カイロ初日!夢のピラミッド&スフィンクス半日観光

4月1日(土)
最高気温35〜36度、最低気温10〜15度、晴天
(Yahoo! Weather :カイロlonely planet:エジプト。カイロの物価:住友商事の「世界の物価レポート」。大卒初任給/年収は17万円!)

さあ、エジプト初日。
我々の泊まった部屋は3階(イギリス式で1階がGFなので実質4階)だったが、朝も暗いうちから車のクラクションがかなりうるさくて目がさめた。早速シャワーを浴びたが、カイロの水道水が口に入らないように口をしっかり閉め、ずーっと「への字」にしているのは意外と努力が必要だった^^。シャワーの水は水道水と言っても屋上の貯水槽の水かもしれないので危ない危ない。どうせ清掃なんかしていないので、へたをすればねずみの死体が浮いてるかもしれないのだ。

もちろん2日目も歯磨きも顔を洗うのも歯ブラシを洗うのも全部「六甲のおいしい水」。
ここまでやらなくてもいいだろうと思う位がきっとちょうどいいのだ(事実一回も下痢はしなかったので、これが正解だった)。
この日以来、朝起きると佐治のミネラルウォーターのペットボトルにおいしい水を継ぎ足すのが日課になって、バスルームで口をゆすいでいる音がすると「飲むなよ〜!!」っと必ず声をかけたが、彼は初日に口をゆすいだ後少し水道水を飲んでしまい気温の激しい変化もあって2日後くらいから下痢をしてしまった。

初日のカイロ(正確にはホテルがある場所はピラミッドがあるギザ=ギーザ)の夜明けは5時40分。
この日は朝9時発の「ピラミッド&スフィンクス半日観光」の日なので僕はもう「うきうき状態」。朝食の後、ホテルのギフトショップでピラミッドの内部に持って行くためのお土産用の小さなピラミッドの置物(画像左)を買って準備OK!ピラミッドパワーを体とこの小さなピラミッドで吸収するのだ!

半日観光は、まずスカーフをした女性ガイドのアリエさん(カイロ大学の日本語学科を2年前に卒業した奇麗な日本語を話すガイドさん。色が白くて奇麗な人だった)と、この日一緒に行く親子(お母さんと娘)とホテルのロビーで朝9時に待ちあわせて出発。
アリエさんには
「タカナさんは最初アラビア人かと思ったので、アラビア語で挨拶しようかと思いました」
などと言われ面食らった。これを佐治に話したら
「言えてるかかも知れないっすよ、髭はやしたら完璧かもしれない」
と言われてしまった。僕は「そうかぁ?」と言ったが、それから車の中から見える色の黒い地元のおっさん連中を見てると「あいつらと似てるのか......」とちょっと気になってしまった。

ホテルからピラミッドまでは、ピラミッド通りをまっすぐ行くだけなので車で10分位。
ところが、まだ朝だというのにピラミッド通りはひっきりなしに鳴らすクラクションでうるさいうるさい。おまけに歩行者の無謀とも言える横断もしょっちゅうで、しかも車は車線なんか守らないし、ちょっと車が渋滞で止まると物売りまで来た。
売るならまだいいが、窓越に親指と中指をすりすりさせてバクシーシ(=アラビック。金持ちが貧乏な人にお金をあげるのは当然というイスラムの「教え」=貴捨)をくれと寄ってくるヤツまでいて、車に乗っているだけで、なんだよここ?とうんざりしてしまった。

行く途中の道路上から、最初に渋滞する車越しに見える「クフ王」のピラミッドを発見。
この時の感想は「あっ!ピラミッドだ!」とあたりまえの感想。
どんどん近づいてくると「おー!ピラミッドだ!」。
この日からピラミッドの姿が少しでも見えたら、条件反射で「ピラミッドが見える!」と言っていたので、我ながら呆れた。



ピラミッドは、古代エジプト人が来世があると信じていたナイル川の西にあり、20m位ある砂の崖の上の砂漠地域の際に建っていて、実際以上の高さに見えた。ピラミッドからは町が良く見え、佐治の感想も「こんな町の中にあるんだー」。

我々の車はクフ王のピラミッド(アラビックでは「クヨップス・ピラミッド」)ピラミッド西面の駐車場に到着。朝から30度以上あると思われる日差しの中で、真っ青な空をバックに太陽の光を受けてそびえた立つピラミッドを見上げてみると、ピラミッドは実に大きく、圧倒的な量感があった。
建設当時は表面が白く磨き上げられた石灰岩の「表装石」で全面が覆われていたそうだが、イスラム時代に全部はがされてモスクの建材に使われてしまったそうだ。今はむき出しの岩の階段状態で、建設当時と比べれば骸骨みたいなものだ(石灰岩の「表装石」は2番目に大きなピラミッドの頂上部分に残っている)。

僕は、ピラミッドを見上げながら、4500年前からここに建っていると思うと見上げただけで満足してしまった。東西南北に正確に向いた「辺」、137m(創建当時は147m=40階建て相当?)もある高さ、一辺が230mもある大きさ、1個平均2.5トンの石灰岩の岩を260万個も積み上げて作った量感。この圧倒的な「世界最大の石造建造物」の「大きさ」と「量感」はやはり写真で再現するのは無理だと思った。

我々の半日観光ツアーは、ここで簡単な説明を聞いた後、見学タイム。特に集合時間は決められず、自由行動になった。

アリエさんにピラミッドの中に入れないのかと聞いたら、
「一番小さいメンカウラー王(クフ王の孫。アラビア語では「ミケリウム・ピラミッド」)のピラミッドには後で入ります。一番大きいクフ王ピラミッド内部の見学は(見学者の出す湿気が悪影響を与えるので)1日300人に限定されています。もしあなたが入りたいと思うなら、朝8時半に来ればチケットがあるかもしない。でも、何もないです、みな泥棒に盗まれたから」
と言っていた。しかし、現存する80のピラミッドのどのピラミッドからもファラオのミイラは発見されていないので、本当に王墓かどうか結論は出ていないと来る前に読んだ本には書いてあった。


(ピラミッドの正規の入り口付近から撮影したカイロ方面=西。アスワンハイダムができるまでは駐車場のすぐ向こうの崖の下まで洪水の水が来ていたそうです)

「ムー」という「世界の謎と不思議に挑戦する」雑誌の2000年4月号には神殿説が載っていたし、食料貯蔵庫説、天文台説(ナポレオン説)もある。さらに大ピラミッドの底面の辺一周の長さを高さの2倍で割ると、円周率πに非常に近い近似値[(ピラミッドの底面の一辺×4)÷(高さ×2)≒π]が得られるが、円周率πはピラミッド建設時には知られていなく、紀元前3世紀にアルキメデスが算出した数学的真理なので、ユダヤ人(ノア)が神の計画で建設したという説もあるそうだ(「疑似歴史学事典/
ピラミッド学」には偶然πになっただけという解説が載ってます)。

写真を撮っていたら、アリエさんに
「もしあなたが登りたいと思うなら、内に入る入り口まで登れます、待っていますからどうぞ」
と言われ、建設当時の正規の入り口と盗掘用の入り口(画像右の左上)まで登ってみた。ここまでは登りやすいように所々に階段があって、10メートルの高さにある入り口まで登れるようになっている。
登って岩を近くで見てみると、1段目の岩は高さが1.5m位あったが、3段目から頂上の210段目までは65〜90cmとの事。意外と小さかった。
岩の側面は風化してでこぼこしているが、角や上面は意外と白くてつやつやしていた。しかも、その上に砂が乗っているので危ない感じで、夜明け前に137メートルもある頂上まで登って朝日を見る「盗頂」はかなり危険な感じがした。特に傾斜角が51度もあるので下りが危なさそうだった(このサイト内の、古橋君の
「ピラミッド盗頂日記」をぜひ読んでみて下さい)。

ずっと見ていたかったが、自由行動ではないので、また来ることにしてピラミッドの一辺だけ見て車に帰った(佐治がなかなか帰ってこないので後で聞いてみたら、彼は二辺見た)。

ツアーはその後一番小さいピラミッドに行きいよいよ内部の見学。長い階段を中腰になって降りていくと(左の画像は登る時撮影)、意外とあっけなくファラオのミイラが安置されていたと言われている「玄室」に到着。佐治の感想は「狭いだけ、何の印象も無い」。
確かにそこは装飾もなにも無い殺風景な所だった。しかし、僕はピラミッドパワーをもらおうと思って目を閉じて深呼吸した。
ところが、パワーをもらったのはカメラの方で、ピラミッドに入った後シャッターがおりなくなってしまった!
僕のカメラはNikonのAPSの一眼レフで、今まで3年使って一度も起きなかったのに、いきなりだ(正確に言うと、オートフォーカスのピントが合わないのでシャッターがおりなかった)。
こんな事があるなんて、やはりピラミッドパワーだろうか?そう思いたいような気もした。

我々のツアーはその後3つのピラミッドが見えるビューポイントに行って撮影タイムだったが、絶好の撮影ポイントで写真がとれない!なぜだ?マジでピラミッドパワー?と混乱してしまった。ところが何回か押すうちにたまに撮れるようになって(なぜか連続2回シャッターがおりることもあったが)なんとか数枚撮れた。本当に不思議だ。
ところで、僕は世界遺産を見ると自然とTBSの「世界遺産」のテーマが頭にがんがん流れるのが常だったが、この時は松任谷由実の「SAVE OUR SHIP」という曲が流れていた。「Save Our Ship 永遠に漂流する魂だから〜♪」というフレーズががんがん流れていた。

ギリシアの数学者フィロンが選んだ古代文明の「世界7不思議」(エジプトの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、ハルカリナッソスの巨大廟マウソレウム、オリンピアのゼウス像、エフェソスのアルテミス神殿、ロードス島の巨人像、アレクサンドリアの大灯台)の中で唯一現代でも見る事ができる大ピラミッド。
紀元前25世紀から建っていること自体が素晴らしいことだとつくづく思った。

ピラミッド見学のあとは砂漠の上に首だけ見えているスフィンクスの横を通りすぎて、お約束の土産物屋ツアーへ。まさかスフィンクスに行かないなんてないだろうな?と思ったが、ここはアリエさんを信用した。
行った土産物屋はパピルス屋と香水屋。アリエさんは「政府のお店ですから、安心です」とか言っていたが、ちょっと信用できない(みんなこう言うらしい)。パピルスでは現地の若いお兄さんがうまい日本語で
お兄さん:「パピルスの断面は三角形なので聖なる草と言われていました、なぜでしょう?」
僕:「ピラミッド!」
お兄さん:「そう、断面がピラミッドの形をしているからなのです!」
というような会話をしながら、パピルスの緑色の皮をはいで水に入れてさらし、それを交互に置いてからプレス機で押しつぶしてパピルス紙を作る製法の実演があり、僕はエジプトの古代神聖文字ヒエログリフで名前を書いてもらうお土産用の小さな絵を数枚買った。
ちなみに、TANAKAは、SAJIは。TAだけ1文字で表されるようだ。がAです。


その後行った香水屋では、ジュースをごちそうになりながら10種類位の香水のブレンドされていないエッセンス(アルコールを入れる前の香水の素)を次から次に腕やら手につけて香りをかいだが、誰も買わなかった。いくらでもブランド物の特別にブレンドされた香水があるのに、エジプトで香水を買う人なんかいるのだろうか?(右の画像は香水屋、手前の女性がアリエさん)。

お土産屋周りはうっとうしいが、僕は初めて行った国では、土産物屋ツアーでその国の特産品を知ることができるから意味が無い訳ではないと自分自身を納得させた。佐治の感想は
「パピルス屋はおもしろかった、特に古代エジプトのカレンダーがおもしろかった。香水屋もいろいろな香りを嗅げたし、ジュースも飲めたしよかった」

その後は、今度は「らくだ乗り」。一匹に2人乗ってピラミッドが見える空き地みたいな所を300m位一周した。
らくだは乗る時に前に大きく振られるので、乗るときはびっくりするが、その後は鞍に付いている木の小さな棒(昔の木でできた糸巻きみたいな形の棒)をしっかり握っていれば順調そのもの。
一緒に乗った佐治は去年の12月にプーケットで象に乗ったばかりで「象より全然恐くない」と通な事を言っていて、「象とらくだに乗ったから次はイルカだ!」と言っていた。僕は「ブハハハハッ!」というラクダの鼻息が印象的だった。

「らくだ乗り」の後は、お預け状態だったスフィンクスへ。
スフィンクスに行く前にピラミッド創建当時にファラオのミイラを作ったと言われる「河岸神殿」を見学。ここは洪水時のナイル川の川岸に建っていて(アスワンハイダムが完成するまでは、川の水はスフィンクスの目前まで来ていた。今はナイル川から8km位離れている)、岸辺から神殿に一本の道が伸びていた。ここはとりたてて面白くなかったが、ここを抜けるとスフィンクスが「いた」。
あまりにも写真で見慣れているので、始めて見た正直な感想は「本物だよー」という感じ。
大きさは写真では実感が湧かないが、本物は(つまらない感想で申し訳ないが)大きかった(高さは20m、ビルの7階建てに相当し、胴体の長さは70m)。


次に感じたのは、スフィンクスが4,500年間の砂の堆積によって周囲の地面よりかなり低い場所に建っていて、ちょっと離れると首から上しか見えないこと。僕はてっきり胴体も含めてそびえ立って見えるものと思っていたので意外だった。
スフィンクスの周囲は100年前までは首から下は埋まっていたものを掘り起こした(1853年から40年間かけて砂を除去した)だけあって、正面以外は意外と深く掘り下げられていて、見学する場所(スフィンクスの右側に面した崖の上)からスフィンクスの足元の地面までは10m位あった(足元には行けない。足元が写っている全体の写真は正面の立入禁止の場所から撮ったものだとわかった)。
スフィンクスはもとからそこにあった大きな石灰岩の岩を掘って作ったそうで、首の部分は相当風化しているが、胴体部分は砂に埋もれていたので首に比べれば状態が良く、特にライオンの「しっぽ」が胴体の右側沿いに奇麗に残っていたのが印象的だった(上の右の画像)。
吉村作治先生は、
「従来スフィンクスは、(第2ピラミッドを建てた)カフラ王の姿を映して死後のために作ったと考えられていますが、おそらく違うでしょう。スフィンクスはシェプスアンクをギリシャ人がなまって伝えたもので。シェプスは「姿」、アンクは「再生復活の神」の意味なので、「再生復活神の姿」という意味です。あそこにピラミッドも何もない時に作られ、太陽神としてあがめられていたと考えるのが妥当なんです」
と解説している。

イスラムの軍が、大砲の的にして壊したスフィンクスの鼻を見上げながらぼーっとしていたかったが、
ツアーなのであまり時間が無くてなごり惜しかったが、最後に佐治がスフィンクスと同じ方向を向いて立つポーズとキスをしている写真を撮って見学終了。
スフィンクスは、かつてナポレオンがエジプト遠征(1798年〜)の時に、スフィンクスの前で「諸君を今4500年の歴史が見下ろしている」と演説したらしいが、見下ろしていると言うより、遠くを見ていた。

さて、半日観光はここで終わってホテルへ。
帰りの車の中で、アリエさんに我々が次の日に計画していたダハシュールとサッカラ(ギーザの南約20kmにある最初のピラミッド=階段ピラミッドや最初の三角錐のピラミッド=赤ピラミッド、別名真正ピラミッドがある場所)に行くツアーの料金を聞いてみると、昼食込みで70USドル(7,700円)と高かったので、自分でタクシーをチャーターして行く決意をした。
アリエさんは「もし、あなたがお昼ご飯を食べたいと思うなら、とても良いレストランを紹介します。どうしますか?」と言うので、一緒に行っていた親子も含めて「ぜひ!」とお願いした。
レストランはピラミッドの近くにあって、窓からピラミッドが見えるレストランで観光客が一杯いた。
ここで我々はエジプト料理に初挑戦。
注文したのは「コフタ・ケバブ」(羊の肉でできた細長いつくねみたいな料理)と「STELLA」(ステラ=ラテン語で星の意味)という唯一のエジプト国産ビール(ちなみに現地の人はイスラム教なのでお酒は飲まない)。
ケバブを待っていると、最初に運ばれて来たのはステラビールと「エイシ」(画像右。エジプトでは食事の時必ず出てくるもので、インド料理のナンのような色をした小麦粉でできた薄いパン)。ステラビール(右の画像)は、カイロにいる時はずっとお世話になったが、冷えているとハイネケンに似た味でおいしいが、冷えていないと中国の青海=チンタオビールみたいな青臭い味がしていまいちだった。
エイシは、「タヒーナ」というちょっと酸っぱい白ゴマのペーストを付けて食べるのが普通らしく、混ぜ物が違う2種類のタヒーナが出た。タヒーナはゴマの味は前面に出ていないので、最初はなんの味なのか良くわからず、正体がわかるまでは不思議な味だった。
この時はこのタヒーナの他に付けあわせとして、ナスの輪切りを焼いたもの、オリーブオイルをかけた小さなトマトの1/8カット、ニンジンの酢漬けが出た。


我々はエイシにタヒーナを付けたり、焼きナスをはさんで食べたが、結構いけた。続いて出たケバブ(左の画像)はもっとおいしかった。味は羊肉の食感を残したつくねみたいな味で、味付けも塩加減も日本人には合う味。妙な味が一切しないのがうれしかった。佐治は
「超うまい!かなりいけてる。最初がこれでほっとした」
と言って喜んで奇麗に食べていた。デザートは各人にオレンジ丸ごと一個とバナナ。
最初のエジプシャン料理としては、まずまずで僕もほっとした(15USドル/1人=1600円)。

食事の後は日光がかなりきつくなってきたのでホテルの部屋で休憩。少しうとうとしてから、佐治と相談してタクシーでピラミッドにまた行くことにした。

さあ、ここで「問題の」カイロのタクシーに初挑戦。カイロのタクシーを語ると奥が深いので長くなる(^_^)。しかし、語らない訳にはいかない。要点を書くと。

1、メーターは使わないのでまったくあてにしない(動いている時もあるので、地元の人向けには使うのかも)。
2、ぼることで有名なので、交渉はしてはいけない。「ハウマッチ?」なんて禁句。「私はかもです」と言っているようなもので料金は乗る側が決める。
3、そのためには、ホテルのフロントや車寄せの係員さんにタクシーを呼んでもらって、料金も聞いてから乗るのが相場を知るために重要(各ホテルには専属のタクシーがいて、高級ホテルになるとダシュボードやステアリングにホテルの名前入りのシールがはってある)。
4、相場さえ知れば、街で流しのタクシーを拾っても「まあこんなもんだろう」と思って払えば、足りなくても追加の料金はたかが知れている。多分地元の人よりかなり多く払っているので問題は無い。
5、ピラミッドまで行く時は「ピラミッドまで」とは言わず、すぐ近くにあるメナハウス・オベロイホテルを指定してピラミッドまでは歩くべし(5分位しかかからない)。

以上は、我々も思考錯誤を繰り返して会得した知恵なのでみなさんもカイロに行ったらぜひ試してみて下さい。
ところで、なぜピラミッドに直行してはいけないかと言うと、「ピラミッドまで」なんて言ったら「カモ!」と運転手は喜んでしまうのです。喜ぶとどうなるのかと言うと、なんと途中で助手席に「売り込み人」を乗せるのです。佐治も「途中で人が助手席に乗ってきた時は、なにこいつと思ったが、(売り込みが始まったので)ああそうゆうことか、なるほどね」と思ったと言っていたが、
こいつら
「私はエジプト政府の公式ガイドです」(信じるとでも思ってるのか!)
「私は法律を勉強中のスチューデントです」(モロッコでも同じ手を使っていたが、だから何?と言いたい)
「私はジャパニーズフレンドが一杯います」(で?)
とまあ、嘘ばっかし。

やつら、言うことも決まってて、らくだか馬でピラミッドを見物する事を薦め、それを断ると土産物屋に行かないかと言ってくる。
「キャメル?ホース?」(またそれか!)
「ヤバーニ?(日本人?)」(ヤバーニ==大金持ち。カイロの公務員の大卒初任給/年収は17万円だから否定できないけど、物価が全然違うんだから単純比較はできないんだよ!)
「パピルス?フレグランス?」(今度はそれかい!)
「記念に何かくれ!」(なんだよそれ!)
「かぶっている帽子くれ!」(なんでお前に帽子をやらないと行けないんだよ!ふざけんな!)
「ボールペンくれ!」(いいかげんにしろ!)
と、とにかくうるさい。
撃退するためには、売り込みは英語なので、わかっても英語をまったくわからないふりをするか、
「ララララ!」(アラビックでNo!を何を言っても連発する。「Why?No?」とか言われても「ララララララララ!」を連発してやる)。
または英語で「キャメルも馬もパピルスもなにもかも全て乗ったし買ったからもう何もいらない」と言って撃退するしかない。
ひどいヤツになると(タルタルという自称「法律を学んでいる学生」曰く)「ピラミッドのメインゲートはきょうはクローズしているので、馬でピラミッドの裏から行かなければならない」(You mustとまで言う)、なんて大嘘をつくヤツまでいた。
売り込みに失敗するとタクシーから降りるので、とにかく撃退しないといけない。
カイロのタクシーについて書くときりがないが、とにかく相場を知る事が何より重要。そのためには最初にタクシーに乗る時は、必ずホテルの人に呼んでもらって行き先までの料金も聞き、お金を払う時は「ハウマッチ?」なんて絶対聞かないで「決めつけ」で払いましょう(タクシーは1km=5LE/150円が目安)。

さて、 我々はホテルに戻って休憩した後タクシーに乗ったわけだが、なんとピラミッドは4時でクローズ(ピラミッドの裏の砂漠側は知らないが街側には柵がある)、あわててスフィンクスまで行ったが同じくクローズ。「おい運転手! お前知ってて乗せたな!」と思ったが、後の祭り。
カイロでは午後4時を過ぎるとピラミッドが見れないので、行動が制限されることを現地で知った。

我々はしょうがないので、ホテルまで歩いて帰ろうかと思って、スフィンクスの門前町みたいなところから、中央分離帯が公園風になっている大きな道沿いに歩き始めると、
「タクシー?」
「ハロー?」
「エクスキューズミー!」
「コニチワ!」(頼むからほっといてくれ!)
とうるさいうるさい。
タクシーはクラクションを鳴らして横に止まってしまい、運転手が車の中から叫んでいた。それも何台も同じ事をする、中には徐行して後をついてくるヤツもいた。
我々はすべて無視。ただひたすら歩いた。佐治は、
「暑いしきたないし、排ガスはひどいし、タクシーもバクシーシもすべてうざかった。でも、女子学生達がハローハロー!と声をかけてきたのはうれしかった」
と言っていたが、途中ですれ違った少年まで指先を上に向けてこするしぐさで「バクシーシ!バクシーシ!」と言ってきて、佐治は、
「なんであいつらに金をやらないといけないんだ!結構いい身なりをしてるじゃねえか!」と憤慨していた。
我々は左手の町並みの向こうにピラミッドが見える大きな道をひたすら歩いてホテルに帰ろうと思ったが、ふと僕がピラミッドの近くあるメナ・ハウス・オベロイホテル(タクシーの解説の時に登場したホテル)がすぐ近くにある事を思い出して、どんなホテルなのかお茶ついでに見学する事にして行き先を変更。

メナ・ハウス・オベロイホテル(The Mena House Oberoi)は、カイロでもトップクラスのホテルで、ピラミッド周辺ではもちろんNo1。
なにしろピラミッドのメインゲートの目の前にあるので、ホテルとピラミッドの間にはピラミッドの入場券の小さなチケットオフィスがあるだけ。視界を遮るものは何も無いピラミッドビューの部屋がある贅沢なホテルだ。

ここで我々は、1階のロビーにあるカフェ(クローズされた空間なのでクーラーも効いてる)で休憩した。このカフェはピラミッドの北面を青々とした芝生越しに見ることができるし、お客も白人が多くて「売り込み」なんて当然無いので、ピラミッド見学の後で休憩するにはもってこい。
僕はここでペプシ(80LE=240円、佐治はオレンジジュース100LE=300円)を飲みながら、芝生越しのピラミッドを見ていたが、不思議な事に見ていて全然飽きなかった。

なぜ飽きないのかはわからないが、ずーっと見ていても飽きない建物なんてそうそうない。
強いて言えばバルセロナのガウディのサグラダファミリア教会も見ていて飽きなかったが、あれは大きさとよく見ると変化がある彫刻が特徴的なので飽きないのだが、ピラミッドは言ってしまえば、岩の三角山で表面に何の装飾もない建物だ。それでも飽きなかった。

しばらく休憩していると、目の前の芝生を歩いてみたくなってカフェを出て歩いてみると、風はさわやかだし、気温も低くなっていて気持ちが良かった。
佐治は「やっぱ、これでしょー!」と喜んで庭に座り込んでいたが、我々はもうちょっと上がってみた(カフェの前がピラミッドに向かって右上がりの斜面になっていて=ピラミッドのメインゲートからチケットオフィスへ行く道沿い、芝生の庭園が階段状に作られている)。
一番上に上がってみると、広い芝生とやしの木だけが数本生えている広々とした所があって、ここから見えるピラミッドは最高!
ピラミッドの手前の砂漠部分もピラミッドの裾の部分も全部見えるし、何と言っても「誰も寄って来ない!」。
鳥のさえずりと、芝生に水を与えるスプリンクラーのシュッシュッという音だけが聞こえる場所で、静かーに見ていられる。ここは良かった(右の画像)。
オベロイホテルとしても、カフェやショップを利用すれば立派なお客なので、許してくれるだろう^_^。
それにしても、今回発見した場所は、オベロイホテルの最大の売りのピラミッドビューの部屋の真下の芝生で、しかも高い場所にあるので、超穴場です(時間は日没の1時間位前からが涼しくてベスト)。

しばらくピラミッドを眺めてから夕食タイム。
この日の夕食は、吉村作治先生お薦めのレストランへ行くことを決めていた。吉村先生が「吉村作治 古代エジプトの謎を掘る」という本の中(12〜16P)で「私のお気に入りの店。ここでのハトの丸焼きは市内の高級レルトランやホテルのダイニング・ルームで出されるものに比べ比較にならないくらいおいしい」と紹介していた店なので、食べない訳にいかない。
オベロイホテルのコンシェルジェの女性に場所を聞いたら、2人で熱心に調べてくれて、吉村先生が「カジノ・ド・ハマーム」(ハマーム=アラビックでハトの意味)と書いていたレストランは、(コンシェルジェさんの言う事が正しければ)「カジノ・ド・ピジョン」(ピジョン=英語のハトの意味)の事で、ナイル川西岸のギザ橋の近くにあることがわかった(後で見たらJALのシティガイドマップにも載っていた)。コンシェルジェの女性は丁寧にアラビックで住所までメモに書いてくれて、我々はホテルの車寄せでいくらかかるか聞いてからタクシーに乗った。
このタクシー、高級ホテルのオベロイで客待ちができる資格があるだけに、外も中も奇麗でドライバーも英語が堪能。名前はHandy。50歳位のおっさんでいろいろ売り込んで来たが、次の日に計画していたダハシュールとサッカラのピラミッドに行ったらいくらか?と聞いたら2人で50USドルだと言うので、それならHISの1人70USドルより全然安いので朝8時に迎えにきてもらう事で交渉成立。佐治は、
「最初っからうさん臭いヤツだと思った。良くしゃべるヤツはイコールあやしいヤツ、日本人が(感想を)書いたノートなんて見せてあやしい、アイ・ビリーブ・ユー、ユー・ビリーブ・ミーなんて言ってたけど、まさにあやしいの代名詞的表現だ」
と警戒モード。僕がどんどん話を進め、しかもホテルの前で待ちあわせる事になってホテル名まで僕が言ったので、後で「頼んますよー、ホテル名なんか言わないで下さいよー、田中さんだけの荷物じゃないんすからね!」と注意されてしまった。

「カジノ・ド・ピジョン/CASINO DES PIGEONS」はナイル川のリバーサイドにテーブルを並べたオープンエアのレストランで(画像左。木の向こうにオレンジ色に見えるのがギザ橋近くのナイル川)、この日食べたハトのローストは「ハトの開き」2枚。味はまあこんなもんでしょうという味(画像右下。足が見えますね^_^)。
カイロのハト君は意外と油っぽかった。佐治の感想は「おいしいけど食べるところがあんまりない」。僕はマカオでもハトのローストを食べた事があるが、マカオのハトは頭付きだったので嫌だったが、カイロ程油っぽくなかった(お勘定は、ハト:16LE=480円、ビール:7LE=210円、その他込みで1人34LE=約1,000円)。
実は、帰国してから吉村先生の本を読み返したら、どうも吉村先生が言う「ガジノ・ド・ハマーム」の「ハトの丸焼き」と我々が食べたものは違うような気がして、本当に同じ店なのかはいまだにわからない。どなたかご存知でしたら教えて下さい!
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この日はHandyにレストランの前で1時間待っててもらい、車でレストランからホテルまで帰った(「食べ終わるまで外で待ってる」とHandyが言うので面倒くさくなって同意した。タクシー代はオベロイ/ギザ→レストラン/ナイル川沿い→ホテル/ギザと20km位走って70LE=2,100円)。

ホテルに帰った我々は、なんと9時過ぎに寝てしまった。
カイロは日差しがきついし、油断できないので疲れた。
佐治が「風邪をひいたかもしれない」と言うので風邪薬をあげた。旅先で病気になるのだけは避けなければならない。それもカイロで病気になっては大変だ。

ところでこの夜の深夜、佐治が生まれてから3回目の金縛りにあって、体が動かないがはっきりとした意識の中で見たものは、なんと、ツタンカーメンだったそうだ!
「首から下がぼーっと無くて、部屋の入り口から入ってきて、財布とかアクセサリーを置いていたキャビネットの上をあさっていた。夢か本当か良くわからないけど、驚いた」そうで、
聞いたこっちの方が驚いた。カイロでツタンカーメンが出てくる金縛りにあった日本人なんて佐治だけじゃないだろうか?^_^




NEXT DAY(田中編)
NEXT DAY(佐治編)
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