2001年(9月−12月) 2001.12.29(Sat.) 天気もよかったことであり、子守かたがた理紗子を連れだしてチャオプラヤー・エクスプレスボートに乗せてきました。 BTS(スカイトレイン)でサパーン・タクシン駅まで行った後、最寄りのサトーン(Satorn)船着き場から折良くやってきたワット・ラーチャシンコン(Wat Rajsingkorn)行きに乗船し、終点で今度は折り返しノンタブリー(Nonthaburi)行きにシープラヤ(Si Phraya)まで乗船しました。船上での理紗子はこちら、船内の座席に座った様子がこちらです。 ノンタブリーからサトーンまでは以前に乗船したことがありますので、これで平日朝夕のノンタブリーよりさらに上流側の延長運転区間と、特急ボートの下流側の終点(ワット・ラーチャシンコンの1つ先)区間を除いて、通常運航の区間は全て乗船したことになります。乗船してみての感想はやはり、サトーン船着き場よりも上流側の利用が多いですね。日本人はあまり見かけませんが、西洋人は結構乗っています。確かに、王宮などへのアクセスとして結構便利ですし、観光にも面白いでしょう。 私と理紗子はその後、シープラヤ船着き場からはすぐそばのRoyal Orchid Sheratonを経由してリバーシティへ行き、シャングリラホテルの送迎ボートでホテルまで行った後歩いてサパーン・タクシン駅へ行き、またBTSで帰宅しましたが、理紗子も結構船が気に入ったようでした。ちょっとした市内散歩、というところでしょうか。 2001.12.08(Sat.)〜12.10(Mon.) 12月10日が憲法記念日で3連休となったので、2泊3日でホアヒン(Hua-Hin)へ行ってきました。 往路の途中、ペチャブリー(Phetchaburi)のPhra Nakhon Khiri(カオワン)に立ち寄りました。いくつか建物があるうち(Phra Prang Daeng他の建物、Phra That Chom Phet(だと思う))、ケーブルカー降り場に近い建物群(Phra Thinang Wetchayan Wichien Prasatなど)にしか立ち寄りませんでしたが、小高い丘の上の宮殿は、なかなかきれいでした。でも、個人的に一番興味深かったのはケーブルカーだったりします。丘の上にはあらかじめ聞いていたとおり猿がいっぱいで、理紗子は最初猿をとても喜んでいました。が、別の観光客の食料を狙って飛びついた猿がいたり、その後理紗子に近づいてきた猿がいたりで、最後にはかなり怖がっていました。 さて、ホアヒンでの宿泊先はSofitel Central Hua-Hin(10日撮影)で、ここは元のRailway Hotelなのだそうです。そのためでしょうがメインのレストランはRailway Restaurantという名前がついていますし、そのレストランにはSLの写真が飾られていたりします。また、Railway Hotel時代のものらしい食器類なども展示されています。なお、映画”キリングフィールド”のロケにも使われたそうです。 ホテルの全景は、9日に隣接するHilton Hua-Hin(元はMelia Hua-Hin)の17Fにある中華料理屋で昼食を取るついでに見おろしてきましたが、コテージが並ぶ領域は元は別のホテル(Mercure Hotel)だったにせよ、確かに敷地が広いなあという感じでした。Railway Wing(手前)とColonial Wing(奥)、こちらが宿泊したGarden Wing(新館)です。ついでに、北のチャアム(Cha-Am)方向の画像も置いておきます。 庭にも象(10日撮影:手前のカミさんと理紗子の大きさに注目)や鹿や蝶の形をした植え込みがあったり、また、客室も広く、プールもたくさんあり、なかなかよいホテルです。久しぶりに理紗子(9日撮影)をプールに入れてやりました。ホテル敷地からすぐに降りられる砂浜もきれいでした。 到着初日は、漁港近くの、混雑していたChaolayというシーフードレストランで食事を取りましたが、なかなかおいしかったです。 それにしてもホアヒン自体やはり著名な観光地ということか、シーフードレストラン以外にもドイツ、イタリアなど各国の料理店が多く、また、欧米人が多かったのも印象的でした。ここならば食事をホテルのみならずいろんなところで取ることができますし、2泊3日ではなく、もう少しゆったり過ごしたかった、というのが感想です。 2001.11.22(Thu.) まあ、来るべきものはいつか来る、ということなのでしょうが...”解任”とかいった形ではないですし、確かにいい形なんでしょうし、一区切りというか、潮時なのかも知れません。 岡田監督、3年間ごくろうさまでした。ありがとうございます。もうしばらく、お願いいたします。 いまは、コンサドーレの選手に一言。「リーグ最終戦は絶対に勝て」ということですね。本当に、天皇杯に優勝して気持ちよく送り出すくらい、やって欲しいものです。 願わくば、次の監督もヴィジョンというか、夢を語ることのできる人であって欲しいと思います。 2001.11.19(Mon.) ”しし座流星群”ですが、ここタイでもかなりはっきり確認することができました。ちょうど、当地00:30〜01:15くらいの間、ベランダから北を見ていましたが、数はそれほど多くないものの、非常に明るい光跡を残すものも見ることができました。数は自信がありませんが、明るいものについては、1998年の際よりもたくさん見えたように思いました。 2001.11.15(Thu.) 本日の読売新聞衛星版1面トップの見出しですが、黒字に白ヌキで カンダハル陥落か ...東スポかい、これは。 さらに、見出しの横には”タリバン ゲリラ戦に移行?”と、しっかり”?”入りの見出し(こういうのはなんて言うんでしょうか?小見出しでいい?)が記載されています。ますます東スポですな。 ちなみに私は、「東スポは日本唯一のクオリティ・ペーパーである」と考えています。読売新聞は、クオリティ・ペーパーを見習っているわけですな。この点は素直に感心していますし、実に立派だと思います。 2001.11.11(Sun.) ようやく雨期も終わったようで、昼間の日差しこそきついものの、過ごしやすい乾期がやってきました。久しぶりに理紗子を4Fの遊び場に連れていってやりました。 昼食はスクムヴィットの韓国人街にあるビルの焼肉屋に行ったのですが、韓国海軍の水兵さんがビル周辺にたくさんいました。練習艦隊でも入港していたんでしょうか? 2001.11.04(Sun.) コンサドーレ、昨日はホームで浦和レッズに1-1で引き分け。15位の 次の目標は、勝ち点39、9位確保ですね。アウェイ2試合はいずれも上位チーム(市原、柏)、最終戦は降格の決まってしまったセレッソですが、2勝しないと目標勝ち点には届きませんから、結構骨ですな。というか、この当初の目標勝ち点って、実に適切な目標だったと言うべきなんでしょうかねえ。 2001.10.31(Wed.)〜11.1(Thu.) 週の真ん中ですが、ちょうど2001.10.31が”ロイクラトーン”でしたので、見物かたがたShangri-La Hotelに宿泊してきました。ちなみに、”ロイクラトーン”とはタイ版の灯籠流しと考えていただければよいでしょう。 今回は、前回と異なり、Krungthep Wingに宿泊してみました。泊まった部屋は12階です。さすがに値段が高いだけのことはあり、以前泊まったShangri-La Wingよりも部屋が広く、シャワーも浴槽とは別になっていました。 また、ちょっとしたバルコニーが設けられており、川の風景が上流側から下流側まで眺めることができたのも大きな違いでした。ちなみに、対岸のPeninsulaは、Krungthep Wingのやや上流側です(撮影はいずれも2001.11.01)。 さて、”ロイクラトーン”ですが、私は昨年、出張先のカンチャナナブリでちょうど見物する機会に恵まれたのですが、カミさんと理紗子は見たことがありません。カミさんは、クラトーン(灯籠です)を自分で流してみたいとのことだったので、ホテルのロイクラトーンビュッフェディナー、一人にクラトーン1個付き、というのを予約してみた次第です。そのあと帰りが面倒なのでついでに泊まってしまおうというプランでした。 で、結論。予想通り、ロイクラトーンビュッフェメニューには大したものはなく、「なんでこんな食い物にこの値段を」という感じでした。まあ、ビュッフェメニューとはそういうものかもしれませんけど、それにしてもねえ。 よかった点は、間近に花火を見ることができた点でしょうか。花火はチャオプラヤ川に浮かんだ船から打ち上げられていましたが、まるで艦砲射撃か対空砲火か、という感じでした。 クラトーンは、チャオプラヤ川の波が結構あることと(船のせいかな?)、周囲が明るいので私にはいま一つでしたが、カミさんは喜んでいたのでまあいいでしょう。 たぶんこの日の正解は、通常通りのメニューのあるホテル内のレストランで食事をし、部屋で花火を見て、おもむろに22:30くらいに、持ち込んだクラトーンを流しに行くことのように思えます。 2001.10.21(Sun.) 昨日の近況報告を書いた後、今年で開業125年を迎えたThe Oriental Bangkokに泊まりに行って来ました。宿泊したのはRiver Wingの14Fで(Authors' Suiteには泊まれるはずもありませんな)、窓からの眺めはこちらです。なお、画像は全て2001.10.21の撮影です。 部屋の内装はコロニアル風というのでしょうか、先にスコータイホテルに泊まったことがあったためか、同じような印象を持ちました。部屋専用のFAXもあれば事務用品も準備されており、ビジネスユースにも十分使えるというところまで同じような印象です。ひとつよくわからなかったのは、トイレの内側にあった鎧戸で、これを開くと部屋とトイレの間はガラス1枚になってしまうのですが、一体何なんでしょうかね? サービスは「さすが定評のある」という印象です。例えば、いったん着いてすぐ、フィルムを買うために部屋から出たとき、フロアのゲストリレーション(たぶん各フロアにあるのでしょう)の従業員が名前を呼びかけてきたりしましたが、これは客の名前をすぐに把握して接客に努めようということなのでしょう。また、従業員の数も他のホテルに比べると多いように思われました。ちなみに、このぬいぐるみのクマは、14Fのゲストリレーションで頂いたものです。背中にはホテルのマークが入っています。 食事については、夕食は"Riverside Terrace"でバーベキューブッフェにしてみましたが、バーベキュー以外のメニューも充実していてよかったと思います。ただ、船着き場とホテルロビーを結ぶ通路にあたる位置ですので、やや落ち着かない感じはします(それが子連れの当方には、理紗子が騒いでもあまり目立たないのでかえってよかったかもしれません)。また、朝食は別料金でしたのでとりませんでしたが、昼食は"China House"で点心を食べて帰りました。こちらは味はいいのですが、ややサーブが遅かったように思います。 お約束(?)の理紗子の写真ですが、庭、ロビー、船着き場(スパなどがある、川の対岸の方です)で撮影してみました。 2001.10.20(Sat.) コンサドーレ、ホームでジュビロ磐田に1-2で敗れ、5連勝ならず。15位の なお、 ここからは翌日の補完ですが、夜、NHKワールドプレミアムのニュース(サタデースポーツ)で、ジュビロのゴールシーンのみが放映されましたが、2点ともDFのミスからでしたね。ありきたりな感想ながら、こういったところでミスを見逃さないのが、やはりジュビロの強さでしょうか。 2001.10.17(Wed.) コンサドーレ、ホームでサンフレッチェ広島を4-2で破り、勝ち点は33に。これで第2ステージは4連敗の後、1引き分けを挟んで4連勝。前半2-0のゲームを後半いったんは追いつかれたものの、2点を追加して逃げ切りに成功したようです。追いつかれた試合を突き放して勝ったあたりに価値があるかと。 15位の なお、本日の厚別は気温9度だったそうです。バンコクにいると見当もつかない寒さですな。 2001.10.16(Tue.) 雨季にはめずらしく、本日のバンコクは一日中晴天でした。でも、1日晴れたとはいえ、カラッとした感じの風も吹かず、相変わらず湿っぽい空気に包まれていますので、まだ雨季が終わったという訳ではないんでしょう。昨年は、11月に入ったとたん、まさに「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」というのはこういうことか、と思ったくらい、涼しい風が吹いて涼季に入ったのがよくわかったのですが。 先週銃刀法違反及び覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕された田原成貴調教師のことについて。どうも、逮捕以来気持ちの中で引っかかっていた(今も何か引っかかっています)ので書いてしまいます。最初に一報をWebで読んだときは、「銃刀法違反で羽田空港で現行犯逮捕」だったので、てっきり「刃物を持ち込む・持ち込まない」でもめたあげくに現行犯逮捕されただけだろうと思っていたのですが。 田原調教師の現役ジョッキー時代、目の前でトウカイテイオーの有馬記念を見ていて、単勝をとったこともありましたし、サンエイサンキューを巡る騒動なども忘れられませんが(これはその後の雑誌などのメディアを見る限り、当時の”サンケイスポーツ”紙の報道にかなり問題があったように私には思われます)、競馬界では非常に個性的な、というか、ものをはっきり言う多才な人でしたから、ありきたりな表現ながら非常に残念、というしかありません。というか、田原調教師が考える美学、というかダンディズムはそんなものだったんですか?という失望感とでも言いましょうか。 今年、馬の耳に発信機をつけたことにより罰金をJRAから科された後、自分の公式サイトで「俺のことなら大丈夫」と書いていましたが、今にして思うと、精一杯の虚勢だったのかも知れません。確かに、神経質、というか、秀才らしい線の細さみたいなものをどこかに感じないわけではありませんでした。 本件については、先週土曜日発売の日刊ゲンダイ(関東版)の連載小説「止まり木ブルース」で、塩崎利雄氏がどのように書いていたかにも興味があります。バンコクではさすがに読めないしなあ。 なおその後の報道などを見る限り、JRAは調教師免許剥奪の後、永久追放を考えているようですが、やむを得ないでしょうね。ただ、いまこれを言うのは早いにしても将来は、文章を書いていくとか、何らかの形で競馬に関わって復活して欲しいものと思います。やっぱり競馬界にいないと寂しい人です。 余談ながら、田原調教師は1959年生まれだそうですが、私はもっと年上の人かと思っていました。 2001.10.13(Sat.) コンサドーレ、アウェイで ところで、J2はえらいことになっています。1位〜5位が勝ち点3の間にひしめいており、しかも6位の新潟も1位との勝ち点差は6、いよいよ目が離せなくなってきました。 2001.10.4(Thu.)〜9(Tue.) 義妹の結婚式出席のため、一時帰国してました。内容はこちらです。前回日本に帰国した際に買った、Visor Platinumを使って書いたメモに若干手を入れたものですので、文体が少し違います。こういった旅行の際などには、Visorは結構重宝しますね。特に折り畳みキーボードとの組み合わせが秀逸と思います。 実は、このVisor、34,800円の定価が29,800円に下がったときに買ったのですが、その後1か月半程度の間に、24,800円、14,800円と定価の改定が行われており、正直なところ全く悔しくないという訳にはいきません。何と言ってもVisor Prismが買える値段ですからねえ。 2001.9.30(Sun.) コンサドーレ、昨日は5-2で神戸を撃破。いやあ、5点も取るとは思いませんでした。次節は2週間後、アウェイで 2001.9.23(Sun.) 休みでもあるし、バイヨークスカイタワー(Baiyoke Sky Tower:バンコクで一番高い建物)に登ってきました。18Fのホテルロビーで1人120バーツの入場料を払って、まずは77Fの室内展望台へ。ここまで来るとさすがに見晴らしがよく、バンコクが一望の下に見渡せます。その77Fにあった、バイヨークスカイタワーのパネルをバックに、理紗子の記念撮影をしてみました。う〜ん、フレームアップ(でいいのか?)がイマイチですね。今日はじまったことじゃあありませんが。 で、さらにエレベータで83Fに上がり、そこから階段で最上階(84F)の回転展望台へ(床のパネルが動きます)。ご覧の通り、素のまんまの展望台で、これは風が強いとたまらんでしょうね。今日は風もなくおだやかでした。 2001.9.22(Sat.) コンサドーレ、本日は延長の末スコアレスドロー。アウェイで2人退場していたことを考えると上々といえるでしょう。勝ち点1もらったわけですしね。 2001.9.15(Sat.) コンサドーレ、4連敗で何とか止まりました。清水に延長Vゴール勝ちで清水に対しては初勝利、今季延長での勝利も初めてです。Webの試合速報からすると、勝ち点1損したような気もしますが、何はともあれほっとしました。Vゴールを決めたのが山形からレンタル移籍したばかりのFW堀井だった、というのも劇的ですね。アダウトも1ゴール決めたみたいですし。 これをきっかけに、とにかく残留を確定させて欲しいものです。ホントに。 2001.9.11(Tue.) 日本から帰国して2ヶ月以上経っていたのに、タイムゾーンを戻すのを忘れていました。そりゃ、うまくメールのソートができないわけです。 台風情報を見ようとNHKワールドプレミアムをつけたらU.S.がえらいことになっています。どんどんニュースが入ってきますが、いやはや何を言ったらよいものか。CNNはサイト自体接続できない状況です。 2001.9.8(Sat.) J1セカンドステージ、コンサドーレ開幕4連敗。洒落にならなくなってきました。今季はじめて3点撮ったことは収穫ですが。 2001.9.2(Sun.) ここのところちょくちょく理紗子を連れてBTS(スカイトレイン)に乗車しています。カミさんが理紗子を連れずに外出したいときなど、予め連れ出してしまうわけです。 今日は最寄り駅からBTSスクムヴィット線終点のMo Chit駅まで往復してきました。実は、Phaya Thai駅から北はまだ乗車していませんでしたので、これで完乗です。決して自分の乗車のために理紗子をダシに使っているわけではありません。 理紗子も車内のイスに座って満足そうでしたし、それ以上に帰りに立ち寄るスターバックスが気に入っている、ということかも知れませんが。 「パパと電車乗りに行く」としょっちゅう言われますので、今のところは理紗子も案外気に入っているようです。英才教育を施している、わけではないと思います。 News back number contents Back to Home |