2014年の荷造り | |||||||||||
2014年最後の荷造り | |||||||||||
今年最後の荷造りを終えました。シスターからご要望のあった鍋、フライパン、傘を中心に、古着やバッグ、子供服、学用品他を詰め込んだら、なんとなんとこれまでの最高数の10箱に。「アフリカのマダガスカルに支援品を送るんです」と事務所の窓口に声掛けすると、「あ、ここにあるもの、いつでも持って行って下さいな」と気軽に空き段ボールを提供して下さる引越しセンターさん。そのお陰も手伝って、私たちの荷造りもベルトコンベアかの如くスムーズに運びました。
シスターの荷開け作業が混乱しないよう箱の側面に「鍋」「フライパン」「傘」などと書き入れ、送付タグが外れた場合に備えて手書きの宛先紙もしっかり貼り付け、芸術的な紐掛け作業をし(私以外はみんなプロ級の紐掛け師です)、ポンポンポンと相変わらずの手際の良さで事もなく10箱を積み上げて…。この作業、黙々と手だけを動かしているはずもなく、お喋りも全開の1時間半。「作業中に食べて下さ〜い」と激励の茶菓子も頂戴していたので、それも忘れずにモグモグしながら、冬の一日、思いっきりいい汗を汗かきました。 支援の品、送料、お菓子の差し入れなど、今回もたくさんの方々の応援を得ました。皆様、本当に有難うございました。 今回の荷造りは通し番号で180番から189番まで。来年にはどうやら200箱を超えることができそうです。鍋をひとつひとつ包みながら、マダガスカルの産院の裏庭で、一家にひと鍋しかないために家族が総出し、まずは母親に、そして残りを自分たちの口に運んでいた家族たちのことが悲しく思い出されます。 そんなマダガスカルに思いを馳せながら、地味ながらも「できることをできるときに」を合言葉にして、今しばらくは活動を続けて行こう、と思っています。
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5月に予定していた荷造りが9月にずれ込みました。シスターが7月から9月末まで日本に一時帰国をされる都合上、留守中に荷物が配送された場合に受け取ることができないとのご連絡を受けたためです。4ヶ月伸びた分、送る品も溜まりました。一気に送らずに持ちこそうかとも思いましたが、その間、安崎さんのお宅の押入れを荷物が占領することになるのは忍びないとなり、全部詰め込んでみたら合計で7箱にもなってしまいました。 送料は合計で5万円弱。ひと箱大体7千円の換算です。これで#179箱まできました。200箱まであと少しです。 郵便局の収集係はここ数回、女性になりました。重たいダンボールを「あらよっ」と軽々担ぎ上げ、計りにポンと載せて要領よく金額をはじき出し、それらをホイホイと郵便車に詰め込むそのテンポと力強さには圧倒されました。あちこちで確実に女の時代がやってきたのですね(*^_^*) 安崎さんが図書館から借りてきた曽野綾子さん著で文藝春秋刊行の「朝はアフリカの歓び」の第16章「荒野の白鷺」、第17章「救急車は牛車」をコピーしてくれました。そこには、マダガスカルの庶民の貧困ぶりや産院の劣悪な環境、粉ミルクを親が売ってしまうことなどが書かれていて、気持ちが塞ぎました。まだまだ道遠しですが、できることを諦めずに続けていくことの大切さをあらためて心に刻んだコピーでした。
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2013年メリークリスマス | |||||||||||
マダガスカルでは、10月25日に大統領選挙第1回投票、本日12月20日には大統領選挙決選投票(第1回投票でいずれの候補者も過半数を得票しなかったために、上位2名による投票)及び国民議会(下院)選挙が実施されました。シスターから、「今日は選挙の日で休日です。アンチラベの町はすごく静かです。選挙結果がわかるまで長く時間がかかります。前回は1か月もかかりました。誰が選ばれるか心配でしています。来年が平和で明るい年になりますように祈っております。皆様さまもどうぞお元気で新しい年をお過ごしください」とのメールが届きました。外務省は「マダガスカルは2009年から続く政治危機の影響により悪化している一般治安状況に改善の兆しは見えていない」としており、強盗などの犯罪がアベマリア産院付近まで迫ってきている、とシスターが言われていたことを思い出します。マダガスカルの政情安定を祈って。MERRY Xmas! 2013年12月20日 記 | |||||||||||
シスター遠藤のご冥福をお祈りいたします | |||||||||||
12月2日放送の、「世界ナゼそこに日本人?=アフリカ秘境マダガスカルで多くの命を救う日本人看護師=」に、シスター平間が登場されました。首都アンタナナリボで看護師として働いておられ、世界銀行で開催した日本とマダガスカルを結んだテレビ会議でもシスター牧野と並んで登場して下さいました。番組の中で、シスター平間と一緒に働いておられたシスター遠藤がマラリアに倒れ、命を落とされたことが語られ、その昔、シスター遠藤からのご依頼で布地や糸をお送りしたことを思い出しました。「物資を援助するよりも、彼らが自らの手で立ち上がる技術を身に着けることこそが真の支援となる。マダガスカルの人に洋裁を教えて自立のきっかけを作りたい」と言われたことを受けてのことです。シスター遠藤のご冥福をあらためてお祈りするとともに、シスター平間、シスター牧野の心を尽くされたお働きでマダガスカルの人たちの幸せが広がりますよう、心から願っています。 2013年12月2日 記 | |||||||||||
2013年 マダガスカルへの荷造り作業 | |||||||||||
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マダガスカルに関わった途端、自分のアンテナに驚くほど「マダガスカル」がひっかかってくるから不思議だ。TV番組「世界の村で発見=こんなところに日本人」(ナビゲーター千原せいじ)で9月6日から20日までの3週間、マダガスカルが登場したが、これもTVチャンネルをカシャカシャ動かしていて偶然出くわしたからご縁というしかない。マダガスカルに住む日本人の紹介…というので、てっきりシスターが登場されると思ったら、ベレンティ自然保護区でキノコ狩りをしている日本人男性(妻はマダガスカル人)が紹介され、マダガスカルに行き着いた波乱万丈な人生を語っていた。保護区のワオキツネザル、シファカが懐かしかった。
昨日、雨で退屈していた孫を連れて「多摩六都科学館」(西東京市http://www.tamarokuto.or.jp/)のプラネタリウムに行き、体中が星空に包まれるダイナミックな空間を楽しんだ。その科学館で、地球の今日の形ができるまでの大陸の変化の展示に出会い、マダガスカルだけに注目して「いつどの大陸から切り離されたか」に目を凝らしたら、インドの一部に吸収され、やがて切り離されたことがわかった。言われているようにアジアの一部だったか。インドネシア語が通じると松本さんが言っていた理由も頷ける。息子の高校の地学の先生が、「マダガスカルに粉ミルクを送っておられるんですね。インドの一部でしたよ」と言われた時には、「うっそ〜」と返して気にも留めていなかったが、やっぱりそうだった。 10月11日(金)のお昼から安崎さんちで荷造り作業。これまで盗難を恐れて粉ミルクを分散梱包していたが、今回は2箱に集中させて押し込んだ。複数箱に小分けすると取り出すシスターの手間が大変だろうということで。盗難に遭いませんように。今回は6箱を送付。4箱ぐらいにおさめるつもりがついついあれもこれも膨らんでしまった。タイミング的にはクリスマスに間に合いそう。 |
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2012年 マダガスカルへの荷造り作業 | |||||||||||
![]() ![]() ちひろちゃん2歳も立派な“支援する会”のメンバーです。 7月13日に荷造りをしました。4箱。出荷番号は144〜147です。 横浜国大の有馬教授が今回のマダガスカル地質調査の際に粉ミルクを預かって下さいました。 10キロほど事前にお送りしました。25日頃にアベマリア産院に届く手はずです。 |
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2011年10月更新 マダガスカルへの荷造り作業
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<2011年7月更新> ●今回も地質調査のためにマダガスカル入りした小沼さん他メンバーの方々は、5月21日にシスター牧野のアベマリア産院まで直接粉ミルクを届けて下さいました。 ●6月14日、メンバーのうち、早く帰国された小沼さん、二ノ宮さんと今後の荷造り方法等をご相談するため、住鉱資源開発株式会社をお尋ねしました。 こちらから伺ったのは、支援する会の松本さんと私(福永)。松本さんはかつてマダガスカルに駐在をされていたので、マダガスカル事情に詳しく、小沼さん、二ノ宮さんらと話が弾んでいました。 二ノ宮さんは理学博士でもあり、マダガスカル島の地質学上の成り立ちについて、パワーポイントを使い詳しく説明して下さいました。勉強になりました。
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