1998年
番外編:1997.09.09(Tue.)はこちら
1998.12.23(Wed.)
 私たちの住んでいる同じ美浜区内ではあっても、今まで出かけたことはなかったのですが、幕張新都心の住宅街・パティオス(JR京葉線海浜幕張駅が最寄り)へ、クリスマスイルミネーションを見物に行ってきました。確か昨年?から、住宅街の中のマンションの各家庭、あるいは何軒かが合同で、さらには建物によっては全体で、このようなライトアップを行っているとのことです。私たち以外にも、かなりの観光客が見物に来ていました。
 ここにいくつか画像を載せておきますが、実物は点滅したりしますからもっときれいでした。実はこのホームページ、期間限定で表紙の画像をこれにしていましたから、すっかりクリスマスになっていましたね。
1998.12.05(Sat.)
 札幌−福岡のJ1参入第2戦を、わが家では家族全員サポーターと共にテレビ観戦していました。
 結果はと言えば、ご承知のとおり、
   福岡3−0札幌:トータル4−0で福岡がJ1参入決定
ということで、わが家では心なしかサポーターもがっかりしていたようでした。
 試合内容はと言えば、例によって札幌が前半押しまくっているにもかかわらずあと一歩の詰めが甘く無得点、後半開始早々に相手に点を取られて涙目になってあせってかかっていって、結局攻撃の形もまともに作れずに追加点を入れられてジ・エンドという、J1参入戦で見慣れた結果となってしまったのでした。今日も、前半バウテルのFKがバーに蹴られた時点で、「あ〜あツキがないなあ、いやな感じだなあ」、と思ってしまったのも事実でしたが。
 それにしても、あの寒い室蘭で、3−0になっても熱心に応援していたコンサドーレサポーターのためにも、最後意地を見せて1点でも返して欲しかったです。なんか後半のロスタイムは、呆然としてピッチに突っ立っていただけ、って選手が見受けられましたからねえ。
 これで、コンサドーレ札幌は来年はJ2で戦うことになりますが、この経験を生かして、岡田新監督の元(本当に来るのか?)、J1昇格目指して新たなスタートを切って欲しいものです(ありきたりですが)。J2といえども甘くはないでしょうが。
 福岡の皆様方におかれましては、今年の経験を生かして、来期J1で活躍していただきたいものです。某ヴェルディ川崎(ちっとも”某”じゃないな)に負けたりしたら許さん、とわが家のサポーターも申しております。他チームの皆様方とともに、来期はぜひ某ヴェルディ川崎(だからちっとも”某”になってない(^^;)をJ2にたたき落としていただきたいものです。
 それにしても、J1参入戦は見ていて面白かったので、来年以降はJ1とJ2の入れ替え戦をやれば盛り上がりますよね。該当チームの関係者はたまらないでしょうけど。
1998.11.18(Wed.)
 しし座流星群が気になって夜更かししています(この文章を書いている現在3:25です。まさしく『現在進行形』ですな)。というより、11.17(Tue.)夜の天気予報はまずまずだったので、「これはしし座流星群が見えるかも」と思うと、翌朝のことを省みず興奮して眠れなくなった、というあたりが真相かも知れません。
 都心ほどではないとは言え、千葉市内のわが家のベランダからの夜景は結構明るいですし、本当に見えるかなあ、と半信半疑の部分はあったのですが、たくさんの流れ星を、はっきりと非常に明るいものもいくつか含めて、見ることができました(付記:実際は予想よりは数も少なく、極大の時間もずれていたみたいですね)。
 カミさんは、最初寝ていたのですが、「流れ星が見えたよ」というと、(寝起きの悪いいつもに似合わず)さっと起きてベランダに出て、ちょうどはっきりと明るいのが見えたので「流れ星を見たのは初めてかも」と言って、えらく感動していました。カミさん曰く「気が短いからゆっくり夜空を見たことなんてなかった」のだそうです。
 わが家のベランダは南向きで、すぐ東には建物があり、最上階でもないですから、そんなに今回の観測に条件がいいというわけでもないのですが、それでも夜更かしの甲斐があった、というものです。南の空には、オリオン座とおおいぬ座がきれいに見えていました。
1998.11.03(Tue.)
 10.17(Sat.)〜25(Sun.)にかけてトロントに出張に行ったり、ばたばたしていました。トロント出張時にも少々鉄道には乗りましたので、これは追々「最近の鉄道旅行」に書くとして(1998.12.05付記:書きました)、11.01(Sun.)に、富士吉田市の”ホテル鐘山苑”というところで行われた、大学時代の下宿の先輩の結婚式に出席してきました。以下、内輪じゃないとわからない話がかなり混じっています。
 ホテル自体もとにかく建て増しを繰り返して広げたような感じで、まるでdungeonのごとくアップダウン付きで広くかつ複雑だったのですが、披露宴で何が驚いたと言って、新郎新婦の会場への最初の登場シーンでした。会場には、高砂の席の反対側にステージの緞帳らしきものがあったのですが、司会者の「それでは新郎新婦の入場です」の声に続いてその緞帳が巻き上げられて、なんとその向こうには噴水がカクテル光線に照らされて吹き上がり、その正面の舞台に新郎新婦が下からせり上がって登場してきました。よく、「ゴンドラで下りてくる」とかいう話は聞いたことがあるのですが、こういった度肝を抜くような登場シーンは初めて見ました。ちなみに、お色直し後の入場時に、ドライアイスの煙が出たりしましたが、ゴンドラはありませんでした。
 あと、何故か新郎の趣味が「音楽、旅行、テニス、スキー」だったりしたのにも、音楽はともかくとして驚きましたが。
 結局その下宿関係者8名で一泊してきましたが、気の置けない先輩方(あとは私の同期K山氏)と一緒で、とても楽しく飲みかつ遊んできました。わざわざ"Magic The Gathering"というカードゲームを持ち込んでいたのでそれで遊んだり、高砂の席のことを「高砂」という部屋があると勘違いしていた某T田先輩がいたり(相撲じゃないっつ〜の)、結局乱入を恐れたのか?新郎が私たちの宿泊していた部屋にやってきたり(これまた予告通り新婦を連れずに現れたのがまた何とも)、まあみなさん昔と変わらないなあ、と思いました。
 最後になりましたが、T内先輩、おめでとうございます。ネタにしてごめんなさい。
1998.09.23(Wed.)
 近所の稲毛海浜公園に出かけてきました。ここは、元々海だったところを埋め立てたところで、そのあとに人工海岸、プール、ヨットハーバー、公園などが作られています。あまり天気はよくなかったので、長居をせずに早々に引き上げてきましたが、敷地内にある、『稲毛記念館』と『稲毛民間航空記念館』を見てきました。どちらも入場無料です。
 『稲毛記念館』には、”稲毛のくらしの移りかわり”と題した展示や、”東京湾のさかなたち”というタイトルのついた水槽などが置かれていました。また、3階には展望室も設けられています。一番面白かったのは、千葉市の航空写真の展示で、ジョイスティックでカメラを動かして、航空写真の拡大・縮小ができるようになっていました。ちょっと動かしてみて、自分の住居や近くにあった海防艦”こじま”も確認することができました。
 『稲毛民間航空記念館』には、日本の民間航空創世期の機体である「鳳号」の復元機や、航空機模型、稲毛にゆかりのある航空関係者に関する展示などがありました。何でも、民間航空機といえども、その創世記にはずっと軍の施設を利用していたらしいのですが、軍の訓練が本格化したことに伴い、当時の稲毛干潟を利用して、はじめて民間航空として独立することとなったのだそうです。そう言えば、自分の住居の近くに、”民間航空発祥の地”の碑が建ってますが、そのいわれをきちんと知ったのははじめてです。
 2つの記念館を見て一番納得したことは、「今住んでいるところは海の上だったんだなあ」ってところでしょうか。
1998.07.18(Sat.)
 近所の稲毛浅間神社(国道14号線から鳥居が見えます)で夏祭りがあったので、出かけてきました。この画像は、その祭りの夜(7月15日)の撮影です。
 稲毛浅間神社は、千葉では大きな神社だそうで、実際かなりの人出でした。露店もたくさん出ていたのですが、驚いたのは「鮎の塩焼き」の店が何軒かあったことです。私もカミさんも「鮎の塩焼き」を縁日やら祭りやらの露店で売っているのを見たのは初めてで、これって関東じゃ普通にあるんでしょうかねえ?
1998.03.15(Sun.)
 スキーに行って来ました。私は3〜4シーズンぶり、カミさんも昨シーズンは滑っていなかったそうなので、本当に久しぶりです。
 出かけたのは黒姫で、黒姫倶楽部さんという、ペンションにお世話になってきました。オーナー御夫妻の人柄も温かく、また、料理も美味しく、月並みな言い方ですが、大変に結構でした。カミさんに黒姫倶楽部さんを紹介してくれたR.Iさん、どうもありがとうございました。今度は雪のない時期にまたお邪魔したいと思います。
 さて、スキー初日は黒姫高原スキー場へ、2日目は妙高杉の原スキー場へ出かけたのですが、初日にいきなりトラブル発生。なんと、私のスキー靴のアウターが両方とも割れてしまい、インナーがむき出しになってしまいました。滑走前だったのが不幸中の幸い?だったかも知れませんが、わざわざ東京から重たい靴を担いでいったのは、いったい何だったんでしょうね。まあ、靴って意外と割れるもののようで、割れたアウターを捨ててもらおうと、パトロールセンターにお邪魔したら、「けっこうそういう(靴が割れたという)方、いらっしゃいますよ」とのことでした。でも、滑走中に割れていたら大変だったろうなあ。
 初日は快晴、2日目も午後3時頃まではときどき曇っても天気はもっていたのですが、その後は雪が降り始めた、と思ったらコースの下部では雨でした。その雨が昨晩は降ったりやんだりしていたのですが、今朝起きてみると20cmくらい積もって、しかもかなり降り続いていました。スキー場のコンディションは、下部はベタ雪、上部はアイスバーンやザラメ状だったんですが、皮肉にも降ってきた雪はサラサラのパウダースノーで、きっと火曜日くらいには絶好のコンディションになるんでしょう。もっとも、今年はことのほか雪が少ないようで、例年はもっと雪質がいいそうなんですが。
 スキー場のコース自体は、黒姫はこじんまりとして割合と空いていましたが、私とカミさんの腕前では、一番上のコースは滑っては降りられそうにない感じがしました。一方、妙高杉の原はリフトの最上部からでも降りてくることのできるコースがありましたが(最大斜度48度なんて斜面もあるそうです、もちろん近づきもしませんでした)、それにしてもコースそのものがえらく長い(当然、リフトもゴンドラもえらく長いということになります)。高速リフト一本分降りただけでもかなり疲れましたし、ゴンドラ一本分降りたらはっきり言ってバテました。ちなみに、最長8.5kmだそうですが、そんな距離一気に滑ると、ひざが笑い出しそうです。どちらも、雪のいい1月か2月に行ってみたいコースだと感じました。

1998.02.11(Wed.)
 長野オリンピックの観戦に出かけてきました。観戦したのは、女子アイスホッケーの日本−中国戦です。前日になってチケットが手に入ったので、当然指定券などあるはずもなく、東京−長野間の新幹線は往復立ちっぱなしを覚悟したのですが、あにはからんや、往復ともにあっさりと指定券が入手できました。のみならず、少し早めに東京駅ホームに上がってみると、先行する列車の自由席が空いている始末。東京駅みどりの窓口の職員の方も、「競技によって、日によって違うし、時間帯でも違うから」とのことでしたが、少々驚きました。ちなみに、この日はジャンプノーマルヒルと、モーグル決勝があった日です。
 長野駅に着いた後、高校の修学旅行以来の善光寺へ行って、そばを食べてから歩きながらJR長野駅へ戻って会場へ。試合は6−1で中国の完勝でしたが、内容としては10点以上差がついていてもおかしくない感じでした。第2ピリオドなんか、日本のシュート数が0なのに、なんと中国のシュート数は23本!(合計でも中国44本に対して日本は7本)これで、第2ピリオド12:21に中国がゴールをあげるまでは0−0だったのですから、ある意味では驚異です(得点は、中国が第2ピリオドと第3ピリオドに3点ずつ、日本は第3ピリオドに1点)。
 試合観戦後は長野市街へ戻り、表彰式の行われるセントラルスクエアまで出かけましたが、近くまで行ったところで、「これ以上人が増えると、将棋倒しの危険があります」との拡声器の声が(1万人だったか、2万人だったか集まっていたそうです)。それでも、君が代だけはどうにか聞くことができましたし、男子モーグルの表彰式の様子を遠くからちらりとのぞき見ることができました。
 昼間と同様に、そのセントラルスクエアの前を通ろうとしたのですが、上に書いた通りの状況で、善光寺方面へ抜けることができず、迂回を余儀なくされました。迂回路には大会関係者の車が路上駐車してあり(規制区域関係無しのオールマイティーの許可証を積んでいました)、通行のじゃまになっていました(もう少し考えて停めればいいのに)。そうそう、オリンピック前に話題になっていた、「大衆割烹 清太郎」の看板は、はずされないまま掲示されていました。
 なんだかんだ言っても、さすがにオリンピックムードが盛り上がっていて、長野市内も各国の選手やプレスやらでずいぶんと違う雰囲気でしたが、カミさん曰く「それでも7時過ぎると店が閉まるのね!」と、そちらに一番驚いておりました。
 ちなみに、品薄の伝えられているスノーレッツのぬいぐるみは、やはり入手できませんでした...

1998.01.12(Mon.) Modified:2001.01.20(Sun.)
 今更チョンボに気がついてしまいました。年賀状に印刷したカミさんのメールアドレス、間違っていました。"keiko-s"が正しかったんですね。スミマセン。
(2001.01.20追記)このときのアドレスと現在のアドレスは異なっています。プロバイダを変えたので当然ですが。
1998.01.04(Sun.)
 本来なら、1月1日として書きはじめるべきなんでしょうが、実家に帰省していたため、約1週間ぶりにキーボードに触っております。
 実に、元旦からやらかしてしまいました(としか言いようがない)。実家の階段で足を滑らしてしまい、5〜6段落っこちて、尾骨骨折というテイタラクです。
 発生日時は1月1日の22時すぎ、原因は、酒の飲み過ぎ...ではなくて、スリッパと階段の面の相性(実家の階段は結構急な上、途中で180度カーブしており、しかも板張り、すべり止めなし、手すりなしです)だと思います。ま、多少ぼーっとしていたのは事実ですが。
 どうも1〜2カ月前に同じ階段で、母も足を滑らしたらしく(横向きだったので青アザですんだとか)、唯一無事な父には「どんくさい」だのなんだのいわれてしまいました。
 ま、これだけ当たったんだからきっと今年は当たり年だろうと(何のや?)解釈していますが。階段5〜6段分の痛みですから、相当大当たりしないと割に合わないのは確かです。
 ちなみに、1月3日終了までの時点では、その3日に東京へ戻る際に指定席が取れていなかったのに、立ったのは伊予三島−川之江間一駅区間だけで済んだことと、岡山から時刻表にもない臨時で新大阪行「ひかり」に乗車した後、新大阪駅で始発の「こだま」を待っていたら、ホームで同じ職場の先輩のK村氏にばったり出会ったことが当たりになるんでしょうか。むろん、これからが大当たりの本番だと思っていますが。
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