」というレストランに行くことにして、初めてプラカ地区に入った。

プラカ地区ではミコノスで買ったお土産(画像左がiMacの上に置いたお土産。高さ4cm位しかない手の平サイズ)と同じ物の価格を調査。佐治が買ったアクセサリーは同じような品がなかったらしく満足していたが、僕が買ったようなミコノスではどこにでも売っているような物は残念ながらプラカ地区にもあって、しかも1〜2割安かった。
「俺のはミコノスで買ったんだから価値が全然違うんだ!」と佐治には言ったが、ちょっと早まったかなと思った。でも最初にここに来ないとそんな事はわからないのだからしょうが無い。

我々は僕がナビをして日本食レストランを探したが、途中迷ってしまい「田中さん頼みますよー」という声を背に受けながら、あっちだこっだと歩き回り、途中佐治が急にホテルのトイレを借りたりしながら探したが、地元の人に聞くと「ミチコはクローズしたよ」との事。ガイドブックに載っているレストランでつぶれていたのはこれで2軒目だった。そこでやはり地元の人が「このあたりじゃオンリーワン」と言っていた「風林火山」という日本食レストランに入った。

ここでは、佐治は焼きそば、僕はチャーハンを食べたが、この店には日本人の板さんが一人いて、お客さんは2/3が日本人。みなさんアテネ在住か旅行代理店の添乗員さんらしき人達だった。
佐治の焼きそばはギリシャ人が作っていたが(佐治は「寿司は外人に握って欲しくないっすよねー」と言っていた)、紅しょうがに見えたものが、実は赤ピーマンの酢漬けの細切りだった事以外は特に変なところはなく、佐治は黙々と食べていた(味は「もたれる系だった」らしい)。僕のチャーハンも特に感想無し(という事は上出来だったという事か?)。
お勘定は、焼きそば、チャーハン、味噌汁、漬け物、ビールすべて1つずつ注文して6,900ドラクマ=2,070円/2人。

我々は食べ終わった後ホテルへ。こうしてミコノス島の日帰り観光は終わった。
この日も佐治にビオフェルミンをあげて寝た。
次の日はアテネ最終日。いよいよパルテノン神殿とご対面だ。最後の最後までイベントの尽きない旅だった。

ミコノス島のHP「Welcome to Mykonos」(地図もあります).。
ミコノス島については、ミコノス島に行きたくてしょうがなくて行った松原君の、憧れの「ギリシャ・エーゲ海、バンコク日記」の2日目【船でミコノスへ】、3日目【ミコノスの猫】&【ミコノスのビーチ】も読んでみて下さい。
エーゲ海クルーズツアー情報が載っているHP「【楽天市場】の船の旅クルーズプラネット」
日本発(飛行機じゃないですよ)のエーゲ海クルーズなんてすごいツアーのHPもあります「郵船トラベル特選クルーズ」



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