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「水燿通信」とは

「水燿通信」とは
 根本啓子の個人通信。1990年3月発行を開始。1ヶ月1回程度の不定期刊。関心の赴くままに様々なものを書いている。自分の視点を大事にし、一般に通用している見方と違うものも、ためらわず発信している。2001年にHPを開設。
 主な内容は以下の通り。
【書評】文学関係のものを中心に多分野にわたる。原則として、自分の評価できる著書を取り上げている。
【詩歌】俳句が中心。200号あたりまでは中村苑子作品を多く取り上げていた。尾崎放哉に関する文も多い。作品の純粋な鑑賞もあるが、多くは俳句作品を題材にした評論の形になっている。有季・無季・定型・自由律にとらわれず、惹かれる作品を自由に取り上げている。最近は、宇多喜代子の著作や俳句作品に言及することが多くなっている。
短歌は水原紫苑に関するものにいささかまとまった評論風のものがあるが、多くは作品の鑑賞である。馬場あき子の評論に関心を持っているので、それを取り上げるなかで馬場の作品に触れたものはかなり多い。
は新しい作品の紹介が大半。
【エッセイ】100号あたりまでは、私の記憶に残る高度成長期以前の故郷山形の姿について積極的に書いた。かつて親しんだ能楽に関するもの、これまでに出会った忘れられない人々や出来事についてのものもある。
【旅行記】家族と行った個人旅行の記録。ヨ−ロッパ、特に壁崩壊後のベルリン、社会主義体制終焉後の東欧諸国、イベリア半島には繰り返し訪れている。まめに歩き、現地の雰囲気になるべく多く接するようにした旅である。2006年までで、それ以降の旅行はない。
【奈良関連】2012年の奈良移住後は、奈良の主に仏像に関する文が多くなった。これと関連して、會津八一の『自註鹿鳴集』を取り上げる機会も多くなった。
 なお、2006年頃からは「今月の1句(首)」、「魅かれた言葉」、「紹介」などと題して、通信の末尾に短い文を付すことが多くなった。
通信名の由来
 中村苑子の俳句は、水を媒体として生と死が繰り返される生命循環の原理を基底にしている。この苑子俳句に出逢って以来、水は私の発想のキーワードとなり、輝く水のイメージも絶えず想念にのぼってくるようになった。通信名はそこから得られたもので、「水燿」は≪水が輝く≫の意味である。
発行者略歴
 山形県生まれ。出版社、私立の歴史研究所に勤務。1979年健康を害し、以後自宅療養。約10年の療養生活の後、病状が上向きになり日常生活がほぼ可能となったのを機に、1990年3月、「水燿通信」の発行を開始した。
(最終更新 2019年5月5日)
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発行人 根本啓子