日付からマイナスが取れました。
どうせ「あほくさ〜」とかなんとか思われてるに違いないんだわん。
ぜったいわたしの被害妄想に違いないのだ♪
以前、とある3年生に、とあるきっかけで「人文系の大学院というのはどういうところか」について話したことがあったのだけれども
(例のホームページとは別。)
その彼がふたたび「言語学でよその大学の大学院を受けたい」と相談に来ました。入学時から見続けてきて2年半、うちの大学の学生としてはとびぬけてセンスのある人であることは間違いないのですが…
これから一年半、個人指導で徹底的にしごく?
とりあえず『概論』を貸して通読するように言っておきました。英語に関して、「けんきう」という名のもとに、どのようなことが言われてきたかを知ってもらうことと、その中で興味がもてるものがあるかどうか考えてもらうことと。
13時半に始まって途中休憩を入れて18時前に終わった会議。終了後、とある方の軽やかな歌声を聞くことができました。
かぁいぎぃはつぅづくぅよぉ♪
その隣では、別の方が穏やかに呪文を唱える声を聞くことができました。
ギダイハツキナイ ギダイハツキナイ ギダイハツキナイ…
本当にお疲れさまです。ってぼくも参加してたんだけど。
みんなで仲良く壊れましょ♪
講義要項執筆。今回は自分の担当科目だけではなく他学部と共通の英語と、学部内共通の英語も。他学部と共通の英語の現行版は文体がぼくの趣味ではないのだけれども、どうしても直さなければということでもないので、基本的には変更なしの予定。学部内の英語はカリキュラム変更にともなって、ほぼ全面的に書き改めなければならない。書いたらほかの人にも見てもらわなければならないでしょう。だから早めに。
出演交渉。12月にやるとある学部内の催しでぼくの授業に出ているとある学生に協力してもらいたいので、依頼をかける。来週の授業の後にでも。話自体はややこしいものではないので簡単に済むでしょう。一番の課題は忘れないことだったりする。
20世紀もあとわずか。よく「20世紀はかつてない激動の時代だった」って言われることがあるような気がする
(↑気がするだけ。確認してはいない。)
のだけれども、これがくりしんの「身近な人はさまざまだけど、遠い人は一くくり」的な発想ではない、ということを示した人って…
きっとどこかにいるんだろうけど、ぼくが知らないだけなのに違いない。ぐったり。
んで、かりに「20世紀はかつてない激動の時代だった」というのが本当だったとしても、歴史の微分係数というか加速度みたいなもの
(↑自分でも何が何だか分かってないものを何とかして分かろうとしているって意味で、これはいかにもメタファーらしいメタファーだわん。ぐったり。)
が一定だったとしたら、 ことさらに「かつてない激動の時代」と言ってもあまり面白くないような気がする。もう一回微分してそのときに「20世紀だけはプラス」という結果が出たら(つまり20世紀に入って加速度が増加したら)、その時はじめて「かつて無い激動」ということが意味をもつのではないかしら。あるいはさらにもう一度微分して…
わけわかんなくなってきたからやめます。
不調ですが。
不調だとやるべきことがぜんぜん進まない。それで「う〜ん」と唸ってるとそれがさらなる不調の原因となるという悪循環。ぐったり。
おたんじょうび♪ をきっかけに生活変えよ。
今年は誕生日が出講日だ。授業中に公表して学生たちにネ口兄ってもらおうかしらん。
午後の非常勤、来週あたりで区切りがついて、その後は視点論というか自己知覚論というかエコロジカルセルフ論というか、そういうものに入る。今日は授業の最後にちょっと時間が余ったのでその関連の参考文献を二つばかり紹介しておいた。めんどくさかったので(♪)、掲載雑誌と発行年月と論文のタイトルだけしか書かなかった(つまり著者名は書かなかった)のだが…
実は二つともぼくが書いたものだったりする。あざとさ満点なぼく♪
てゆうか教材作らなければ。
某大学関係者ばっかりという感じで、ちょっとぐったり。
Nikki Engine 新名称募集・投票経過。まず最初は中位の名称に投票した。しばらくたってからリロードすると、その名称の得票数が増えていた。その後、上位の名称に投票し直した。しばらくたってからリロードすると、あらためて投票し直した名称の得票数が増えており、最初に投票した名称の得票数は減っていた。
当たり前といえば当たり前だが。要は何が言いたいかというと、決選投票は必要ないでしょうということ。
ここで答えてもいいかしらん。てゆうかここ。
昼前に出勤してコンピュータのスイッチを入れて日記など読みはじめてぎく! そういう読み方をする人、いたんですね、やっぱり。これからは気をつけなくては。ついでに部屋の掃除もしなければ。
このサイトのことだということが共通の読者でないと分からないように配慮してくださっているのは感謝感謝。
リンクをはらずにコメントするスタイルについては昔(といってもそんなに前ではなかったのだ。ぐったり。)書いたことがあるけど、それ以前の話として、自分の意識としては、このスタイルはぢっと手を見る方のまねっこです。
授業の合間の休み時間、ばたばたと準備室に鍵を返しに行きかけたところ、英語のネイティブスピーカーのきょ〜ぢゅに呼び止められ、とある名刺を見せられた。うっ! 私の指導教官。某所でペアを組んで何やらお仕事をなさったらしい。私の話もしたらしい。ぎくっ! そのきょ〜ぢゅは私の指導教官を「感じいい人」だそうだ。
あ〜なんかやだ。
いまごろ、なのですが。
春学期、パスネットが始まる前に買ったSFメトロカードが、度数がたくさん残っていて「これではパスネット対応カードに切り替えられない。嫌だなあ」と思っていたのだが、ある日ふと地下鉄の券売機を見ると、「パスネット対応カードは従来のSFメトロカードと同じものです」みたいに書いてあった。へぇ? という感じ。
昨日それを思い出して、帰りの私鉄で(回数券がまだたくさんあるんだけどそれは使わないで♪)その古い(?)メトロカードを改札に入れてみたら、何と無事通過できました。出るときも何も問題なし。
でもそれでも今一つ喜びきれない私。「発行会社以外で使えるのは普通乗車賃だけで、特急券とかは買えない、とかいうのでは嫌だなあ」と思ったわけなのです。で、今日、乗り換えのとき、数分時間があったのでホームにある特急の券売機にそのカードを入れてみたら…なんと使えるのであった。ただし今日は特急を使うメリットはなかったので直後に「取り消し」を押してカードを返してもらいましたけど。
ということなので、結構便利そうです。お金の計算をどうするのかは分かりませんが、頭のいいヒトビトが智恵を絞って考えたことだから、きっとうまくできるのでしょう(←思考停止モード)。
とりあえず、次の図を見てやってください。関東西部のJRの路線図です。(私の記憶に基づくものなので、不正確な部分もあるかも。)
高崎 ↑ * * ↓ ←********→ ←************ 高麗川 川越 大宮 * **********→ ←********→ * * * * * ↓ * 八王子 恵比寿←*******池袋 新宿
ここで、「←********→」は「一本の列車が走る区間」ないし「乗り換えなしでいける区間」を示すことにします。「八王子発の列車は高麗川を経由して、その後川越で終点」「川越発の列車は大宮で止まっちゃうこともあるけど、ず〜っと行って池袋・新宿を経由して恵比寿まで行くこともある」という感じ。
んで、何が言いたいかというと、問題。
「埼京線」は、どこからどこまででしょう。
「川越線」は、どこからどこまででしょう。
「八高線」は、どこからどこまででしょう。
全部答えられたあなた、本当にその答えでいいですか?
英語関係の授業で``sour grape''という表現の由来について語っていた学生がいました。くりしん関係のひとびとはこれでぴ〜んときたに違いありません。そう、私としては捨ておくことができず、何か言いたくなったわけです。でも本家くりしん本(2巻本)に何が書いてあったかなんて覚えているわけがない私なので、「?」と思いつつも即興で次のような話をしました。
(今言ってくれたように``sour grapes''には「負け惜しみ」というような意味があるわけだが、)sour grapesということには自尊心を保つ働きがある。同じように自尊心を保つ働きがある言葉としては、浮気をされた女性が言うとされる、「あの人(=夫)が浮気するのを私は許してあげてるのよ」「あの人(=夫)は私の掌で踊ってるのよ」がある。状況を「浮気をされた」と捉えることは自尊心を傷付けるが、「浮気することを自分の意志で許してあげてる」という状況の捉え方をすれば自尊心は傷つかずに済む。
これに関して「でも「負け惜しみ」ではなくて本気で「許してる」って言ってる人もいますよ」という学生がいたのだが、それに対しては
自尊心を守るための言動を、それと自覚せずにすることもある。
と、まことにもって鬼畜な私なのである。
ここでもちろん、「浮気をされた女性は本当にそういうことを言うの?」とか、「どうして浮気をされた男性ではないの?」とか、そういうツッコミも可能なのであるが、それとは別に、20歳そこそこの学生たちに向かってこのような話をしてしまってよいものなのだろうか、と思いはじめたときにはすでに後の祭りだったのであります。
英語の教材に、``He spoke to me as if/though I was/were his sister''という文が、文脈なしで出てきました。んで、ふとあることに思い当たった私は、学生に次のように聞いてみました。
「この文、どういう状況で発せられた文なんだろう。」
学生たちはいくつか考えを言ってくれたのですが、私はそれらを次々と却下して、こんな非クリティカルな解釈を提示してみました。
「彼」は、浮気をしている。「私」は彼の浮気相手である。ふたりで歩いているところを、見られていはいけない誰かに見られてしまった。そこで「彼」は「私」を、まるで妹であるかのように扱った。
鬼畜。
この↑解釈に対してはかなりの学生が納得してくれた♪ようだったが、とある学生が「どうしてそんな解釈を思いつくんですか?」みたいに聞いてきた。それを受けた別の学生が「体験談でしょう」。さらにそれを受けた別の学生が「でも先生は「彼」の立場ではなくて「私」の立場だよ」。
ここではこの最後の学生の発言に注目してみたい。最後の学生はどのように考えてそのようなことを言ったのだろうか。
考えられる一つの解釈は、「あろて君は誠実な人間なので、二股をかけることなどできない、とその学生は判断したから」である。もう一つの解釈は、「あろて君はもてない人なので、同時に複数の女性から愛されることなどありえないから、二股なんてかけたくてもかけられない、とその学生は判断したから」である。解釈はほかにもあるかもしれないが、とりあえずこの二つだけを考えることにしたい。いったいどっちだ?
んで、その場の雰囲気から察する限りでは、二つのうちの後者の解釈が正しいように思えるのである。
鬼畜な教師のもとでは、学生までもが鬼畜化していくのだろうか。う〜ん、ぐったり。
わぁたしの記憶が正しければぁ…
高崎 ↑ * * ↓ ←********→ ←************ 高麗川 川越 大宮 * **********→ ←********→ * * * * * ↓ * 八王子 恵比寿←*******池袋 新宿
「埼京線」は、「恵比寿」から「大宮」まで。
「川越線」は、「大宮」から「高麗川」まで。ただし、大宮と高麗川を結ぶ直通列車はない。しかも大宮では埼京線に直通で、高麗川では八高線に直通。
「八高線」は、「八王子」から「高崎」まで。ただし、八王子と高崎をつなぐ直通列車はない。しかも、八王子を出た列車は途中で八高線から外れて川越線に入ってしまう。
全部答えられたあなた、もしかして埼玉西部の事情に詳しい、わたしレベルのい○か○の?
歯医者の後、講義要項書いたり印刷したり講義要項書いたり印刷したり講義要項直したり印刷したり講義要項直したり印刷したり講義要項直したり印刷したり。講義要項はあと三科目。
う〜ん、ぼくも思い付きません。学生が言ったのは即座に却下してしまったし。どういう意見が出たかというと…
「お兄さんぶっている」〜でも「お兄さんぶる」という言い方は本当の兄妹の場合しか使えないのではないかしら。
「偉そうにしている」〜「違う」ということをきちんと言えないのだけれども、でもこれはしっくりこない。
あとどういうのが出たかは忘れました。
声を出さずにずっと黙っていた学生たちがどう考えていたかは分かりません。密かにもっといいことを考えていたかもしれないし、何も考えてなかったかもしれません。
ちなみにその本の共著者の一人は私の大学院のかなり上の先輩で、面識もある方なのですが…さすがにこの件で質問するわけには参りませぬ。
(補足(2000/11/11 0:14))
別の解釈を提示された方を発見しました。こちら(11/10)。さすがです。
とくに解釈1は美しい。美しすぎる。美しすぎてこの日記のネタになりません♪
解釈2は…学生は大喜びしそう。「まさにあろて先生のことだ!」って。
「姉」と「妹」の違いにコメントしようかとも一瞬思ったけど、問題発言になることが明らか(謎♪)なのでやめておきます。
こちらがアクセス解析をしていることを知っているに違いない人で、なおかつそのリンク以前にこちらがそのサイトの存在を知らないという人(ややこし)からリンクがあった場合、どう思うかというと…
まず、「この人は私を読者として想定しているのだな」と思います。
次に、「何かのおりに、こちらからリンクをはることに対しては好意的なのだろうか?」と疑問に思います。といってもぼくはもともとリンクをはらずにコメントすることが多いから、別にどちらでもいいことが多いのだけれども。
アクセス解析をしていることが明らかなサイトに、こちらからリンクをはってみたいときがあります。しかも、「向こうがこのページの存在を知っているかどうかよく分からないけど、もし知らないのであればそのままでいてほしい」などと鬼畜な願望を抱いたりすることもあります。そういう時、どうするかというと…
まず、そのサイトをリンク集に入れます。それからこのページで「リンク集をアップデートしました」みたいに言います。そうすると中にはそのリンクをたどって当該のサイトに飛ぶ人も現れるようで…
このページの上の方を見ればリンク集が存在することは一目瞭然で、しかも簡単に飛ぶことができるわけですが、リンク集からこちらに戻るリンクはない、というのがみそです。アクセス解析でこのサイトのリンク集にたどりついた人には、この日記ページの存在は分からないわけで、そうすると「???なんで突然このサイトからのアクセスが増えたわけ???」となるのです、きっと。確かめることはできませんが、でもきっとそうなるのです。
鬼畜。
以前、「ゲームの普及のせいでバーチャルな世界と現実世界の区別がつかなくなった人が多いっていうけど、それだったら映画とか小説とかはどうなんだ。あれだってバーチャルな世界だぞ」という議論をどこかで(どこだったかしらん)見た記憶があって、ほもほもと思ったのだが、その続き。こんな議論、どこかで出されたことあったかしらん。
映画は見ている人の意思や活動に関わりなく、ストーリーが展開する。それに対して、ゲームの方は、プレーヤーの介入によってストーリーが変わっていく。ということは、映画は受動的なメディアで、ゲームは能動的なメディアである。受け身になりがちな人間を育てる可能性が高いという点で、映画の方がゲームより有害である。
ちなみにこの議論が妥当かどうかについては、ぼく自身はぜんぜん分かりません。
これは私の仕事に関係することだから自分で調べなければいけないのだけれども、とりあえず問題設定として。
「英検2級が高校卒業レベル」て、いったいどういう意味? 高校の英語教育は学習指導要領で規定されているわけだけれども、指導要領が変わるたびに英検の内容も変わってるの? 変わってないとしたら、「高校卒業レベル」というのは何を基準にして言われているの?
大学によっては選択科目で英検2級対策の授業を開講したり、英検2級取得者に対して大学の単位を認定しているところもあります。その一方で、「2級は高卒レベルだから、そんなので単位認定してしまったら高校の教員から馬鹿にされる」という意見もある。んで、私としては疑問に思うわけなんです。実際問題として、英検2級に満たないレベルの学生に英語の単位をあげている大学はたくさんある。2級対策講座が単位の取れる正規の授業として成立するということはおそらくその証しとなる。そして、原理的な問題として、「高校卒業レベル」はどのように規定されるのだろうか、と。あるいは、「高校教員が英検2級取得者に単位をあげる大学を馬鹿にする」というのが現状だとして、それでは高校教員は何を根拠にそのような態度をとるのだろうか、と。
でも、「もし、はっきりした根拠がないとしたら、そういうあやふやな知識をもとに大学を馬鹿にするあなたがたこそ、馬鹿にされるべきであるぞよ」とは申しません。営業上マイナスになるという自己保身的な理由によるのではなくて、今の段階ではまだ根拠があるかどうか分からないから。そもそも「高校教員が馬鹿にする」が本当かどうかも分からないしね。
ということで、調べなくては。
昨日は土曜出勤でした。来週はどうなるんだ?
夜はとある学生に電話をしました。問題があるからではなくって、むしろプラスの評価に関係するといってもいいことだったのですが、それでも学生の親御さんと話をするのはぼくはコワイです。本人と話すのはぜんぜん平気なのだけれども(当たり前か)。
帰りのバスのなかでバッグの中から超常現象本を取り出したら、通路をはさんだ隣に坐った他学部のとあるきょ〜ぢゅがそれを目ざとく♪見つけて、「あろてさんこういうのに興味あるの?」ぎくっ!
「どういう意味で興味があるのか」にもよるのだけれども、誤解されると大変困るので、それがくりしん系の本であること、演習の課題図書の一つにしてあること、などを説明しておきましたとさ。
いちいち説明しなければならないところが何ともはや。
例の捏造発覚の件との関連。
毎日新聞によると、どっかの中学の先生が、「社会科の授業で生徒が自ら話題にして『大変なことだ』とみんなで考えた。この結果『教科書は絶対』ではなく、自分で考えることが必要だということを生徒に教える機会になった」と話したとのことである。???
教科書の記述が正しいかどうかって、中学生が考えて分かることなのかしら。あるいは発掘された資料の信頼性にしても、そう。
「自分で考える」ではなくて「自分で調べる」だったら少しは分かる気がするけれども、それにしても、書いてあることが正しいかどうかいちいち確認しなければならないとしたら、義務教育の教科書としては、危なくないか。
「情報を受動的に取り入れるのではなく、自分の頭で評価しながら主体的に取り入れるのが大事」というもはやステレオタイプと化した一般論としては正しい発想も、この場合に適用するのは適切ではないと思うのであった。
ま、どうでもいいところに反応しているという気もしなくもないが。
「遊びたおす」とか「寝たおす」とかの「たおす」って、「たての物を力を入れて横にする」の「たおす」とどうつながってるんだろう。
昨夜はぎりぎりの予定睡眠時間で床に就いたのだが、何と明け方間もない時間にたたき起こされてしまった。蚊です蚊。顔が痒い。羽音がうるさい。寝ぼけてぼんやりして現実が理解できないままちょっとぼ〜っとしていたのだが、あの羽音はやっぱり我慢できない。何とかかんとか起き出して夏場からずっと(一年中という噂もある。あくまでも噂。)置きっぱなしだった蚊取り器にマットを入れて電源に差し込む。
何かすっかり目が覚めてしまった。でも超寝不足は超寝不足。脳みその調子が自分で分かるくらい変。なのでがんばって二度寝を試みる。
蚊取り器をつけた後もしばらくは羽音が続いていたのだが、やがて静かになった。そして少しだけ眠った。
ということで、一日不調。もちろん今も不調。
非常勤先の控え室から。マイニッキエンジンが使えないので
(まさか誰が使うともしれぬ共用マシンに仕込むわけにもいくまい。)
ほとんど役に立たなかった。
細田氏の足掛け6年に及ぶ大労作とか、10年近く前に原本で読んだ本とか。
これは通読する予定はなくて、自分に関係ありそうな章を拾い読み。同じくこれも。
くりしんを極めるためにはこれも買うべきなのだろうけど、ちょっとそこまでは、って感じ。「決定版」といわれてもねえ。というわけでこれは買ってません。
授業とシンクロしている本はさっさと終えてしまわないといけないのだけれども、別の授業との関係で毎週一冊ずつくりしん関係本を読み直していかなければならない今日このごろだったりもするので、厚い学術書を通読するのはちょっとつらい。とかいってられないんだけど。は〜。
これも途中まで読んで中断。
ということでまとめ:収拾がつかない。
昔の私は、早寝早起き。理由は内緒。
最近は恋らしい恋はしてないような気がする。非常勤先の女子大で「人妻」の話をしたり「あの人(=夫)が浮気するのを私は許してあげてるのよ」の話をしたりするような鬼畜は恋をしないのです、きっと。ぐったり。
例によって今日は遅出の日。10時前に家を出て小走りで駅に向かっていたら、どこかの小学生が自転車で追い抜いていって、そのあとずっとこちらを気にしている様子。なんなの。てゆうか、何でこんな時間にうろちょろしてるの?
あ、そうか今日は埼玉県民の日。子どもたちは休みなのね。でもね、大人は授業があるのよ。埼玉県内の学校でも、授業があるのよ。
3年生はそろそろ就職活動が始まる時期です。(てゆうか学内でのガイダンスはとっくに始まってる。)で、うちの学部では、3年生の専門演習の時間に、学生に「自己分析シート」のコピーを配って、記入したものを回収して添削して返す、というのをやりました。遅れ馳せながらぼくも、添削したものを今日返しました。「赤字で書いたことを参考にして、書き直してみてください」とか何とか言いながら。その時、とある学生が言ったのが、上の言葉。
ぼくも素直にお返事しました。「ぼくも思ってなかった」。
別の、提出してなかったとある学生が言いました。「添削してもらえるんだったら、出せばよかった。でも、誰が見てるんですか?」
ぼく:「専門の人が見たとかではなくて、ぼくが見ました。ぼくは民間企業に就職するためのいわゆる就職活動はしたことがないので、もしかしたら添削のポイントがずれてるかもしれません。だから「参考」ということで」
素直すぎる反応かしらん。
それにしても、自己分析シートの書きぶりにもものすごく差があるのは面白かった。
あ、そうだ、授業に出てない(事情はまえ書いた)学生にも連絡しなければ。
バスの待ち時間、寒いので食堂で待つことにしたらとある学生につかまってしまい、「先生何歳ですか」「教えない」といういつもの会話だの「卒論どれくらい書いた」だのとやってるうちにあやうく乗り遅れそうになった。ぐったり。
明日の3コマ分の準備を22時から開始。ふだんは土曜日にやることを今ごろ。土曜出勤は思いっきりペースが狂うのだ。はぁ〜
2週続けて土曜出勤であった。決して自分に向いているとは言えない仕事を文句を言わずに引き受けるのは学会の年次大会にいかない口実を作りたいからではなくて大学の先行きに関してぼくなりに考えるところもあるからであって…
断った人がいる、というのは結構ぷんぷん♪ものだったりする。
けんきうでは食べていけないのよん。
ぼくらの生活は基本的に学生が払う学費に依存して成立しているわけだけれども、それは学生自身に対する教育活動とそれを取り巻くもろもろの活動に対して払われていると考えるべきであって、直接にはけんきう活動に対して支払われているわけではないのねん。もちろん各教員の教育活動を背後で支えているのはそれぞれのけんきう活動なのだけれどもん。
なんか話がそれていきそう。とにかく明るい週末元気にお仕事、なのであった。
この日の最初のお仕事はスポーツ推薦の面接。
まず駆け引きで負けたわん。一人目の受験生に対して「受験番号と名前を言ってください」「坐ってください」という指示をうっかり私が出してしまったために、それ以後私が中心に喋ることになってしまった。私が中心に喋るというのは受験生に喋らせないということではもちろんなくて、ほかの教員があまり喋らない、ということ。ふにゅ〜。いつもは私の方がほとんど喋らない楽な役回りになるのだが。
スポーツ推薦の人は、入学してからどのような勉強をしていくのか、卒業したあとはどのようにして生活していくのか、そういうことをあまり考えていないようだった。心理学は実験が多いということを知らないのはやむをえないとしても、第二外国語で英語以外の言語を勉強しなければいけないということでびっくりしないでほしかったわん。
最近、女子学生に個別面談的なシチュエーションでお説教を食らわすときには、満面に優しい笑顔を浮かべて相手も微笑ませておいてゆっくりした口調ででも内容的にはきついことを言う、という鬼畜なスタイルが定着しつつある私なのだけれども、この時もそれが爆発。面接終了後もその惰性のままにこにこ顔で部屋を出ていったので、廊下で待機していた職員に怪しまれてしまった。「あろて先生は最後の受験生のことが気に入ったらしい」と思われたりしてたら嫌だなあ。「嫌」というのはその受験生に対して失礼かもしれないけど。
そのあと一般推薦の面接。
中に、「お姉さんがこの大学の卒業生」という人がいた。「お姉さんは○○学部でしたよね?」「君が○○学部ではなくてこの学部を選んだのはなぜですか?」などと鬼畜な質問をしてしまったわん。学生が出してきた書類にはお姉さんの名前も学部も書いていなかったわけなのでちょっとびっくりしたみたいだけれども、3年前に私の英語の授業に出ていた人だったのだ。入試の当日に書類をちらっと見ただけで思い出せるくらい印象に残っている学生で、つまりはいい学生だったのだが、そういう学生の弟妹が推薦で受けてくるというのは、この大学のことを評価してくれたからと考えていいと思うので、やはり嬉しいのであった。
ただしその人が今回受かるかどうかはまた別の問題なのだけれどもね。ぼくも雑念を振り払いながら「姉は姉、弟は弟」としてつけました。雑念といっても「姉があんなにいい学生だったから、この人も…」と、「姉はあんなにいい学生だったのに、この人は…」と、両方ありうるのだけれども。
乗換駅の出入り口のところに小さな電光掲示板があって、そこに「明日の天気」が表示されている。「明日の天気」という文字は掲示板の外側に決め打ちされているわけではなく、掲示板の中の電光部分に入っている。
この掲示板がとにかく有り難いのである。帰りぎわに明日の天気を知ることができるだけでなく、朝の一限から仕事がある日の出勤途中にも、明日の天気をいち早く知らせてくれる。今日の帰りがけの天気などという目先のことではなく、先を見通すことの大事さを教えてくれる、ありがたい掲示板なのである。
今日このごろ。
授業中に悪さをする学生の電話を一時的に取り上げることがある。そういうとき、みんなに聞こえるように大きな声でぶつぶつ独り言を言いながらあちこちいぢくり回してあげるのだけれども、どこをどう操作したら何ができるのか、ぜんぜん分からないのが悔しいのだ。
って、やっぱり買わないほうがいいか。
子どもの頃、『空手バカ一代』(まんが)が「からてばか〜だい」に見えてしかたありませんでした。
このページの常連読者に、某ネット.ne.jpというプロバイダからアクセスしてくる人が一人いる。また、私の知り合いに、同じ某ネット.ne.jpを利用していることが分かっている人が、一人いる。しかも、その読者とその知り合いは同じアクセスポイントを利用している。ゆえに、その読者はその知り合いである。ぎゃ〜
え、ぜんぜんクリティカルじゃない? この推論が正しいという保証はどこにもない? いや、そんなことはどうでもいいんです。問題は、この推論が間違っているという保証がないことなんです。つまりあの読者があの知り合いである可能性が消えていないということなんです。
ま、別にいいけど…
加藤派の何ちゃらさんという人がインタビューされてたときのこと。たはらそういちろうさんから「離党するんでしょ」と突っ込まれてすっかり保身モードにはいっていたのが正直でよかったわん。
購買に行ったら、おにぎりとかサンドイッチとかを売ってるところの、「おにぎりはレンジで温めるとおいしくなります」とか何とかそういう親切なことが書いてあるとなりに、「安い! 安い! おにぎりとカップメンで300円以内で昼食が食れます」とあった。
ちょっとこれは困るなあ。「食れます」ってどう読むの?
「おにぎりとカップメン」というしゃれにならない鬼畜な組み合わせについてはあえて何も言うまい。
某学部のとあるきょ〜ぢゅに似ていると思っているのはどうせぼくだけなんでしょう。ぐったり。
反粒子でできている人だから近づいてはいけないのだと知りつつ、でも抗うことができずに引き付けられていくあの人。このまま引き寄せられていったら、手と手が触れ合った瞬間にふたりとも一瞬の輝きとなって消滅してしまうのだ。でもまあどうせ一度の短い人生だからそれでもいいか。いやもしかすると反粒子でできているのはあの人ではなくてぼくのほうかもしれない。つまりぼくは誰ともふれあうことができないのではないか。だとしたらビーファクトリーの中を全速力で駆け抜けて潔く消滅するのが一番かもしれない。そうやって短い生涯を科学の進歩に捧げることがレプトンお茶の会会長に相応しいけじめの付け方ではないのか。そうだ、それしかない。
サイエンスアイ、みました。気がつくのが遅かったのでビデオは録ってないのですが、何となく勉強になりました(←おいおい「何となく」かよ)。餌子氏の旧サイトのトップページにあった謎めいた絵にそっくりの図が出てきて「!」と思ったりとか、本家つくばというのは「筑波大学」のことではないのだとか、餌子氏とたたり氏の専門が、人文系の人間がそれぞれの名称から漠然と抱く印象よりもずっとつながりが深いらしいとか、クオークってのがカード人間の名前(だけ)ではないらしいとか、そんなこと。
それから、宇宙が収縮してしまってぼくの身体より小さくなったらぼくはどこで暮らせばいいのだろうかとか、でもそのあとまたビッグバンが起こって大きくなるからほんのちょっとの辛抱に違いないとか、でもその間息ができないよどうしようとか、腹が減るだろうからカップメンくらいは準備しておかなければでもガスは使えるのだろうかとか、そんなはじめ人間ギャートルズのエンディングテーマ並みの馬鹿なことは考えませんでした。
接続詞の穴埋め問題がちゃんとできるかどうかって、論理的想像力の問題なんですよね、出題者の。宿題を採点してたら教授用資料に載ってない別解がぼこぼこと発生してきて、ぐったり。
授業中に返して正解を言ったときに「これは何でだめなんですか?」と聞かれて答えられないと困るので、資料に正解として出ていない答えを学生が書いてきたときには○にするか×にするかいちいち考えなければいけない。ぐったり。
たまにあるのです、誰か偉い人が書いた長い文章の、段落の始めとかにくる接続詞を穴にした問題で、やってみると正解が一つに決まらない、ってやつ。出題者は原文知っているからそれに引きずられて「原文通りの答えが正解」って感じでいるんでしょうね。まあ「原文通りの答えは正解」というのは確かなのだけれども、それが「唯一の正解」かどうかとなるとまた別の問題でして。それ以外の間違いであるべき選択肢たちが間違いでないことがある。ぐったり。
ビックカメラから葉書きがきた。何かと思ったら、たまってるポイントの期限がもうすぐ切れるから、何か買いにいらして、ということだった。さ〜て、何買おうかなあ。別に欲しいものなんて何もないんだけど、何か買わないとなあ。
これって思うつぼ?
でも2万円分以上あるから、ちょっとしたものだったらお金払わなくてもいいんだよねえ。これって思うつぼ?
仲良く 肩車♪ のイメージ。上に乗ってる人にはきっと何かすごいものが見えてるに違いない。
午前の非常勤のあと、残った学生ふたりとミニ勉強会。イントネーションの付け方で意味が変わる表現の例として教科書に出ていたもの。
学生たちは「上がる」だの「下がる」だのと言っていたのだけれども、こういうのは実際に上げたり下げたりして言ってみないと直観が働かないものなのですわん。なわけでぼくが「ごんぎつね」の人(名前失念)にな(りき)って上げたり下げたりしておりました。ぼくはふだんイントネーションをあまりつけないで喋る人なので、こういうのは苦手。いきおい、どことなく芝居がかった雰囲気になってしまって…
とうとう学生たちは笑い出してしまいましたのん。う〜ん。
「ごん、お前だったのか↑ いつも栗をくれたのは↑」と、後ろも上げるとなんか たけだてつや 風かなあと思ったのですが、今あらためて考えてみると違うような気もします。だれ風なんだろう。思い出せない。
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