2003.09.06(Sat.)
新宿7:18−(9729M:快速一村一山号)→10:58越後湯沢
越後湯沢12:05−(836M)→13:29直江津
直江津13:31−(556M)→14:07糸魚川
糸魚川15:10−(432D)→16:05南小谷
南小谷16:09−(1344M)→17:06信濃大町
信濃大町17:10−(1542M)→18:47上諏訪
2003.09.07(Sun.)
上諏訪7:40−(1537M)→8:01塩尻
塩尻8:10−(824M)→10:01中津川
中津川10:10−(4704M:快速・セントラルライナー4号)→11:21名古屋
近鉄名古屋11:30−(近鉄特急:161)→11:46近鉄桑名
近鉄桑名11:53−(普通)→12:03近鉄富田
近鉄富田12:11−(普通)→12:56西藤原
西藤原13:05−(普通)→13:14伊勢治田
伊勢治田=(徒歩)=阿下喜
阿下喜13:52−(普通)→14:50西桑名
桑名14:57−(2934D:快速みえ14号)→15:20名古屋
名古屋15:35−(5238F:新快速)→16:24豊橋
豊橋16:26−(3172F)→16:58浜松
浜松17:00−(784M)→17:58焼津
焼津18:37−(790M)→18:50静岡
静岡19:34−(366M)→22:39東京
 この夏、最後に青春18きっぷが使える週末、ということで、予定通りU竹氏と1泊2日で出かけることにしました。青春18きっぷは私が3日分、U竹氏が1日分残していたので、ちょうど二人分です(もちろん、計画的に残していたのですが)。そのため、別々に入場することとして、とりあえずの集合は新宿駅4番ホームに6:45としてありました。”快速一村一山号”の指定券は1週間ほど前に入手してあったのですが、禁煙席では横に並んで2席が確保できず、指定席を保険にして自由席を確保しようという作戦です。
 6:45の時点で、すでに数人が並んでいましたが自由席の確保に問題はなさそうだったので、早速指定席を払い戻し。1人あたり、手数料が320円引かれて、190円戻ってきました。まあビール代の一部には充当できた、というところです。入線と同時に座席は埋まり、立ち客も出る混雑でしたが、私たちのシート横の床にレジャーシートを引いて座り込み、食事をとったあと今度は横になるというとんでもない客がいたのには驚きました。もっと驚いたのは、大量の乗車客のあった大宮で、座席から降車客が出たことで、それならわざわざ待って座るまでもなく、埼京線でも使った方が楽でしょうにね。
 大宮発車後もしばらくは混む一方で、水上まではこのままかと思いましたが、渋川で大量下車。水上でも少し客が減り、土合でも下車客が出て、国境の長いトンネルを抜けたらそこは雨。その直前にU竹氏が雨男を自称していただけに、なんともいいタイミングです。終点を前にした越後中里でいきなり停車し、約20分の運転停車。10:51の発車とのアナウンスがあり、これは、越後湯沢駅の構内に余裕がないからとしても、わざわざ先行する定期列車に接続させないための措置のようにも取れてしまいます。雨の中、定時に越後湯沢駅に到着。
 越後湯沢では、少し歩いて共同浴場に行こうかとも思っていたのですが、多少雨が気になったので駅建物内の”プラトー湯沢”という温泉へ。わざわざ浴用酒を入れて酒風呂にした温泉で、貸しタオルとバスタオルが付いて800円と、やっぱり高いですねえ。
 それでもよい気分になって、北越急行経由の直江津行きに乗車。六日町までの上越線内も快速運転ですが、北越急行線内は各駅停車であってもかなりスピードが出ています。六日町−犀潟間59.5kmをちょうど1時間で走破していますが、最高速度は120kmくらいは出ていたんじゃないでしょうか?それでも駅間が長く、トンネル区間も長いためロングレールが使用されていて、揺れはあまり感じません。ワンマン運転の車内で、十日町での4分停車を利用して、北越急行線の運賃を支払いましたが、もらったものは車内補充券ではなく”精算済証”というものでした。しかし、この方式では普通列車での運賃の取りはぐれが、特に青春18きっぷが使える季節には多いのではないでしょうか。
 直江津では向かいのホームに停車中の普通列車に乗り継いで糸魚川へ。構内のレンガ造りの機関庫は相変わらず健在でした。駅前で買い物を済ませてから駅へ戻り、ホームで少し並んで平岩からやってくる折り返しの列車を待ちます。やってきた列車はキハ52の単行で、車内は6割程度の座席が埋まっていました。
 列車は姫川沿いをゆっくりと上っていきますが、大糸線は相変わらず景色のよい線です。南小谷で電車に乗り換え、仁科三湖を眺めつつ、信濃大町へ。信濃大町で富士見行きに乗り換えて安曇野を走っているとき、ちょうど夕陽が北アルプスの稜線へと沈んでいきました。
 さて本日は上諏訪泊まり。”上諏訪荘”という、政府系の宿泊施設です。高山泊まりの予定を、前日に変更したものですが、U竹さんが予約の電話を入れたとき、「ちょうどキャンセルが出たところで、広い部屋が空いています」と言われたとおり、角部屋の10畳間に通されましたが、道路をはさんで向かいは諏訪湖という、眺めもよい部屋でした。夕食には海の魚が出ず(少し酢で締めたマスの刺身、アユの塩焼き、ウナギの柳川、ワカサギの天ぷら)、また、アユの塩焼きとワカサギや野菜の天ぷらが温かかったのは、食事にそれほど期待していなかっただけに結構でした。しかも、この日まで諏訪湖では毎晩花火が行われていることを知り、夕食後すぐに買い出しに出かけて、温泉で一風呂浴びてから部屋でゆっくりと花火を鑑賞できて、言うことなしでした。翌朝の部屋からの眺めです。
 翌09.07は、朝食は予約していなかったし、また、ひょっとして早く出発するかも、ということで前日に会計を済ませておいたため、すんなりと宿を出て、上諏訪駅へ。よく晴れています。故・宮脇俊三先生が、「米原や塩尻には駅ソバがよく似合う」という趣旨のことを書いてあった気がしたので、上諏訪ではなく、塩尻での乗り換え時間を利用して駅ソバの朝食を取りました(帰宅後調べると、原文は「立食いそばの食べたくなる駅がある。新庄、白河、直江津、米原、その他いくつかあるが、いずれも蒸機時代の機関車つけ替え駅である。塩尻もその一つで、…」とありました。出典は”最長片道切符の旅”の”第19日 十日町−津”の項です)。しかし、どうもホーム上にソバ屋がないというのは、情緒を損ねる気がしますな。さて、中央西線。木曽谷を明るい時間に通るのは久しぶりです。しかし、「木曽路はすべて山の中である。」とは、うまく言ったもので、さすがに島崎藤村は文豪ですね(当たり前か)。車窓の木曽谷を眺めつつ、また赤沢自然休養林を再訪したいなあ、などと考えているうちに谷が広がって中津川到着。
 中津川からは、乗車整理券の必要な快速のセントラルライナー4号に乗り換えですが、乗車整理券の売場が見つかりません。いったん改札を出て窓口へ並びかけたところで、改札口を入ったところに自動販売機を発見し、再度入場して乗車整理券を購入しましたが、これが1枚ごとしか発券できない上、号車と席が何番かのみ指定され、A席とかB席とかの指定はなく、結果として2枚買うと隣に座れるかどうかはわからない、とという代物で、まあ何か妙な気がしました。セントラルライナー号自体は、結構な乗車率でしたが、飛び込みで乗車すると、車内で発行される整理券には座席指定がなく、「空いていれば座っていいけど、その座席の整理券を持った人が来たら立ってね」という、いわば立席特急券みたいなもののようでした。
 古虎渓付近の眺めを楽しんだ後、高蔵寺で愛知環状鉄道の列車を見て、名古屋到着後、急いで近鉄名古屋へ回り、桑名までの特急券と近鉄富田までの乗車券を購入。この乗り継ぎを気にしていたのですが、結果的には余裕がありました。桑名で普通列車に乗り継ぎ、近鉄富田に到着すると、三岐鉄道の電車は、3両編成で、地下道を渡った反対側ホームの3番線に停車していました
 三岐鉄道三岐線には、はじめての乗車でしたが、ほとんどの駅に委託であれ駅員がいたことに驚きました。はっきり無人駅なのは、終点一つ手前の西野尻駅だけじゃないでしょうか。また、有人駅では、たぶん全て硬券を入手可能ではないでしょうか(西藤原と伊勢治田で硬券入場券を入手しました)。あと、貨物列車対応で、列車交換のできる駅での有効長が長いことにも驚きました。途中、日曜日なのに2本の貨物列車とすれ違いましたが、さすがにセメント輸送が主力の鉄道ですな。
 列車は田園地帯をのんびり走ります。途中、丹生川駅では、構内にこの9.15に開業予定の貨物鉄道博物館に展示されるらしい車両が留置されていました(というか、あの場所がそのまま博物館かな?)。東藤原駅を過ぎると、いきなり太平洋セメント藤原工場の構内を走る、という感じです。だんだん丘が迫ってきたところで終点の西藤原到着。”ウィステリア鉄道”という名の施設があり、ライブスチームがあったり、蒸気機関車(E102号機)や、電気機関車(いぶき502号機)、ディーゼル機関車(DB25号機)などが展示されていました。
 西藤原から伊勢治田まで戻り、今年4月に近鉄から三岐鉄道に経営主体の替わった、北勢線阿下喜駅を目指して歩きます。距離は1.5kmくらいと踏んでいましたが、雨が降らなかっただけよし、としても、逆に、日差しが強くて暑く、それほど快適な道行きではありませんでした。まあ、阿下喜から伊勢治田を目指した方が、えらいことになっていたでしょう。阿下喜に向けては大体が下りでしたからね。距離は考えても勾配を一切考慮していませんでした。
 阿下喜駅の周辺は、伊勢治田駅周辺に比べると街の中という感じでした。駅前広場はどうやらタクシーの待機場で、道路をはさんで向かいには三重交通のバスターミナルがあり、また、その隣はショッピングセンターとボウリング場がありましたが、昼下がりの人気は少なく、ショッピングセンター横の空地には後部を切り落とされた北勢線車両の廃車体(?)が置かれていました。
 阿下喜駅に戻り、西桑名行の電車に乗車しましたが、こちらもがらがらです。この線も近鉄時代含めて乗車したことがありません。それにしても、ナローゲージ車両は久しぶりなのですが、いやあ、狭い。U竹氏と向かい合って座ると、ちょうどクロスシートで向かい合っている感覚です。昼食も取りはぐれていましたが、冷房のない車内であり、まずはビールで乾杯。それにしてもよく揺れます。まるで船に乗っているようなローリングです。何か妙に、山の中を思わせる個所を走ったりしますが、カーブも急だしスピードは出ないし揺れるしで、遊園地か何かのアトラクションに乗っているようです。かと思えば、家の軒先ギリギリをかすめたり、実に面白い路線です。北大社駅では、北大社止まりの列車待ち合わせがありましたが、やってきた車両は近鉄時代の塗装のままでした。
 西桑名駅到着後、陸橋を上って桑名駅へ。多少距離がありましたが、桑名駅ホームから西桑名駅を見ると、ちょうど構内のはずれとしか思えないような位置にありました。やってきた2両編成の快速みえ14号で名古屋へ。
 名古屋駅でようやくきしめんの昼食にありついた後、東海道をひたすら東へ。しかし、浜松からのロングシートってのは、なんとかならないもんですかね。金谷で、土砂崩れのため運休中の大井川鉄道が分かれていきましたが、線路にはすでにうっすら錆が浮いていました。
 焼津で下車して、駅北口から10分程度歩いたところにある焼津黒潮温泉へ。住宅地の中にある、見つけにくいところに目的の”湯元なかむら館”はありました。まあ、銭湯のような温泉で、洗い場も更衣室も狭いのですが、400円と安いし、さっぱりしましたです。
 静岡へ到着すると、すでに366Mを待つ列ができていました。U竹氏と手分けして交替しつつ荷物番と買い出しを行いましたが、やはり19:22着では場合によっては座席確保が危ないですから、少なくともそれより1本前には静岡に着いているべきでしょうし、買い出しを考えるなら、さらにその1本前、ということになるでしょうか。
 366Mは、入線と同時に東京方はほぼ満席でしたが、後ろ寄りにはいくらか空席もあったようです。温泉から出てさっぱりしたことでもあり、早速乾杯。焼津で温泉〜366Mというのは、なかなかおすすめのパターンかも知れません。それにしてもさすがに特急型の車両だけに楽ですね。
 この366Mの車中は、ずっと混雑が続いて、立ち客も出ていました。一番面白かったのは、通路を挟んだとなりの2人がけの席に、窓側に荷物を置いて通路側で駅弁を食べていた、図々しい兄ちゃんのその後の運命だったでしょうか。静岡発車直前に、ナップザックとカートに2箱段ボールを積んだおじさんがやって来て、「ここ空いてますか?」と訊いて、通路側の席を空けさせた、まではよくあることで、「ああ、あんなもんで席取ったつもりじゃあ甘いねえ」と思っていたら、後から来たおじさんは、やおら牛丼を取り出したばかりか、刺身の入ったらしいパックに、納豆のパックとワンカップ、ご丁寧なことにお猪口まで持ち出して晩酌を始めたのにはさすがに驚きました。窓側に座っていた兄ちゃんは、迷惑そうにずっとパンフレットか何かであおいで、においが自分の席の方に来ないようにしていましたが、まあ、ご愁傷様と言うべきでしょうねえ。
 「終わりよければ全て良し」と言いますが、風呂上がりの私たちは道中3時間強、気分良く飲んで東京に帰り着いたのでした。
総目次 2003年の鉄道旅行
最近の鉄道旅行へ