20世紀フィリピンと「アメリカ民主主義」
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中野聡(一橋大学社会学部)

1. はじめに

a. センテニアル百周年(1898.5/1998.5)

1898 米西戦争マニラ湾開戦 アジア・太平洋大国としての米国の誕生

1898 フィリピンのスペインからの解放と米国への編入・再植民地化

b. 本報告の視点

「民主主義」をめぐる米比百年史?
「アメリカ化」とは何か
米国は「アメリカ化」の方向を操作できたのか
フィリピンの(どの)人々にとって(どの)「アメリカ化」とは何だったのか

2. 「民主制」をめぐる米比百年史(I):植民地期(1898/1946)

フィリピン領有の意義

「基地」としてのフィリピン →1,12,13

統治目的としての「民主化」論     →1,2,3,4

大衆の守護者・教育者--米比戦争におけるエリート との対決 反帝国主義運動

統治手段としての「民主制」     →6,表3

急速な自治化/エリートとの協調
1901?1902 フィリピン委員会の全国巡行   →5

植民地「民主制」の成長と危機    →7,8,9,10,11

国政エリートの成長/エリート民主制批判/民衆運動

1907 議会発足
1916 上下両院制に移行
1935 憲法会議 サクダル反乱 コモンウェルス発足

コモンウェルス「民主制」をめぐる米比関係

1940 ケソン政権「民主主義からの逸脱」論争  →14,15,16,17,18
1941 アジア・太平洋戦争勃発
→「民主主義」は米比関係を他と聖別する原理へ  →19,20,21,22,23,24,25
 

3. 「民主制」をめぐる米比百年史(II):ポスト植民地期(1946?1998)

変化する諸環境と持続する「民主制」

社会変化・工業化・都市化・膨張する選挙政治

米国の目的と方法        →28

冷戦と経済権益
「民主化」か、協力者確保か
選挙介入・宣伝・対反乱戦略

「民主化」介入とその行き詰まり

歴代大統領選挙と米国/危機と介入の循環     →表1

1946 口先介入。マクナット高等弁務官のロハス支援   →26
1949 ハンズオフ。キリノ自由党の不正選挙を黙認。野党ラウレル候補を警戒 →27
1953 CIA関与。マグサイサイ擁立 NAMFREL支援   →29,30
1957 CIA関与。野党レクト候補つぶし。マグサイサイ系第3党運動を支援 →31,32
1961 CIA関与。マカパガル選出を支援。ストーンヒル事件   →33
1965 ハンズオフ。ベトナム戦争協力に関心。マルコスについて見方分かれる →34

戒厳令体制の容認

1969 マルコス再選。大統領選挙の肥大化・限界に達する  →35,36 画2
政治的閉塞・「反米」言説の台頭    →画1
1971 憲法会議開会、改革への期待を裏切る   →37,38 画3,4
1972 戒厳令布告      →39

アキノ・ラモス政権時代

1986 レーガンのマルコス再選容認発言/EDSA革命  →40,41,42 画5,6
「民主制」復帰・維持への積極介入    →43
1992 基地撤収/ラモス当選/政治過程の米国離れ
1998 エストラーダ当選

4. 評価

「アメリカ化」の基軸としての「アメリカ民主主義」

見かけ上の平易さ・個人的徳性の重視(スミス氏都へゆく)・平民的性格・エリート主義
→奔放な翻訳の対象・リソースとしての「民主化」介入/「自由の帝国」と契約したエリート

闘技場としての「フィリピン民主制」     →44-50 表2

選挙政治:エリートによる操作・動員/制度化された利権・正当性争奪の闘技場
貧困と不平等・農村改革の遅滞:農村社会における「日常の政治(抵抗)」

人々の営みとしての「フィリピン民主主義」の可能性   →画7

フィリピン化された言説(正義、平等、助け合い)のなかで政治的正当性が常に問われる土壌
「普遍主義」的民主主義へのこだわり