ホームページ管理人から一言

この日記の作者古橋君は、ホームページ管理人の「会社の後輩の友達の友達」で(かなり遠い^^;)、ご本人曰く「中学の時に沢木耕太郎の『深夜特急』に感銘を受けた」旅人です。
なぜ「登頂」ではなく「盗頂」と書くのかと言うと、ピラミッドに登る事は転落死亡事故が頻発したため禁止されているからなのです(法律で禁止されているとは思えませんが)。管理人は2000年4月にエジプトに行きましたが、行く前にこの日記を読み一時は本気で登る事を検討しましたが、禁止されている事を知っていながら「世界遺産」を登る事は、万が一の時、もう「若気の至り」とは言えない年齢なので思いとどまりました^_^(管理人のエジプト日記はこちら)。

管理人は、現地で傾斜角51度、高さ137m、1辺230mの圧倒的量感を持ったピラミッドを見上げた時、「とてもじゃないけど、これを登って降りてくるのは自分には無理だ」と思いました。見るだけで充分でした。
みなさん、「登頂」は魅力的ですが禁止されている事なので真似しないで下さいね!危険ですよ!(でもうらやましい)。

右上の画像は、ある本に載っていた「クフ王のピラミッドの頂上から撮影した朝霧に浮かぶカフラー王のピラミッド(第二ピラミッド)」です。ため息ものです... 登って運が良ければこの風景が見れるのです...

管理人が2000年4月に撮影した写真で、古橋君の足取りをたどった「盗頂GALLERY」はこちら



「ピラミッド盗頂日記」

2000年1月某日深夜、 僕は自宅のパソコンで情報収集していた。
というのも、2月に旅行に行くからである。 行き先は数国に絞っており、 ネットサーフィンをしながらしらみつぶしに 有益な情報を探していた。
そしてエジプトを調べ始めて数十分後、 一つのサイトに出会った。 「ピラミッド登頂マニュアル」 そう!エジプトにハートをがっちりキャッチされた瞬間である。


2000年2月17日( エジプト12日目)。

エジプトはこの日のために来たと言っても過言ではない。
ピラミッド盗頂。


機は熟せり。
午前3時頃、ホテルのソファで仮眠を取っていた僕を隊員が起こす。
そろそろ出発の時間だ。
洗面所へ行き、顔を洗う事で目を覚まさせ気合いを入れる。
出発だ。
そして盗頂基地として名高いサファリホテルの住民達に見送られ、 ホテルを後にする。

ホテルから人気のない外へ出ると、 それとまったく同時に僕達の目の前にタクシーが横付けしてきた。
「Where you go?」
「Pyramid!!」
そして値段交渉を済ませ、乗り込む。

ほどなくして、ドライバーが「Golf course?」
と聞いてきた。
「こやつ何故、登頂のスタート地点を知っている!?」
一瞬驚くが、 「そうか、こいつは今まで数々のチャレンジャーを乗せ ピラミッドに送り込んで来たのだな」とすぐに納得する。
「Yes,please」
僕はそう答え、タクシーは一路ギザへ向かった。

ギザ地区に到着。降車ポイントから細い路地に入る。
ふと顔を上げると、そこには満月に不気味に照らされる巨大なクフ王の姿が。
こんなにもデカいのか。
偉大なる王は、無言のまま我々を見下ろしている。
我々はその圧倒的な姿に魅入られ、一瞬気を許す。
刹那、一斉に鳴り響く叫び声が静寂を切り裂く。
野犬だ。
聞こえてくる音から、ものすごい数だという事だけは分かる。
しかも叫び止む気配はない。
このままではポリスに気づかれてしまう。
「そう言えばここは要チェックポイントだった」と後悔。
しかし、我々はこんな所でぐずぐずしている暇はない。
意を決し囲みを破り、敷地内へと続く崖をよじ登って行く。

ついに敷地内。
そこで最初に我々に待っていたのは、無数に広がる墳墓群。
地面が凸凹している上に深さ3mはあろうかという縦穴が点在。
落ちたらただではすまない。
よって慎重に歩を進めていく。今のところルートは完璧だ。
そのためにホテルで盗頂経験者からヒアリングを重ね、 何度もシュミレーションを繰り返してきたのだ。
こんな所で脱落するわけにはいかない!!
そして、ここからが本番。ポリス小屋の登場である。

誰しもが認める最大の難関である。
過去、幾多の挑戦者がこのポイントで頭を抱えてきた事か。
そう!この付近だけは隠れる場所がないのだ。
しかも今日は満月の日。
ただでさえ明るく、その困難さから登頂が避けられる日なのである。

岩陰から身を伏して様子を伺うと・・・
小屋に明かりがついてない!!
あまりにもラッキー。
足早にこのポイントをクリアし、太陽の船博物館の裏を通り過ぎる。
ついに盗頂ポイントまであと5mというとこまで来た。
王の足元には人の気配はない。
大丈夫だ、いける。「We can do it!!」

「突撃!!」4:19いよいよ盗頂開始。
一歩一歩足場を確保しつつ慎重に登る。石の高さは150cmくらいか。
意外に大きい。
10mくらい登っただろうか、下に人がいる。
ポリスだ。
こんな所で撤退するわけにはいかない。咄嗟に身をかがめる。
しかし明らかに相手はこっちを見ている。
「しくじったか!?」との思いも強くなる。
しかしそれと同時に覚悟も決まる。
「何があっても頂を盗んでやる」と。
そして猛然と、また登りはじめた。
幸いポリスも3分ほどで闇夜に消えていく。

クフ王は手ごわい。
登れど登れどなかなか頂上を見せない。
しかし登り始めること十数分、時間にして4:30過ぎ、 ついに頂上に立つ。
この盗頂者のみ味わえる征服感・達成感は感動の一言。

頂上からはカイロ市内の夜景が一望。
広がるイルミネーション、横にはうっすらとカフラー王が。
さらに上を見上げれば我々の勝利をたたえる満月や流れ星まで。
このすべてが今、我々二人のためにある。
そしてスークで買ってきた勝利のバナナをほうばる。

しばらく余韻に浸っていると、目の前に突然人影が。
一瞬ポリスかと思い緊張が走るも、別の登頂者。
しかも日本人。
さらに仲間を増やした我々6人は、
互いの勝利をたたえながら朝日を待った。

街中で早朝の礼拝を促す放送が響き渡り、 6時が過ぎしばらくした時、ついに朝もやの中から太陽が姿を現す。
かつてアドルフ=ヒトラーはこの朝日を背に、 まさにこの場所で演説をしたという。
我々6人は大胆にもその場所で人間ピラミッドを完成させ、記念撮影。
そして完全に明るくなったところで下山開始。

高さ137m、斜度52 度。転落死する人が後を絶たなかったという。しくじれば待っているのは、間違いなく”死”である。だからもう誰もポリスの姿は気にしない。 慎重に下りつづける。無駄口すら叩かない。 あらかじめ捕まって説教されて帰る事は予定内なのである。

しかし最後までポリスが寄ってくる気配はどこにもない。
唯一寄ってきたのはバクシーシ親父っぽい一人のみ(管理人注:バクシーシとはイスラム教では「喜捨」と言います、お金持ちがお金を貧しい物に分け与える事を意味しますが、もらう方は当然の権利だと思っています。実質的には「何もしてくれないのにあげるチップ」で、時には賄賂だったりする事もあります)。 我々はこの親父が走ってきたため、 全員ダッシュで散り散りにになりながら振り切る。
この時点である一つの予感が自分の頭をよぎる。
「パーフェクト達成か?」

パーフェクト達成とは、ポリスに一切捕まらず、 またバクシーシも払うことなく生還する事を指す。 まさに我々はその稀な偉業を達成しようとしているのだ。
来た道を戻っていく。 がけを降り無事に敷地内から脱出。
そして民家の裏に到着し、路地にでて帰路に就く。
まさに完全勝利。
ミスター・パーフェクトこと、 アーネスト=ホースト
(管理人注:K−1 GRAND PRIX’99で優勝したオランダのキックボクシングの選手)もびっくりのゲーム運びであった。

その後タクシーでホテルに戻り、 先達が築き上げてきた情報ノートに盗頂記録を記し、 この戦いを終えたのであった。


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