2001年2001.10.4(Thu.)〜10.9(Tue.)

2001.10.4(Thu.)
BKK22:50−(NH154)→(06:15KIX)
 自宅を20:00に出発。雨を心配していたのだが大丈夫だった。結果的に空港に早く着きすぎ(と言っても到着は出発の2時間15分前)、暇を持て余す。テロ事件の後とは思えないほど、ドンムアン空港は通常通りだった。接続便のNH142のチケットもここで発券されるが、荷物は一度ピックアップになる(当たり前だが)。
 搭乗口に着いたのは21:30。この時点で搭乗待合室の先客は1人。客室乗務員が和気藹々と搭乗前ミーティングをやっていた。
 搭乗待合室のイスにキーボードを広げてかがみこんで入力していたら、足がしびれて腰が痛くなる。やっはり姿勢に無理がある。これまた当たり前だが。
 定刻22:30に搭乗案内、機内は空いている。機種はB767-300、座席番号は31B。座席配置は2-3-2。定刻に離陸、フライトは5時間。時計を日本時間にあわせて、しばらくしてから空いている中央部分の3人がけの座席に移って横になる。

2001.10.5(Fri.)
(BKK22:50)−(NH154)→06:15KIX
KIX07:00−(NH972)→08:15HND
 少し明るくなったと思うと、朝食の案内が。4:30になっていたので少しは眠ったみたいだが、体感はまだバンコクのままなので真夜中。食欲もあまりない。
 元の座席に戻り、それでもそばなどを少しは食べる。そのうち機長アナウンス。「現在位置が鹿児島の南180km」(距離は不正確、後述のようにちょうど客室乗務員と話をしていた)とか言われると、何となく台風みたいな気がしておもしろい。
 朝食を片づけにきた客室乗務員にVisorと折り畳みキーボードとがやたらウケる。「仕事がはかどりますねえ」なんて言われてしまったが、やっていたのはこのメモ書きなんですけどね。
 結局、06:00に到着。人も少なく荷物もすぐ出て、入国審査、税関もスイスイ通ってしまい、1本前のNH972に間に合ってしまう。だめもとで変更を聞いてみるとこれがOK。羽田着が1時間半早くなった。
 搭乗前の荷物検査で名前をきかれる。これは初めてだが、やはりテロの影響か?機体はこれまたB767-300であった。
 羽田到着後リムジンバスで新宿へ。ヒルトン経由便には待ち時間が多すぎたので、確か近くだと思っていたセンチュリーハイアット経由便に乗車。約1時間ほどで到着すると、道を挟んで向かい側だった。
 ホテルに荷物を置き、前の職場に顔を出して多少は仕事をした後、芝浦工大のRingミーティングへ。その後飲み会に参加し、19時少し前に店を出て新宿へ。U竹氏と合流し、まさしく痛飲。

2001.10.6(Sat.)
東京13:53−(17A:のぞみ17号)→17:12岡山
岡山17:22−(21D:しおかぜ21号)→18:39伊予三島
 ホテルチェックアウト後、U竹氏と朝昼食を兼ねて小田急百貨店内の中華に出かけ、結局飲んでしまう。
 U竹氏と別れ、ヨドバシカメラへ。ハードディスク類はつくづく大容量のものが安くなったものだと思う。新宿駅で上り中央快速のホームに上がると、反対側で新型”あずさ”(E257系だったか?)の展示会が行われていた。東京駅地下街のNHKキャラクターワークショップで”ハッチポッチステーション”のビデオ購入。
 大丸地下で飲食物を仕入れて”のぞみ”に乗車。3列席の通路側。禁煙車なのに妙に煙草臭いと思ったら、隣の喫煙車デッキでの煙草のせいであった。
 岡山で”しおかぜ”に乗り換え。”アンパンマン列車”の車両が使われていた。普通車の窓側がとれなかったので、ここは奮発してグリーン車利用。やはり秋の日は短くなってはいたが、瀬戸大橋からの景観は何とか楽しめた。定時より1〜2分遅れて伊予三島到着。本日は実家泊。父が車で迎えに来てくれていた。

2001.10.7(Sun.)
伊予三島11:39−(14M:しおかぜ14号)→12:57岡山
岡山13:05−(16A:のぞみ16号)→14:08京都
京都14:16−(1249M)→14:23二条
 08:00起床。少々寒かったのか、やたらとくしゃみが出る。
 父に伊予三島駅まで送ってもらい、その場で指定券購入。昨日とは異なり、無事に禁煙車の窓側を入手。時間があったので10月9日の”はるか”の指定券も入手した。
 車内は適度に混んでいた。川之江から義父母が乗車してくる。「時間的に同じ電車かも」という話を昨日実家でしていたので、結構笑えるものがあった。
 岡山で後の”ひかり”に乗り継ぐ義父母と分かれて急ぎ足で新幹線ホームへ。ここの8分乗り換えは忙しい。
 駅弁は車内販売に期待したが無情にも売り切れ。空きっ腹を抱えたまま京都へ。京都からは地下鉄東西線二条城前へ向かうことにしていたが、少考の後、折りよく普通列車もあったので、JR山陰線で二条駅へ。地下鉄に一駅乗った後、二条城前で下車、ホテル(京都堀川イン)に荷物を放り込んだ後、祇園へ。行き先は何のことはない、花見小路のウインズだったのだが、場所を思い出せずとりあえず地下鉄を乗り継いで四条烏丸へ出た後、本屋で地図をチェックし結局阪急に乗り換えたので手間取ってしまう。後から考えたら三条京阪まで地下鉄で行って京阪四条へ出た方が早かった。
 結果は、なまじ締め切りベルの後でも買えた東京の毎日王冠含め全敗(まさにいわゆる”飛び込み自殺”)。しかも、間に合わなかった京都10Rのみ的中、その上京都大賞典ではナリタトップロードの単勝を買い、同馬の落馬とステイゴールドの失格を見るというハメになるというテイタラク(馬も人も大したことなかったのは何より:まあ、馬は多少影響が出て天皇賞回避だそうですが、”予後不良”となるよりは...)。
 多少の自己嫌悪にさいなまれつつ、四条河原町〜烏丸を歩き、界隈のデパートで少々買い物をしてホテルに戻る。しばらくして、四国からバスで来た家族や親族と合流し、ホテル近くの和食の店へ夕食に。理紗子が妙にハイテンション。まあ、親族中に構ってもらったのだから無理もないか。私は眠くて早々にダウン。親戚(私から言うと姻戚)にちゃんと挨拶しない、と言ってカミさんがむくれてしまう。

2001.10.8(Mon.)
 義妹の結婚式当日。本日は大安の祝日。朝起きると英米軍によるアフガニスタン攻撃が始まっていた。
 着替えて、ホテルロビーで移動待ちの間、理紗子に「寒くないか」ときくと「寒くない」と言った後に「葉っぱが寒そう」との答え。なるほど、秋風に木の葉が揺れていた。親馬鹿の極みかも知れないが、うまいことを言うものだと感心する。
 キリスト教会にて、控室(控室の理紗子はこちら、手に持ったバッグはカミさんの和装用のもの)で親族紹介の後、正午より式、その後フランス料理店へ移動して披露宴(披露宴会場での理紗子はこちら、これは披露宴の前に写したもの)。披露宴では理紗子が新婦に花束を渡す役。私は式に引き続きビデオ担当。理紗子の出番は無事に終わったし、教会での式の間もとてもおとなしかったのが何より。披露宴はガーデンでのデザートビュッフェもあり、料理もおいしく、かつ、供されたガスコーニュのワインが白赤ともによかったが、すでにしてラベル名を忘れてしまった。牛肉の食いすぎだろうか。
 客を送り出した後、新郎新婦と別れ義父母、家族とともにホテルへ一旦戻り夕食に。ホテル近所のチェーンの居酒屋はいくら何でも、ということでまず以前行ったことのある釜飯屋に電話するが留守電。どうも休日だった模様。しからばと、ガイドブックであれこれ探すが祝日、しかも大安のこととて休みやら貸し切りやら満杯の店が多い。
 結局、蛸薬師麩屋町西入るにある、”多聞”という店へ。ここは京都らしい”おばんざい”も食べることができ、なかなかよかった。京都の店で青森の”田酒”があったのにも少々感心。同名の日本酒の蔵元とは関係はない模様であった。
 ホテルへ戻って寝酒を少々飲って就寝。

2001.10.9(Tue.)
京都13:48−(1033M:はるか33号)→15:02関西空港
KIX18:00−(NH153)→21:50BKK
 起きてからは荷造りに大わらわ。ホテルに荷物を預けた後、義父母と別れ、一家3人で四条烏丸の大丸へ。また少々買い物の後、ホテルへ戻り今度は京都駅へ。結局、今回もゆっくりと京都駅を見る暇などなし。
 駅弁を買ってから”はるか”に乗り込むが、車内は終始ガラガラ。出発約3時間前に到着するが、余裕がありすぎ、かえって暇を持て余す。
 搭乗口まで移動すると、近くにカード会社のラウンジを発見。私のみ一応入ってみたが、小学生以下無料の上、ダイナースクラブだと同伴者2名まで無料なので、これは使いでがあると感じた。ただし、その点の注意書きがあったのはラウンジの受付であり、入口の扉の周囲にはダイナースクラブカードについての記載がなかったので、あまりおおっぴらに宣伝したくないのかも知れない。搭乗時にパスポートの顔写真の照合を行っていたあたりがテロの影響かつアフガニスタン攻撃の影響か。
 乗機はまたもやB767-300、中央の3列席(17列)を並んで確保したが、行きほどではないにせよ結構空いていた。理紗子は疲れが出たようで、離陸直前から寝入ってしまう。まあ無理もないか。
 おおむね定刻通りバンコクドンムアン空港に到着。戻ってきたバンコクは、やはり少し蒸し暑かった。

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