一瞬にして亡くした三菱長崎工場同僚6294人の名簿作り――それは長く孤独な旅だった。
長崎の爆心地から630メートルの所にいた原圭三。彼は長い沈黙を経て原爆で亡くなった同僚の名簿作りに取り組んだ。それは、ただ名前の収集だけではなく、それぞれの死亡状況やその人の人生を確認する作業でもあった。
広島の宮川裕行は校長だった父の教え子676人を含む、亡くなった全ての人々に対する償いとして沈黙を破った。二人の被爆者が鎮魂の旅に出る。『名前を探る旅』改題。
(本書表紙・帯より)
わたしはゲラで読んではじめて、この愚直というべきか、真摯なまっすぐな生き方に圧倒された。このような生き方を貫いたひとがいたのだ、との感動とともに、読み終えてよく記録してくださった、との感謝の想いがつよい。
鎌田慧氏評 (本書解説より)
原爆で命を奪われた人々の名前をめぐる、被爆者2人の行動の記録。長崎の原圭三は記憶と足を頼りに、職場で犠牲となった同僚の詳細な名簿を作成した。
原爆で命を奪われた人々の名前をめぐる、被爆者2人の行動の記録。長崎の原圭三は記憶と足を頼りに、職場で犠牲となった同僚の詳細な名簿を作成した。
広島の宮川裕行は父の勤めた女学校の少女たちが残した書き初めを形見として届けるべく、遺族を探した。2人が静かに打ち明ける、生き残った者の抱え込んだ根深い葛藤がやりきれない。
(2011年10月31日付け 読売新聞)