水燿通信とは
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250号

水原紫苑歌集『世阿弥の墓』から(2)

足利きの世阿弥よ星の公転のごとき序の舞いかに堪へけむ
 序の舞とは能の始めの部分で舞われる静かでゆったりとした舞のこと。かなり長いもので、つまらない舞台だと耐え難いほど退屈な時間になる。だがすぐれた舞台になると、この長い静かな時間を通して、見所(けんしょ、観客のこと)は現実から舞台の世界に徐々に徐々に引き込まれていく。あの陶然とした時間を持てるというのも、能を観る楽しみのひとつだと思う。この舞が終わると舞台は山場に向かって一気に進んでいく。
 この歌は、私には謎であった。最初の〈足利き〉がわからないのだ。「何なんだろうこれは、妙に引っかかる語だ」、ずっとそう思っていた。〈足利き〉の世阿弥はゆったりしたこの序の舞をどのように苦労してこなしていたのだろうか、ということなのだろうか。世阿弥はすぐれた能役者だったのだから、足運びもしっかりしていたことだろう。しかしとくに足利きだったとは聞いていない。
 あるとき、突然ひらめいた。これは〈あしかが〉を懸けているのではないか。そう思った途端、謎がはらはらと解けていく感じだった。表向きの意味としては〈あしきき〉だが、その中に〈あしかが〉を懸け〈足利(義満)将軍に寵愛された世阿弥〉〈足利の時代に一世を風靡した世阿弥〉と言った意味を匂わせることによって、歌の持つ雰囲気はぐんと豊かになる。そして〈星の公転〉、きわめてゆったりとしたものの形容に天体に関わるこのような言葉を持ってきたことで、作品の持つ世界は高い視点を持った大きな広がりのあるものになる。この作品で作者は、言葉遊びをも愉しんでいるのではないだろうか。
生誕の世阿弥に射せるうすひかり永くくるしく生きよといへり
 この歌のすぐ前には〈結崎に生(あ)れしみどりごベツレヘムに生(あ)れし子よりも美(くは)しかりしか〉という作品がある。疑問形で結んでいるが、ここで作者がイエスより世阿弥のほうが〈美しい〉と思っていることは確かだ。
 生まれたばかりの世阿弥は、おそらく類い稀な美しさ――愛らしさというよりはこの語のほうが相応しい――を有していたのだろう。そしてその稀有な美をさらに荘厳(しょうごん)するかのように射すうすひかり。こうして幼な児は神秘的にすら感じられる雰囲気を漂わせて横たわる。その姿はあまりの美しさの故にある種のいたましさ、不幸を暗示しているようで、読者は彼の人生が永く苦しいものでありしかも尋常ならざるものになるだろうことを、感じさせられてしまう。
 先頃、二人目の孫に恵まれた友人が、最近こんな便りをくれた。
○○(孫の名前)を抱いていると、「すごいなこの命」と思う反面、○○もまたいつか、かなしみや苦しみを持つのだろうと思うと、かわいそうに思うことがあります。三十代、四十代の頃の私は、決してこんな思い方はしませんでした。
 普通、赤ん坊が生まれたとき、周りの人々は目が誰々に似ている、口元は誰々にそっくりだなどと言い募り、笑った、泣いた、あくびをしたといっては騒ぐものだ。少なくとも、その子の人生にこれから起こるであろうかなしみや苦しみなどには思い及ばない。しかし友人はこのような手紙を認めてきたのだ。それを読みながら、私は彼女の心中を想い、心が痛んだ。
 友人は教員として極寒の僻地校に赴任しているとき、自然環境の厳しさから長男を流産、またようやく恵まれた次男も薬害により難病にかかり、命を助けるために成長著しい時期にそれを遅らせる薬を服用させなければならなかった。そしてそんな苦しみの中で、彼女自身心因性の病気にかかってしまったのだ。次男のほうは病いも癒え立派な大人になったが、難病治療の際に行なった輸血のためにB型肝炎に感染していたことが最近になって判明した。そして友人のほうは現在も心因性のその病気で苦しんでいる。彼女は「水燿通信」の読者であるが、その詩歌の感想をみていると深い洞察の存在を感じることが多い。それはあたかもこれらの苦しみ、かなしみを通して得られたもののように思えてならない。
音阿弥は世阿弥の甥にして養嗣子、名人と称賛さる。
音阿弥と元雅比べ見しときの世阿弥よ、まなこ金色(こんじき)の蛇
 将軍足利義満に寵愛されて栄華を極めた世阿弥であり観世座であったが、次の義持将軍は田楽を好み、さらに次に将軍となった義教は世阿弥の甥の音阿弥ばかりを重用し、父世阿弥をして〈子ながらも、たぐゐなき達人〉(『夢跡一帋』)と言わしめた長子元雅は疎んじられるようになり、挙句の果て伊勢で客死、さらにその二年後、世阿弥は七十二歳の高齢で佐渡に配流、と世阿弥の後半生は悲劇で塗り固められているように言い伝えられてきた。だが近年の研究の成果によって、こういった言い伝えは世阿弥の「悲劇性」を強調するためにかなり演出されて伝えられた部分があるらしいことがわかってきた。義教将軍時代の音阿弥は当代きっての名人だったのであり、観世座はもはや流行遅れになっていたらしい。世阿弥が元雅を〈たぐゐなき達人〉といったのも事実そうだったからというよりは、たぶんに父親としての世阿弥の目の曇りか、あるいは願望だった可能性が強い。また、世阿弥夫婦は子供に恵まれなかったため甥の音阿弥を養嗣子として迎えたが、しかる後に元雅が生まれたので、音阿弥を長男、元雅を次男とする説が、今日では定説となっている。
 こういった事実を踏まえて、水原紫苑は音阿弥と元雅を比べたときの世阿弥の眼は〈金色の蛇〉だと詠っているのだ。蛇は水原の好きな題材らしく、しばしば取り上げられている。その詠まれ方、意味、ニュアンスは多様でかつ難解であり、これについて考察するだけでまとまった論考になりそうなほどである。だがここで用いられている〈蛇〉はそれほどむずかしく考える必要はなさそうだ。執心、執着の象徴くらいに理解していいように思う。
 能の女面に「泥眼」(でいがん)というのがある。眼の白目の部分と歯が金色になっていて、静かな表情の中にも異様な雰囲気を感じさせる面である。「葵上」「定家」「砧」などに用いられ、嫉妬という感情とそれを抑圧しようとする心とが交錯したさまを表しているといわれている。〈まなこ金色の蛇〉という表現に接したとき、私はとっさにこの面を想った。元雅を評価してもらいたいと強く願いながら、しかし現実を見たとき誰の眼にも明らかな音阿弥と元雅の差に、歯軋りして口惜しがっている父世阿弥のさまを水原紫苑は表現したかったのだろう。〈世阿弥よ〉の後に読点を置いて一呼吸おいたことと、眼の異様な光を〈金色の蛇〉と表現したところが、この作品の手柄だと思う。
*歌集『世阿弥の墓』は、218号「『世阿弥の墓』から」、243号「水原紫苑の世界(2)」でも取り上げています。
(2008年4月25日発行)

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発行人 根本啓子