サッカラ&ダハシュール 砂漠の中にたたずむピラミッド!
4月2日(日)
最高気温35〜36度(湿度が低いので汗はかかない)、最低気温15度位、この日も晴天
(Yahoo! Weather :カイロ


さて、一夜明けてカイロ2日目。

この日はギザの南東にあるダハシュール(ギザから直線距離で約25km)と古代エジプトの首都メンフィスの西3〜4kmにあるサッカラ(ギザから直線距離で約17km)に行く日(サッカラの階段ピラミッドは地元ビールのラベルにもなっている)。
ここで午前中は階段・真正(赤)・屈折の3つのピラミッドを見て、午後はエジプト考古学博物館(カイロ博物館)を見学しようと思っていた。
「地球の歩き方」を読むと、サッカラのピラミッドはチケット売り場から2km歩くとか、いろいろ書いてあるが、あのガイドブックはバッグパッカー向けに作られていて、タクシーで行く時の相場は載っていないので、こういう時は役に立たない。

朝8時に予定通りHandy(画像右がHandyと彼の愛車)とホテルのロビーで待ちあわせて出発。
車はナイル川の豊かな緑地帯を見ながら時速80km位で進み、40分弱でダハシュールの真正ピラミッド(別名赤ピラミッド)、黒ピラミッド、屈折ピラミッドが見える「砂漠」に到着。Handyには我々は「会議出席のために来た先生と生徒」という事にしていたが、入り口のチケット売場でHandyが警官に我々の「身分」を言うと、警官がタクシーの後ろのシートに護衛として乗り込んで来てしまい、恐縮してしまった^_^(僕は専門を聞かれてしまって、まさかヒストリーとは言えなかったので「エコノミー」と答えてしまい、佐治は「田中さん教授なんすか〜?へっへっへ」とあきれていた)。

ここは素晴らしかった。
なにしろ360度砂漠しかないところにある一本道の左方向に、3つのピラミッドが遠近差はあるものの、90度位の視界の中で一望できるのだ。
砂漠の砂も、ギザの小さな石の破片入りの砂と違い、さらさらの茶色い砂でまさに砂漠の砂。
佐治も
「ダハシュールとサッカラは、これぞエジプトって感じでした。来る前のイメージ通りだった」と言っていた。
ここでは最初の三角ピラミッドで、クフ王の父親スネフェル王が建てた真正ピラミッド(基壇部220m×220m、高さ99m)の内部に入ったが、ダハシュールまで来ると観光客も少なく(画像左のバスと我々の乗ったタクシーしかいなかった)、内部にも観光客は数人しかいなかった。
ピラミッドの内部へ通じる階段(夜は北極星が正面に見える)を降りていくと、一部電気すらない真暗い通路があって、文字どおり手探りで進んでいくと、木の階段があって、そこを上がるとファラオのミイラがあったとされる玄室に到着。ここの玄室は内部に岩が何個も落ち、さすがに5000年の年月を感じさせた。

この真性ピラミッドからは遠くにスネフェル王が真性ピラミッドを建てる前に建てた屈折ピラミッドと黒ピラミッドが見え素晴らしい景色だった(画像下の左の遠くに見えるのが黒、右が屈折ピラミッド)。


視界に見えるものは360度の砂漠と3つのピラミッドだけ。
何回見ても素晴らしい風景だった。

この後行ったサッカラの丘にある階段ピラミッド(下の画像の左)は、基壇部140m×126m、高さ60m、80万トンの石灰岩を6段の階段上に積み上げた、エジプト古代史に最初に登場したジュセル王のピラミッドだ。
この階段ピラミッドは、4500年前に建てらた最も古いピラミッドだが周辺施設(ピラミッドコンプレックス)が残っていて、ジュセル王を祭った神殿の内部にはジュセル王の像が祭られ、周りの壁にはヒエログリフが彫られていて、いかにもエジプトの遺跡だった(下の画像の右)。
古代神聖文字ヒエログリフは深さ5mm位しっかり彫られていて、中にも模様があったりして、やはり本物を間近で見ると写真とは違う。逆に誰でも知っているエジプトの人物像の浮き彫りは、意外と彫りが薄く、彫りの陰影で見せるのではなく、彩色して見せることを前提にしていることが良くわかった。


 


さて、我々のダハシュール、サッカラツアーもこれで終わり。
Handyのエジプシャンレストランに行かないか?という誘いを断って、どうしてもエジプトを代表するファーストフード「コシャリ」が食いたいと言い張ったら、Handyが途中で買って彼の家族がやっている香水屋の中で食べさせてくれた。
この「コシャリ」。マックシェイクのLカップの直径を1.5倍位にして高さを低くした位の大きさのカップの中に、上から小さい焦げ茶色の豆(レンズ豆)、2cm〜3cm位の長さのスパゲティ、1cm弱の長さのマカロニ、米が層になって入っていて、ビニールに入ったトマトソース、唐辛子ベースの真っ赤なホットソース、ライムソースをお好みでかけて食べるもの。カップのまま食べてもいいが、我々はこれを皿に開けて食べた。
味は、なんじゃこりゃ?というものだった。なぜこんな食べ物があるのか不思議だった。米好き、マカロニ好き、スパゲティ好きの好みを全部満たすためにみんな入れてしまった食べ物なんだろうか?佐治の感想は
「まずくは無いけど飽きる。豆の食感がもともと嫌いなので二度と食わない」。

さて、Handyともお別れ、最後の最後までダハシュールの警官に10USドル払ったとかコシャリ代も出したからとか言って追加で20USドル欲しいとか言っていたが、「ラララララ!」と言って撃退、結局約束の50USドルにエジプトポンドで20LE(約600円)だけ追加してやった。
とにかくこいつ、使っていた扇子を娘へのお土産にくれとか(「なんでお前に扇子をあげなきゃいけねえんだよ!」と日本語で言ってやった)、俺には子供が5人いるからボールペンをくれとか、デジカメを売ってくれとか言うし、うざいやつだった。

我々はここでホテルの部屋に帰って休憩し、次はエジプト考古学博物館(入場料20LE=600円+カメラ持ち込みは10LE=300円)へ。目的はツタンカーメン。
この博物館は2階建てだが、さすがエジプト物では本場だけあって全館に所狭しと展示物が並んでいるが、なんと言っても2階の1/3のスペースを占める2000点の「ツタンカーメンの秘宝」が目玉。
特に「黄金のマスク」はちょっと暗い特別室に展示されていて、3400年も経っているのになんともいえずキラキラ輝いていた。17歳の若さで亡くなった(暗殺説もある)ツタンカーメンは、顔が小さくて少年の様な顔立ちだった。

「黄金のマスク」は僕より佐治の方が気にいったようで、彼の感想は「(考古学博物館は)ツタンカーメンにつきる、黄金のマスクは3回も4回も見た。何が良かったではなくて、引きつけられる魅力があった」。
僕はツタンカーメンの王妃アンクアセンアメンが黄金の棺の上に置いた「矢車菊の花束」を見たくて探した。愛する夫の棺の上におかれたこの花束は、ツタンカーメンの墓を1922年に発見したハワード・カーターがBBCのインタビューで「王墓から発見された2000点の出土品の中で一番私の心を打ったものはドライフラワーとなっていた矢車菊の花束でした」と答えたものだ。今では展示室の片隅に展示され暗褐色のドライフラワーになってしまっているが、これがそうかと感慨深かった。

考古学博物館の後は休憩のため、博物館のすぐ近くにあるナイル・ヒルトン/NILE HILTON へ(日本語情報はこちら)。
ここで我々はカイロの格好の「避難場所」を発見。
場所はヒルトンに隣接したモールの地下1階の「フードコート/FOOD COURT」で、博物館の前の道からも直接入れる2階建の小さなモールで、なんと言っても人が寄ってこないし、清潔なのがうれしい(画像左)。
ここにはインターネットカフェ(1時間12LE=360円)もあって5〜6台のパソコン(全てWIN)があり、早速入ってみたがさすがに日本語フォントはサポートしていなかった。
フードコートには「Shrimp Corner, Egyptian Corner,German Sausage Corner and Thai Corner」があり、ここのピタパンにチキンをはさんだショワルマ(CHICKEN SHAWERMA/エジプトでは羊の肉をはさんで食べるのが一般的)はおいしかった。
お勘定は、CHICKEN SHAWERMA×2、ビール×3、MANGO JUICE、KOFTA&KEBABで120.69LE(3,620円/2人)。ショワルマは13.5LE(405円)だったが、街で食べれば1LE(30円)位らしいのでバカ高いが、いくら安くてもきたない街の売店ではとても買って食べれないので、ここで食べるのが安心。安心代が375円だ。
カイロのマンゴージュースはおいしいと聞いていたが、街のジュース屋で買うのは心配だったのでここで飲んでみた(見た目は黄色ではなくてオレンジ色に緑色を少し混ぜたたような色。画像左)。
最初見た時は「これがマンゴージュースか?」と思ったが、飲んでみると濃厚で食べるジュースみたいでおいしかった。

帰国後、早速再現しようとしたが、見た目が似ているメキシコマンゴーでも完全には再現できなかった。しかも、果肉だけでは濃厚過ぎてカスタード位の堅さになってしまい、水を加えないといけないことがわかったが、この水がくせ者なので、やっぱり街のジュース屋では飲めません^_^。
ちなみに、ここのマンゴージュースは15LE=450円だったが、街のジュース屋さんでは1〜1.5LE=30〜45円らしいので、街の10倍。日本で缶ジュースを1,200円で飲むようなものでとんでもない値段。でもしょうがない、体が大事。
この値段じゃあ地元の人は来なくて当然、従って休憩にはもってこいの場所という訳。

我々はここで大満足。オベロイホテルのカフェとここのフードコートはカイロで見つけた2大「避難場所」だ。
来る前に何回も読んで、現地にも持って行ったエジプト関係では最高の参考書
「エジプトがすきだから。」(女性二人で100日間もディープでチープな旅をしたエジプト旅行記)にはこういう所は書いてなく、ハエがぶんぶん飛んでいる食堂で悪戦苦闘しながら食べる様子が書いてある。現地の大衆食堂で食べてみたいという方は別にして、清潔好きな方はフードコートがお薦めです。

フードコートを出てからは散歩。
我々は近くのスーク(市場)に行ってみることにして、カイロの新市街の中心部にあるタハリール広場(ミダーン・タハリール)のベンチに座って地図をチェック。時間は5時を過ぎていたので心地よい風が吹いていた。やはりカイロは夕方が快適だ。
行こうと思っていたスークは「スーク・ハーブ・イル・ルーク」で、地図を見ながら歩いていると学生さんらしい男の人に「何を探していますか?」と声をかけられ、多少警戒しながら受け答えしていると親切に道を教えてくれてあっけなくバイバイ。
佐治は「初めての無償の親切だ!」と感心していた。確かに観光客相手のスレた連中とは全然違った。
スークは小さなスークで、道の両側に果物屋やジュース屋、水タバコ屋が並んでいた。庶民的なスークで面白かったが、300m位であっけなく終わってしまい拍子抜けしてしまった。
「あれ?もう終わっちゃったよー」って事で、この際だから散歩する事にして新市街の北にあるラムセス中央駅(ルクソール行きはここから出る)方面に向って歩いてみた。

このあたりはビジネス街なので人通りはそれほど多くなく、日曜日の夕方なのでみんなのんびり歩いていた。歩いていると、なぜかおやじ二人や若者2人が腕を組んでいるのを良く見た。ガイドブックによると特別な意味は無く、単なる友達の印らしいが、考古学博物館でも肩を抱き合って階段に座っている若者もいたし、特別な意味は無いと知っていても「かなり妙」だった。

新市街では観光客とわかっても声をかけてくる事もなく、トルコ航空のオフィスに行って予約のリコンファーム(来るときの機内でアナウンスで「フライトの72時間前までに予約の再確認をして下さい」と言っていたので気になっていた。ツアーだから必要ないとは思っていたが、結局やらなくても問題なかった)をしようと思って信号待ちの間に地図を見ていると、親切に道を教えてくれる紳士もいた。「有償の親切」しかないギザとはえらい違いで、佐治は「無償の親切の人が2人もいた....」と感心していた。
街並みも、ヨーロッパを思わせる雰囲気があった。

我々は2km位歩いて、またナイル・ヒルトンにもどってお土産(置物系はここの本館の1階のショップが品数が多くてお薦め)を買ってからホテルまでタクシーで帰った(右の画像は現在の我が家のテレビの上。同じ物を2つ買うと飾るときさまになりますよ。どうです?左右にあるのがオベリスク、中央は90歳まで生き、アブシンベル神殿を始め様々な建造物を建てた「建築王」ラムセス2世様です^_^)。


次の日は、再度3大ピラミッドを見てから一番大きなスーク(ハーンハリーリ)に行くことにして、佐治にビオフェルミンをあげてから、この日も疲れて9〜10時に寝た。




NEXT DAY(田中編)
NEXT DAY(佐治編)
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