パルテノン神殿と市内観光 歩きすぎ!(ギリシャ最終日)

4月6日(木):最高気温22度前後、最低気温10度強。快晴(風は強かった)
(Yahoo! Weather :アテネ


この日朝起きたら佐治の顔つきが「ポワン」としていた。
明らかにきのうまでの顔と違うので「顔つきが今までと違うよ、なんつうか、消化試合の野球選手みたいだよ」と言うと「えー、そっすかー....でもそうかもしれないっすね」と言っていた。やはりミコノス島が佐治にとっては今回の旅の一大イベントだったのだろう。


この日は佐治とは別行動の日。アテネ市内を一望できる「リカビトスの丘」のケーブルカーの頂上駅で日没前の午後7時に待ち合わせる事にした。

佐治を部屋に残して、前の日は朝早くミコノスに出発したので行けなかったダイニングに朝食を食べに行くと、カイロのホテルとは天と地程違うなごめる雰囲気で、当たり前のものが当たり前に並んでいた(これが大事)。
佐治が「ここのハニーヨーグルトはうまいってガイドブックに書いてあった」と言っていたので探すと、カップに入ったものはなかったが直径60cm位もある浅い大きな器に盛られている「白い物」を発見。これが噂のヨーグルトで、取り分けようとすると意外な程ねばりがあった。味はヨーグルトらしい酸っぱさがなくなくてねとっとしていて、不思議な食感でまあまあおいしかった。

朝食に満足して出発。
パルテノン神殿の朝日を受けて輝く神殿が見たくて8:30にホテルを出てホテルの前からタクシーで駆けつけた(パルテノン神殿は8:00オープン)。
アクロポリス/ΑΚΡΟΠΟΛΗの丘は(東西300m、南北135m)、周囲を高さ50mの絶壁に囲まれた「岩山」で、この丘の上に紀元前5世紀に建設されたパルテノン神殿を始め4つの神殿、2つの聖域、2つの門の跡が残っている。
見学者は丘の西側のチケットオフィスで入場料(2000ドラクマ=600円)を払ってから糸杉に似た大きな木と背の低いオリーブの木の間のゆるやかな坂道を登っていくが、この道は朝の光が木々を照らしていて清々しかった。

やがて、急な坂道を登ってアクリポリスの正門「プロピュライア」(前門)に到着。かつてはここにもパルテノン神殿のようなドリア様式の門が建っていたそうだが、今は屋根部分は無く、壁と大理石の階段、円柱そして隣接するアテナ・ニケ神殿だけが残っている。

僕はガイドブック(「望遠郷」)に載っていた復元図を見ながら大理石の階段を登ったが、前門を詳しく見る心の余裕なんて無い、早くパルテノン神殿が見たい!早足で歩いて丘の上に出ると、あった!パルテノン神殿だ!

おー、これがパルテノン神殿かー......

朝日を背後から受け完全な逆光だったので良い写真は撮れなかったが(右の画像は東面)、僕はしばらく「西欧建築の元祖」をほーっと見上げていた。

パルテノン神殿は3段の基壇の上に建っていて、最上段の基壇は幅26m、長さ69m。基壇の上には正面に8本、側面に17本の円柱が残っている(高さ10m、直径1.9m/下部〜1.48m/上部。円柱は12のブロックでできているらしい)。
円柱には教科書で習った奈良の唐招提寺にまで伝わった「エンタシス」があった(遠くから見て柱の中央部が細く見えることを避けるために、柱の中央部を膨らました様式)。

南面の方に歩いていくと、太陽を受けた円柱の上部に建造当初の色がほんの少し残っていた。建造当初は大理石の表面に85色の彩色がされていたらしく、円柱は薄いベージュ色、壁には絵が青をバックに描かれていたそうだ(下の画像が再現図)。

僕は全体がパステルカラーの再現図と見比べながら周囲を歩き回り、地面に落ちていた大理石の破片を記念に拾い集めた^_^。
パルテノン神殿は、1687年、オスマントルコに占領されていた当時、オスマントルコ軍の司令部と弾薬庫があったため、イタリアのベネチア軍が砲撃して屋根と神殿の半分を吹き飛ばして、今の形になってしまったそうだ。さらに神殿を飾っていたレリーフや彫刻の多くがイギリスに持ち去られ、今は大英博物館にある。今は壁の復元中で、足場が組んであって作業員さんが働いていた。

アクロポリスの丘には1時間半位いたが、風が出てきたのでゲートを出て北西側に隣接するかつてのアテネの中心地「古代アゴラ」方面に降りていった。
舗装された道の左側に舗装されていない下り道があって、そこを降りていくと林の中の散歩道のようで鳥のさえずりが聞こえ、この道は気持ちがよかった(左の画像は「古代アゴラ」から見たアクロポリスの丘、この緑の丘を降りてきたのです)。

丘をいい気分で降りて行くと、古代アゴラの遺跡の長いフェンスにぶち当たってしまい。しかたないのでフェンス沿いに歩いてアポストル・パブル通りのチケットオフィスから入場(1,200ドラクマ=360円)。
古代アゴラ(アゴラ=集会の意味)はテセイオン神殿を中心としたかつてのアテネの中心部の遺跡で、広さはアクロポリスと同じ位。ここには紀元前5世紀の集会所、評議員会場、裁判所の跡が点在していて、建物はテセイオン神殿と古代アゴラ博物館しかない。
あとは白い大理石の礎石があたり一面に広がり、小さいけしの花のような赤い花が一杯咲いているだけ(画像右)。アクロポリスの丘からここまでは建物が無く、緑の丘が続いているので遺跡見物というより自然を満喫できる雰囲気だった。
神殿は規模は小さいがパルテノン神殿とは違い屋根も壁も残っているので、破壊される前のパルテノン神殿の姿はこうだったのかなと見ながら復習している感じがした。
ここでのお薦めは、古代アゴラ博物館。と言っても展示物ではなく広い「柱廊」(柱がある廊下で、外に面しているのでベランダと言った方がわかりやすいかも)で、トイレもあるしベンチもあるので休憩するのにもってこい。
古代アゴラ博物館は、そもそも紀元前2世紀の「アタロスの柱廊。アッタロスのストアとも言う」を完全に再建したもので、内部が博物館になっている。「柱廊」には展示物の一部も展示されて、セテイオン神殿も正面に見える。
博物館のチケットは入場料と共通なので入館してもよかったが、ベンチで心地好い風に吹かれながらミネラルウォーターを飲みながらしばし休憩。

旅先でベンチに座ってぼーっと遺跡を見ながら風に吹かれるのは気持ちいい。
開放された気分だ、「俺はこんな所で何やってんだ?」という気持ちにもなる。
それがまたいい。

休憩の後はさてとって事で、活動開始。
古代アゴラを出てプラカ地区まで歩いて行った。
プラカ地区に入ってからはお土産を買ったりしながら散歩気分。疲れたのでカフェに入ったが、気が抜けた感じでまたぼーっとしていた。
天気はいいし、相棒がいないので勝手きまま。ぼけっとし放題。
買い物も店頭に座り込んで見放題。海外で単独行動はなかなかいいものだ。
しかし、食事は一人じゃ寂しいので、シンタグマ広場まで歩いてマックに入ってしまった。休憩したカフェで食べれば良かったと思ったけど、なんだかんだ言ってもマックは安心で、メニューが日本とどう違うのかも見てみたい気もした。
ギリシャのマックはビールやエビフリッターがあって、エビフリッターセットがお薦めセットだった(当然「スマイル0ドラクマ」なんて書いてない。あれは日本のマックのオリジナルメニューだ。僕はてっきり外国のマックにもあるものと思っていた)。
お勘定は、チーズバーガーが300ドラクマ=90円、オレンジジュースも300ドラクマで合計600ドラクマ=180円!えっ?安すぎる?
でもレシートを確認しながら書いているので間違いないのです。^_^

チーズバーガーをトレイに乗せて大理石の階段を登って席についてから、また、アルバイトさんにアルミ製のペナペナの灰皿をもらってお土産用に確保。ここは暖房が異常に暑かったのですぐ出た。

この後アテネ大学に行こうとしたら道を間違えて、とんでもない方向に行ってしまい、歩き疲れてニューヨークみたいな黄色いタクシーを拾ってホテルに荷物を置きに帰った。

この時乗ったタクシーは不思議だった。
僕が乗った後、助手席に女子大生らしい子(後ろを振り向いて「ハーイ!」とか言ってアメリカっぽい明るい感じ)が乗って来て、ちょっと走ってから今度は僕の隣にちょっと落ち着いた感じのOLが乗って来た。
2人とも乗る前に運転手と何かしゃべり、運転手が「いいよ」というような事を言ってから乗り込んで来た。どういうシステムかと思っていたら、2人は方向は同じでも別々の所で降りて、2人とも1,000ドラクマ=300円を払って降りて行った(初乗りは200ドラクマ=60円だった、これも安すぎる?でも本当。5km位走っても470円位らしいですよ)、この時、既にメーターは1,900ドラクマ位になっていて、僕が最後に降りた時は遠回りしていたので2,000ドラクマ以上になっていたが料金は1,000ドラクマ。
こういうのを乗り合いタクシーと言うのでしょうね。
運転手は確実に儲かるが、同じ方向と言っても遠周りされるので、急ぎだったら最初に乗った人はいい迷惑だと思った。

ホテルに帰って休憩。バスタブに水を張って足を冷やした。ひんやりとして気持ちよかった。
単独行動をしているとどんどん歩いてしまい、半年分歩いた気分だった。

やれやれと思っていると「いやー疲れたー!」と言いながら佐治が帰って来た。
情報交換をちょっとして僕が再出発。
今度はホテルから歩いて10分位のオモニア広場にあるデパート(Hondos Center)に行って買い物。この時はオリーブオイルとワインビネガー入れのセットと実家の父と弟へのお土産狙い。ここは綺麗なデパートで化粧品売場が充実しているように見えたが、関係無いので素通り。家庭用品フロアーでオリーブオイルとワインビネガー入れのセットを探したが妙に洗練されたデザインしかなくいて断念。実家の父と弟へのお土産も見つからなかった。そこでいかにもギリシャっぽい彫刻と風鈴(操り人形のひもみたいな糸の先に陶器でできたカモメが一匹ずつ4匹下がっていて、カモメ同士がふつかって音が出るタイプ)を買って、また荷物を置きにホテルへ。

そうしたら、ちょうど佐治がでかけるところだった(この間1時間ちょっと)。
ここでまた情報交換。「市場がおもしろいっすよ、オレンジとレモンを実家用に買っちゃいました」、「国立考古学博物館は16:00クローズですよ」と聞き、もう15:30だったので佐治が行った
後僕も即でかけた。
しかし、早歩きで歩いているうちに、着いたところでどうせ見ている時間は限られていると思い、博物館はどうでも良くなってしまい近くの中央市場へ。ここは規模は小さかったが、トマト(ドマータ)やオレンジ(ポルトカーリ)が一杯売っていてどれも安かった。
毎度毎度外国でいちごの安さには驚かされるが、なにしろ1かご(日本の1パック位)90円!。日本だったら300〜400円なので1/3〜1/4だ。納得できない。
この後ふらふら店に適当に入りながら、待ち合わせのリカビトスの丘に向かった。

ホテルから丘までは2kmちょっと。途中素晴らしく美しいアテネ大学を見学して丘まではただひたすら歩いた。
丘のふもとに着いてケーブルカーを探したが、ケーブルカーをロープーウェイと勘違いしてしまい、塔とロープが見えるはずだと思いこんでしまって、丘を見上げながら丘にそって1km位歩いてしまった。途中オレンジの木の街路樹を「地中海らしいなー」と立ち止まって見たり、庭木にレモンの木が植わっている家を見物したりしながら歩いたが、はたとケーブルカーは地面を走るものだと気づいて、歩いて来た道をもどって駅を発見した(案内板が少ないので、注意していないと気づかない所に駅がある)。

ケーブルカーは10分毎に夜の12時過ぎまで運行していて(往復1,000ドラクマ=300円)、乗ったら車内は中国人の熟年客だらけ。北京語が車内に飛び交っていて、うるさいうるさい。こいつら遠慮ってものを知らない。ここはどこ?香港島のビクトリアピーク行きのピークトラムの車内?という感じだった。
ケーブルカーはトンネルを通って(これじゃあいくら上を見ていても見つからないわなーとニガ笑い)2分で頂上駅に到着。外に出たら強風が吹いていたが景色は良かった。山頂の展望台は、ジャンボジェットの客室の前半分位の面積しかなかく意外と狭かった。

さっきの中国人は全員整列して山頂の真っ白い教会をバックに記念撮影。
ギリシャ人ガイドが北京語で「イー・アール・サン!(1・2・3)スマイル!」とか言って写した後は、なぜか整列したまま全員で笑いながら拍手。ここは人民大会堂かっつうの!
この様子を熱々のギリシャ人カップルが、キスをしながら目だけ向けてびっくりしながら見ていたのが面白かった。

そして強風で体温を奪われるのを避けるためヨットパーカーのフードをかぶって佐治を待ったが、7時になっても7時30分になっても来やしねえ。
もうすぐ日没って時になって(7時40分ちょっと前)やっと来た。
「ひゃー、ちょうど良かったすねー」と言っていたが、もう5分遅かったら日没には間に合わなかったタイミングだった。佐治の次の言葉は「田中さん超怪しい!」。だってここに50分弱いたのだから寒いんだよ。

丘の上からはアクロポリスの丘も海も見えて奇麗だった。僕は太陽が山の稜線に隠れるのを見届けてから、山頂カフェに逃げ込んだ。
山頂カフェといっても、観光地の「ご休憩所」みたいなものではなく、コース料理(ツーリスト・コースという名前のコースもあった)もあるちゃんとしたところで、僕はここで初めて「グリーク・コーヒー」を飲んで見た。
これはなんとも粉っぽい味で、飲み終わるとデミカップに一杯粉が残る妙なもの(左の画像が飲み終わった後)。ギリシャでは普通のコーヒーの事は「フィルター・カフェー」と言うので、フィルターは当然使っていないようで「煮出したコーヒー」なのでうまいものではなかった(トルコ・コーヒーと全く同じもので、もともとはギリシャでもトルコ・コーヒーと呼ばれていたが、トルコとの関係が悪化してからグリーク・コーヒーと呼ばれるようになったそうだ)。

この後はホテルに帰る途中にあるレストランに行く予定になっていたが、僕は腹が減ったので面倒臭くなって「ここで食ってしまっても、いいんじゃないの?」と言ったが、佐治に「え〜? だめです」と却下された。
ここでは、佐治が「完全に暗くなるのを待ちましょうね」と言うので、暗くなるのを待ってから美しい夜景(画像右)を見て、ケーブルカーで丘を下りた。

ここからはまた歩き、途中ブティクやしゃれた雑貨の店が並ぶ通りを発見(丘のふもとの南西地区。ガイドブックには載っていなかった)。
ここのカフェには会社帰りらしいお客さんがオープンエアの席に50〜60人位座っていた。みんな同じ方向(道)に向って座っているので壮観だった。路地にはおしゃべりの声が反響していて、まさにラテンの雰囲気。
ここは200m位しかおしゃれな店は続いていないが、地元のおしゃれ人間(若者ではない。化粧した子供が一杯歩いている渋谷のセンター街みたいな通りはどの国にもない。日本だけ)が一杯集まっていて雰囲気が良かった。

さて、いよいよ今回の旅行の最後の夕食だ。
行ったのはアテネ大学とオモニア広場のほぼ中間点にある「イデアル/IDEAL」。
ガイドブックには「オモニアで歴史のある店。一日中客足が絶えない人気店」と書いてあって、雰囲気は結構高そうだった。
さんざん歩いたし、最後の夕ご飯だったので、記念にと思い佐治はビールを注文したが、僕はギリシャの地酒「ウゾ/OUZO」を注文した。
このウゾ。かなり前に六本木のギリシャレストランで飲んだことがあって、その時は、まるで歯磨粉を飲んでいるみたいでものすごくまずかったので、二度と飲まないと決めていたが、ギリシャに来てしまってはしょうがない。また飲んでみた。
ウゾは
アニスという薬草の風味の蒸留酒(フランスのプロヴァンスでは「パスティス」という名前)でアルコール度数は43度、色は無色透明だが、水で割ると白く濁る。まるでカルピスみたいな感じだが、飲んでびっくり、やはりまずかった........。
薬臭くて接着剤臭い。強いて言えばポーランドのズブロッカ草という香草の茎入りウォッカ「ズブロッカ」に似ている。佐治も少し飲んで「うえっ!まずいっ!。なんだろうこの味?........」と首をかしげていた。

この日もフェタチーズ(ヤギの乳のチーズ)入のグリーク・サラダ(画像下左)を食べ、メインは、僕はムサカ。
ここのムサカ(画像下中央)に使っていたポテトは、茹でた輪切りではなくてマッシュポテトを使っていた。しかもグラタン皿のような器で直接焼いて出すのではなく、1人分を取り分けて皿に盛って出すスタイルだったので上品な感じだった。
デザートはアイスクリーム(画像下右)。これはアメリカンスタイルでおいしかったが、甘いし量も多かった。でも、満足。
あーあ、終わってしまったという感じだった(お勘定は14,970ドラクマ=4,500円/2人。安い!)。



ホテルに帰ってからは最後の荷作りをして寝た。
始まった時は長く感じるが、終わってしまえばあっけないものだ。また日本に帰れば日常の世界が待っている。
でも、この旅は乗り継ぎを利用したイスタンブール観光が残っていたので、まだ良かった。



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