2002.09.07(Sat.)
赤羽5:24−(普通・821M)−6:54高崎
高崎7:09−(普通・723M)−8:10水上
水上8:21−(普通・1729M)−8:56越後湯沢
越後湯沢9:24−(普通・832M)−10:03十日町
十日町10:50−(普通・166D)−11:30森宮野原
森宮野原11:38−(普通・131D)−12:43越後川口
越後川口12:48−(普通・1736M)−12:59小出
小出13:56−(普通・1739M)−14:03北堀之内
北堀之内14:16−(普通・1738M)−15:43水上
水上15:55−(普通・746M)−16:55高崎
高崎16:58−(普通・242D)−18:20高麗川
高麗川18:32−(普通・1868H)−18:52川越

 前回の旅で1日分18きっぷが余ったので、さてどちらが引き取るかとU竹さんと相談した結果、私が引き取った18きっぷが手元にありました。で、期限切れを前にして、JR線の乗りつぶしに出かけることにしました。東京近郊のJR線の未乗区間は、川越線の川越−高麗川間と、御殿場線の国府津−松田間なのですがこれだけ乗りに行くというのも面白くないですし、いつでも行けるという気もします。
 そこで、少し遠出して、やはり乗車したことのない、越後線、弥彦線と飯山線の森宮野原−越後川口間をまとめて片づけようかと考えました。これだけ乗車すると新潟県内完乗ですし。その場合、09.07だと、越後湯沢−新宿間に直通の快速”一村一山号”というのが走るので、これを利用しようと考えました。ところがどうも接続がうまくいきません。全行程を快速または普通利用とすると、越後湯沢で1分差で接続しないのです。快速”一村一山号”の利用を考えると(使えば何と言っても水上と高崎の乗り換えがないので楽)、十日町−越後湯沢間を特急利用とするか、越後線の柏崎−吉田間をあきらめるか、の二者択一となるのですが、肝心の”ムーンライトえちご”が09.06は満席、そして09.07もやっぱり満席ではどのみち上記3線の乗りつぶしは無理、結局09.07に日帰りで出かけることにしました。
 さて、09.07当日は、早朝小雨の中を出発。高崎線の始発を目指します。が、上野駅発車時刻の5:13には電車のみでは間に合いません。でも赤羽だとどうにか間に合うのだから埼京線はありがたいですね。朝帰りの客と朝一番で活動を始めた客を乗せて、列車は高崎線を走ります。確か鴻巣駅で、”一村一山号”の案内票を掲げた車両がいましたが、早起きで寝ぼけていたのか、今日は運行がないはずなのになあ、とぼんやり眺めて過ごしてしまいました。もともと前日09.06発の”ムーンライトえちご”利用を考えていたための錯覚なのですが、これが後々まで響きました。
 高崎からは3両編成。朝食代わりに鳥めしを購入し、食べ終わってうつらうつらするうちに沼田を過ぎ、水上が近づくと雨があがりました。
 乗り継いだ長岡行きは2両編成でした。登山客らしき客以外にも、トンネルの中の土合駅で案外降車したのには驚きました。越後湯沢で下車し、北越急行の直江津行きに乗り換えます。隣ホームの特急”はくたか”用車両は、北越急行の所有車両でした。2両編成の車両は六日町まで上越線を走りますが後ろ1両はここで切り離しです。ここから北越急行線へと乗り入れ、高規格の線路上を単行の車両が行きます。
 高架線上の十日町駅で下車し、JRの十日町駅へと乗り換えると急にローカル線に来た気分です。飯山線の車内には自転車が数台と、その持ち主が数名すでに乗車していました。少し時間があったので駅前に出てみましたがここもまた北越急行JRとで大違いでした。もっとも、北越急行側は商店街も何もなく、まさに駅裏という感じでしたが。他方で、JR側の駅前商店街も、人影はまばらでした。SLを描いた商店街の木製表示がユニークでしたが。
 これまた単行の車両は、雪の深さをうかがわせる3階建てや玄関を上げた家が目立つ沿線を走ります。ときどき、信濃川が近づいてきたり、トンネルに入ったり平地に出たりの繰り返しです。到着した森宮野原5年ぶりでしたが、時が止まっているような感じでした。ここで列車交換する、長野から来た越後川口行きの車内は意外なことに一杯でした。まあ、こちらも単行でしたけど。車内は十日町で少し降りた程度で、そのまま越後川口へ。越後川口到着で飯山線完乗です。
 上越線で小出へ移動しましたが、このあたりで雨がぱらつき始めました。小出で降りた目的は、地酒”緑川”の購入でしたが、とりあえず駅前でそばの昼食をとって、そのそば屋で聞くと、蔵元では売っていないので、駅を出て右手へ行った酒屋さんがいいよ、との話。その酒屋さんは、”富士屋酒店”という名前でしたが、代金引換で地方発送もしてくれるとの話でした。
 上りの普通まで時間があるので、時間つぶしに降りたことのなかった北堀之内へ戻りましたが、本当に何もない駅前でした。やって来た上り列車はちょうどボックスが埋まっており、ドア横の座席に座って、小出を出てしばらく先の車窓左手の田んぼの中に緑川酒造の建物を確認し、浦佐を過ぎたあたりからうつらうつらするうち、越後湯沢到着。ここでボックスがいくつか空いたのでそちらへ移りましたが、車内はそこそこ空いているにもかかわらず、ホームには立って列車を待つ客がいます。”一村一山号”待ちの乗客だったようで、それって今日は走らないはずの”一村一山号”じゃないかなあ、とまたぼんやり考えるうち、列車は越後湯沢を発車しました。
 昼間の上越線は久しぶりで、ループ線の上から下を見下ろしたり、なかなか景色を楽しめました。雨が上がっていれば湯檜曽で降りて温泉にでも浸かっていこうか、と思っていましたが、雨が激しいので断念。水上では向かいにいた上りの座席を楽に確保できたので、いったん駅の改札を出てみたところ、”一村一山号”は、今から考えると当たり前ながら、本日運転の臨時列車として掲示されていました。ところがぼんやりしていたこの時点では、時刻表にない列車ということになるのかと考えていたのだから、勘違いもここに極まれり、ということですね。きちんと確認していれば、最初からこちらを利用したのですが。水上を過ぎても、上越線はしばらく利根川に沿って景色のなかなかよい場所を走り、”ここを昼間通るのはいつ以来かなあ”とぼんやり考えているうちに高崎到着。
 いないはずの(と思いこんでいた)快速を見るのは癪でしたので、急遽予定を変えて3分接続の八高線に乗り継ぎます。3両編成の車内は結構人が乗っていましたが、駅毎にだんだん人が減ってきます。実は、東武東上線の川越市−寄居間と、東武越生線も未乗でしたので、寄居か越生で乗り換えようかなあとも思ったのですが、結局そのまま乗り通して日のとっぷり暮れた高麗川到着。乗り継いだ川越線はがらがらでしたが、それでも駅に停まる毎に少しずつにぎわってきて、座席が大体埋まるくらいになって川越到着。最後は単に未乗区間を消化しただけ、という感じでした。
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