日本スチールドラム振興会 SINCE 1994

1、トリニダードトバゴとスチールドラムの歩み

 スチールドラムはしばしば「20世紀に生まれた唯一のアコースティック楽器」「最後のアコースティック楽器」と紹介されます。この楽器は基本的に石油などを運ぶ容器である「ドラム缶」から作られていますが、工業技術の進歩した20世紀に生まれた楽器がこのような物から作られ、しかもなぜあのようにシンプルな形をしているのでしょうか?
コロンブス前後  1498年にコロンブスが3回目の航海でこの島にたどり着く以前、現在のトリニダード島は「コリブリ島」と呼ばれ、アラワク族,カリブ族が住んでいました。
 1592年にはスペインの居留地ができてタバコ、ココアなどの生産がはじまります。トバゴ島も大西洋横断の中継地としてオランダやフランスの支配下におかれますが、19世紀の始めには両島ともイギリス領となります。ただし1787年にトリニダード島にフランスが砂糖工場を作ったりと、経済的にはイギリスよりもフランスの影響力の方が強かったようです。
奴隷制廃止  1834年に奴隷制が廃止され、アフリカやインドから年季奉公という形などで労働力を確保するようになりました。しかしながら過酷な労働条件にストライキなども起こるようになります。
ドラムの禁止  1881年には暴力的と感じられる「スティック・ファイティング」や連絡の手段と考えられる「ドラム」の演奏が禁止されてしまいます。したがって、カーニバルなどでは適当な長さに切った竹を叩く「タンブー・バンブー」という楽器が用いられるました。
タンブー・バンブーも禁止  20世紀に入って石油会社が設立され、労働争議も多発するようになりました。その為に1937年には「タンブー・バンブー」も禁止され、カーニバルなどでは空き缶などを打ち鳴らしてパレードをしていました。
スチールドラムの誕生  1930年代の後半、ウィンストン“スープリー”サイモンは打ち鳴らしていた空き缶のへこみ具合で音階が異なる事に気づきます。アフリカからもたらされた宗教行事「シャンゴー」でいくつかの異なる音程のドラムを用いていた事も参考とし、空き缶に音階を付ける事を考えました。こうして生まれたスチールドラムは1945年の第二次世界大戦のヨーロッパ戦線戦勝パレードで街頭にデビューしました。
トリニダードトバゴの
独立とその後
 1962年のトリニダードトバゴの独立まではこの島の人々の象徴的な楽器として開発発展を続けるとともにオーケストラのコンテストも行なわれるようになりました。独立後もカーニバルの時には盛大に全国コンテスト「パノラマ」が開催され、最近では「国の楽器」として宣言されることとなりました。

2、いろんな形で演奏されてます。

2-1、トリニダードトバゴでは・・・

3-1-1、伝統的スタイル
もともとがカーニバルなどのパレード用に開発された楽器であり、現在でもカーニバル時に開かれる「パノラマ」コンテストには当時のように首から楽器を下げて演奏する「シングル・パン」という部門があります。
2-1-2、スチールドラム・オーケストラ
パレードでの演奏の発展形としてのスチールドラム・オーケストラは「パノラマ」では「コンベンショナル」部門として50人から100人、以前は150人ほどのプレイヤーによってダンサブルなカリプソやオリジナル曲を演奏しております。
カーニバル以外ではコンサートなどで20〜30名ほどのプレイヤーによってカリプソやスタンダード、ポピュラー、クラシックを演奏する場合が多いようです。
2-1-3、バンドその他
数名程度のプレイヤーによるよるスチールドラム・バンドとしても演奏され、そういったコンテストも開かれております。その中ではアドリブ・ソロも演奏されます。
また、ソロ・プレイヤーは一般のギターその他の楽器や打ち込みによる伴奏によってソロを演奏するスタイルも多く、CDの「パン・アッセンブリー」シリーズなどで聞くことができます。

2-2、世界では・・・

トリニダードトバゴからの移民や労働者の多いアメリカ、カナダ、イギリスでは特に盛んで、それらの国のカーニバルではコンテストも開かれております。トリンベイゴニアン系では無いオーケストラも上記の「スチールドラム・オーケストラ」スタイルで演奏する事が多いようです。
また、アメリカなどでは一般のジャズやフュージョンのバンドに加わって演奏してい物もしばしば聞くことができます。

2-3、日本では・・・

1975年頃よりニュー・ミュージック系の演奏に細野晴臣が使用しており、1990年頃よりヤン冨田が取り上げたりもしておりました。
1996年に原田芳宏をリーダーとする「PANCAKE」がCDをリリースし、また原田芳宏はその他のグループ等のレコーディングにも多く参加しております。
1995年前後よりスチールドラムを購入する学校もあり、また自治体によるオーケストラやバンドもいくつか作られるようになりました。この頃より民間でもスチールドラム・バンドを作る動きが出てき始めました。
1999年には、スチールドラムをリーダーとするバンド「リトル・テンポ」が独自のサウンドでメジャー・デビューしており、UAのCDやコンサートなどの演奏でも知られております。またこのグループは2001年に「ブルーノート東京」においてライブを2日間行ないました。

3、コンサートやライブで聞くには

3-1、来日バンド、プレイヤー
1992年よりほぼ毎年夏にトリニダードトバゴのスチールドラム・オーケストラ「レネゲイズ」が20名ほどのメンバーで全国数箇所のツアーをしております。最近ではメンバーも入れ替わり「カリビアン・マジック」と名称を変えております。1997年にはコンサートを録音したCD「レネゲイズ大作戦」を国内発売しております。
また1993年より5年間、毎年夏に横浜を中心にトリニダードトバゴのスチールドラム・オーケストラ「パンベリ」が来日しておりました。このバンドも2種類のCDを国内制作し一般で販売しておりました。
ソロ・プレイヤーとしてはかつてジャズ・ベース・プレイヤー“ジャコ・パストリアス“のグループにいた”オセロ・モリノウ”はほぼ毎年来日し、関西を中心にジャズ・バンドに加わったり、オリジナルのメンバーによってコンサートやライブに出演しております。2000年には日野テルマサをリーダーとするグループで東京でもライブに出演しました。
また、ディズニー等の映画のサウンド・トラックや、ジョン・レノンのアルバムに参加しているプレイヤー“ロバート・グリニッジ”は“ラルフ・マクドナルド”のバンドのメンバーとして1997年、2000年に来日し「ブルーノート東京」を中心にライブを行ないました。
かつては渡辺貞夫と共演したプレイヤー“アンディ・ナレル”もカリビアン・ジャズ・プロジェクト“として1994年に来日し「ブルーノート東京」を中心にライブをやりました。この二人につきましては今後も来日の可能性があります。
3-2、国内バンド、プレイヤー
スチールドラム・プレイヤー原田芳宏は、オリジナル・グループ「PANCAKE」や「スピック・アンド・スパン」「サンバ・バンク」その他のセッションで東京を中心にしばしばライブ演奏をしております。
自治体によるスチールドラム・オーケストラとしましては富山県福野町の「スキヤキ・スティール・オーケストラ」が最も実績があり、地元北陸を中心に演奏活動をしております。鹿児島県の宝島では島を挙げてスチールドラム・バンド活動をしており、静岡県伊東市や愛知県犬山市にも2000年頃よりスチールドラム・オーケストラができました。