2005.07.29(Fri.)-2005.07.31(Sun.)
2005.07.29(Fri.)
上野19:00−(4005M・特急・あかぎ5号)→20:40前橋

2005.07.30(Sat.)
前橋6:57−(424M)→7:01新前橋
新前橋7:11−(9765M・快速・マリンブルーくじらなみ)→8:10土合
土合8:35−(1724M)→8:48水上
水上9:50−(1731M)→10:26越後湯沢
越後湯沢11:19−(8733M)→12:13小出
小出13:17−(430D)→17:20会津若松
会津若松17:31−(1216M・快速)→18:29郡山
郡山18:41−(1157M)→19:27福島
福島20:15−(77)→20:36飯坂温泉
飯坂温泉21:45−(80)→22:06福島

2005.07.31(Sun.)
福島8:33−(431M)→9:19米沢
米沢10:31−(3121D・快速・べにばな1号)→12:23坂町
坂町12:35−(936M)→13:31新潟
新潟14:18−(3372M・快速・くびき野2号)→15:16長岡
長岡15:34−(1344M)→15:39宮内
宮内16:23−(9764M・快速・マリンブルーくじらなみ)→18:51高崎
高崎19:15−(2290Y・快速)→20:57池袋
 名プランが水泡に帰したため、U竹氏と幹事会を繰り返して善後策を検討した結果、U竹氏が実行中の”47都道府県庁所在地宿泊”において、この時点で宿泊していなかった前橋と山形のうち、前橋に宿泊して、翌日は福島宿泊というプランを立て、実行してきました。上に挙げた、実行スケジュールは、細部を除いては幹事会での決定スケジュール通りです。
 当日も夕方まで、”りょうもう”号で赤城を経由して上毛電気鉄道で中央前橋へ向かうか、特急”あかぎ”で直行するか、判断を先延ばししていたのですが、結局は”あかぎ”利用となって、上野駅16番線に18:30に集合。入線前ですが、金曜のことであり、混雑を懸念しての集合時刻でしたが、18:45の入線時点では数人がそれぞれ乗降口で待っていただけでした。しかし、19:00の発車時点では、2人掛けのシートのどちらかは必ず埋まっている状態で発車。早速、ビールやらCAVAやらで乾杯。車販は乗車していない、とのことでしたが、新前橋までは”草津7号”と併結で14両編成、途中駅でも案外降車ばかりではなく、熊谷からでも乗車が結構あったり、それなりに入れ替わりがありましたが、高崎でほとんどが下車し、新前橋で”草津7号”を先にやってから両毛線に入って、前橋到着。
 ここで、翌日のためにU竹氏が”青春18きっぷ”を買おうとしたのですが、何と窓口営業は20:00で終了。到底、人口32万人を超える県庁所在地の代表駅とは思えません。
 しょうことなしに、駅北口徒歩3分という、カントリーホテル前橋を探して歩き始めますが、駅からホテルの看板くらい見えるだろうと思ったのに、これが見えず、少し遠回りして到着したホテルに荷物を置いて(何故か駅を背にして玄関があり、ちゃんと目立つ表示もありました、不思議です)、前橋の街をうろつきに出たものの、多くは申しませんが歩くのが苦痛になるような繁華街でした。以前は古いビルだったという記憶の、上毛電気軌道の中央前橋駅が、ずいぶんモダンな建物になっていたのにはびっくりでしたが、とてもじゃないですが入りたくなるような店もなく、前橋駅方向へ戻って、前橋駅前天然温泉 ゆ〜ゆへ。ホテルで割引券をもらっていたので、600円のところを550円、この温泉は結構でした。
 で、温泉を出て改めて一杯、と考えましたが、さてあたりにそれほど店もなく、唯一目についた、温泉からほぼ斜向かいの”十三夜 あちき”という店に入りました。焼酎の揃えがすばらしく、食べ物も美味しくてなかなかいい感じの店でしたが、翌朝が早いこともあり、軽く飲むにとどめてホテルへ。
 明けて土曜、U竹氏が”青春18きっぷ”を買わなければいけないので、6:45にホテルロビー集合。ところが、前橋駅の唯一の窓口には数人の列ができており、列車の時刻は迫るはで、結局購入できず、乗車駅証明書をもらってから新前橋へ。ここで無事購入できたからよいようなものの、さすがにもう少し何とかならないか、という気がいたしました。
 さて、新前橋から乗車した”マリンブルーくじらなみ”は、そこそこ乗客が乗ってはいましたが、空いている2人掛けのシートを見つけて着席。6両編成で指定席が2両、うち1両喫煙車ですから禁煙指定席は当然1両、上りの禁煙指定席が確保できず、念のため喫煙車の指定席という保険をかけたわけですが、確かにこれじゃあ指定の確保が大変なわけですな。
 予定通りに土合下車。”マリンブルーくじらなみ”は、海水浴列車のはずですが、ハイカーなどが結構降りて、びっくりしました。それほど時間がないので、駅名標とU竹氏の記念撮影などしてから、いよいよ階段へ。最初は1段飛ばして登っていましたが、100段も上がると余裕がなくなり、1段ずつ登っていきます。5段ごとに少し広い階段があり、高さも揃っているので登りやすくはあったのですが、さすがに462段一気に登ると疲れました。ま、おかげで酒は抜けましたが。ホームは遥か下です。階段を下る場合、階段が湧水で濡れていますから、急ぐと滑って危ないでしょうね。連絡通路の階段24段を含めて、合計486段、朝8:30にして一仕事終わった気分です。山小屋風の駅舎など眺めてから、上り列車で水上へ。しかし、これでもう、土合で降りなくともいいや、というところですな。
 水上でいったん外へ出たものの、駅にそば屋もなければ駅前のそば屋もまだやっていず、うろついている間に改札が閉まったので、待合室でおにぎりをかじって、さあどうしようかと思っていましたが、高崎からの下り列車到着前に構内に入ることができて一安心。高崎からの普通列車と、特急”水上1号”を受けてから発車。土合でのハイカー大量下車を見送って、山を越えて越後湯沢到着。
 越後湯沢では、湯沢温泉 江神共同浴場というところが7:00-10:00の営業、と調べてきたのですが、間違って西口へ出てしまったこともあり、念のため湯沢温泉総合案内所で確認すると、何と13:00営業開始、とのこと、コマクサの湯が近い、と教えられました。が、湯沢温泉として考えれば、2年前にも入浴しているうえ、コマクサの湯自体私はスキーで来たとき入ったことがあり、それより何より、炎天下7分歩くのはいかがなものか、ということで、結局駅へ。何でか理由がわかりませんが、"FUJI ROCK FESTIVAL"を富士山麓じゃなくて苗場でやっているらしく、駅構内は混雑していました。
 駅そばをたぐってから小出へ移動。只見線の列車は、よりによって非冷房車の2両編成、しかも1両はロングシート車というのが、只見線ホームで待っていましたが、まだ車内へは入れません。ここで2人で改札を出て締め出されてしまうと只見線の車窓が楽しめなくなることから、U竹氏が座席確保、私が買い出しと業務分担。
 さて、小出駅は、小出の街とは魚野川をはさんで反対にあることは知っており、3年前下車した経験からも駅前には何もないことは把握していたので、買い出しが不安ではあったのですが、それでも駅の越後湯沢寄りの、少し歩いたところに総菜屋を発見。位置関係からは小出駅と小出高校の間で、高校生御用達という感じがしましたが、弁当やらツマミやらを購入し、ぬるくなっても困るので改札の開くギリギリまで待ってから駅前の酒屋でビールと缶チューハイを購入して車内へ。小出の場合、キオスクも13:00から14:00は休憩で、時間がないと本当に買い物に困ります。
 さて、さすがに車内は蒸し風呂のようで、発車を待たずに乾杯。しかし、窓を開けていることから、走っている間は風が入ってよいものの、なかなか食事に手を出しにくい、という状況の中、多少は地元の客も降り、だんだん谷が詰まってきて大白川到着。
 大白川を出て、六十里越トンネルに入ると、今度は寒いくらいで、窓の下側を少し空かせる程度にしたものの、窓枠までまあよく冷えました。このトンネルの存在のために冷房車を入れないんじゃないかと思えたほどです。トンネルを抜けて、田子倉へ。さらに下って只見へ着くと、会津デスティネーションキャンペーンの影響か、珍しくも団体客がホームに。珍しいことに只見での停車時間はあまりなく、会津川口の停車時間を利用して兵站確保。ここもキオスクはあるのですが、駅前の酒屋を利用しました。だんだん盆地が広がってきて、酔いもともないところどころウトウトしつつも会津若松到着。
 ここから郡山までの座席確保は少々心もとない話ではあったのですが、ここでも無事に座席確保に成功。しかし、乗車したのがクロハ455-1で、元グリーン車側のシートはさすがに空いてはいませんでした。だんだんと天気が悪くなってきて、雷が鳴る中、雨もぱらつきだして郡山到着。週末は天候悪化が予測されていたので、とうとう降り始めたか、くらいに思っていましたが、どうも郡山周辺は短時間にかなり降ったらしく、1本前の福島行は運休していました。この分では福島市のふくしま花火大会は中止かな、と思っていましたが、福島が近づくと浴衣姿の女性も乗車してきて、雨天決行か?と思っているうちに終点の福島到着。
 駅東口の東横インに荷物を置いてから、小雨の中、500円の1日乗車券を買い、福島交通線で飯坂温泉へ。土休日のこの時間帯は、30分ヘッドになっていたのが予想外で、福島交通のホームでしばらく列車を待つ羽目に。”北斗星1号”を見送ってから、ようやく乗車。車内からでもところどころ、あ、遠くでやってるな、くらいのものではありますが、花火を見ることができました。
 飯坂温泉では、時間の関係もあり、駅近くの鯖湖湯へ。脱衣場と浴室の間には扉がなく、一続きの部屋になっているのがなるほど建て直したとはいえ古くからの共同浴場、という感じでしたが、とにもかくにもお湯が熱い熱い。「観光客も来るから42〜43度にしてください」なんて貼り紙もありましたが、どう考えても45度くらいあった感じで(源泉は51度だそう)、一時的に水で埋めつつ、意地で浸かりましたが、この日はそのあと、ずっと足先がしびれていました。おみそれしました、というよりなく、この分ではここより熱いらしい他の8個所の共同浴場はとてもじゃないけど回れそうにありませんね。
 鯖湖湯を出て、飯坂温泉街を歩きましたが、まさかふくしま花火大会に全部人をとられたわけでもなかろうに、土曜の夜なのに人出は少なく、すっと入れる店もなく、しかも福島行き終電が22:15ということで、結局はガラガラの電車内で風呂上がりの一杯。その後、ホテルへ戻ってから街へさまよい出ると、”たこ寅”という、大学時代を思い出させる名前のおでん屋を見つけてここで軽食を。おでん自体は、タネは関東風、出汁は関西風という感じでしたが、結構美味しく、”きつねうどん”というタネが、かんぴょうでしばった大きな揚げの中にうどんが入ったものだったのにはその意匠にびっくり。ここも酒の品ぞろえがいい店でしたが、U竹氏と意見が合って飲み屋に入ると、ほとんど外れないのがすごいところです。
 明けて日曜、1本早い奥羽線に乗車して置賜まで行って温泉に浸かる、というオプション案や、再度飯坂温泉で朝風呂に浸かる、というオプション案もありましたが、暑い中歩くのは、という越後湯沢と同様の理由と、鯖湖湯で堪能した、という理由から、ゆっくりめの出発にして米沢へ。米沢行きの電車は、かなり空いています。4駅連続スイッチバックもいまは昔、でしたが、峠駅ホームで、まだ”峠の力餅”の立ち売りをしていたのには感動しました。これはそれこそ故・宮脇俊三先生同様、例え2人で1箱であっても、買ってしまうと持て余すのは目に見えていましたので買いはしませんでしたが、多少、峠駅の停車時間は他の駅に比べて長かったように思えました。
 特に混雑することもなく、跨線橋の工事中の米沢に到着。米坂線の列車は、すでに入線していましたが、3両編成のうち、先頭1両のみ冷房車で、残りが非冷房車、これは冷房車に座席がとれないと大変なことになるので、ドアが開くまでしばらく待ってから荷物を車内に置いて買い出しに。弁当など買い込んで、飲み物も補給して車内へ。
 米坂線の列車は今泉までは快速運転、その先は快速とはいえ各駅停車でした。私が米坂線に乗車したのは、15年くらい前に1回きりで、えらいこと久しぶりでしたが、さすがに山深いところを走りますねえ。廃駅となった、玉川口と花立には、結局気づかないまま坂町到着。
 貨物列車を撮影したりしているうちに、新潟行が到着。3年前、やはりU竹氏と、村上からほぼ同じ時刻の列車に乗車したときは、ロングシートの2両編成というどうしようもない状況の上、特急が立ち往生していてえらい混雑だったのですが、今回やって来たのはセミクロスの4両編成、幸いにも2人で1ボックス占有できましたので、当初計画の新発田での新津行きへの乗り換えは中止して、そのまま新潟へ。多少乗客は増えましたが、結局、新潟までそのまま1ボックスを占有できる程度の混雑でした。
 新潟からは、快速”くびき野”で長岡へ。この車内で、米沢で購入した弁当を食べて小休止。さすが特急用車両は楽ですな。長岡で乗り継ぎ、私は買い出しのために宮内下車、U竹氏は座席確保のため塚山へ。塚山駅前には何もないことは、3年前に確認済みでしたから、当然の分業です。私たちの後ろには、「塚山で折り返せば座れるだろうし、ビールくらい買えるだろう」と話していた2人連れがいましたが、塚山はもとより、宮内にもキオスクはありませんので、結局どうなったんでしょうか。宮内で私は念のため、まず駅前の酒屋の位置を再確認し、待合室にて待機。無事に、U竹氏から座席確保の連絡があり(U竹氏含め、塚山折り返しは全部で4組6人いたとのこと)、来迎寺から乗車として購入していた喫煙車の指定券をギリギリのタイミングで払い戻し。1枚あたり190円は、掛け捨ての保険、ということですな。
 これも3年前と同じ店で買い出しを済ませてホームに降りたときに、ちょうど”マリンブルーくじらなみ”が到着。指定席は、"FUJI ROCK FESTIVAL"の影響で、越後湯沢からの乗車が多いからガラガラだろうと思っていたのですが、案外とすでに座席は埋まっていました。
 早速乾杯して、あとはゆったりしたものです。自由席はほどほどの混雑で、途中駅からの乗降も多少はありましたが、越後湯沢ですらそれほど乗車は多くなく、ゆったりとしたまま高崎へ。ここで下車して、後続列車の自由席グリーン車に乗り継いで帰ってきましたが、いやあ、やっぱり帰りが安楽なことは重要ですね。なかなかによい旅でした。
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