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サイトウ・キネン・オーケストラin New York(1)

手塚 代表取締役名誉相談役


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 21世紀の音楽体験は素晴らしい幕開けを迎えた。世紀をまたぐ2000年12月末から1月初めにかけて、太平洋を挟んだ日米をまたにかけて小澤征爾、サイトウ・キネン・オーケストラが催したコンサートツアーの最後をかざる、ニューヨーク、カーネギーホールでの記念すべき公演に立ち会えたのである。

 自らを、日本人が世界の洋楽の世界にどこまで通用するかという実験を行っていると称してはばからない小澤征爾が、これも日本のオーケストラがどこまで世界に通用するかという壮大なる実験であるサイトウ・キネン・オーケストラを結成して活動を始めたのが1984年。昨年はマーラーの第二交響曲「復活」で日本レコードアカデミー賞を受賞しているこの組み合わせだが、20世紀の終幕から21世紀の幕開けに、19世紀末を代表する作曲家、マーラーのこれも世紀の変わり目を象徴するかのような第九交響曲を日米で演奏するというプロジェクトを敢行したのである。
 実際にはマーラーの第九は1910年、世紀が明けた20世紀初頭に作曲され、作曲者の死後1912年になって20世紀を代表する指揮者の一人、ブルーノ・ワルターによって初演されている。この、形式上は古典的な4楽章をもった交響曲が、19世紀まで連綿と続いた西洋音楽の王道であった交響曲という様式の最後の黄昏をかざる、儚くも美しい残光のような作品であることは、その後20世紀の西洋音楽が無調音楽、現代音楽という袋小路にはまり込んでいく事実を考えると異論は少ないだろう。

 東洋における洋楽の世界を代表する小澤・サイトウ・キネンのコンビが、世紀の変わり目にこの象徴的な作品を持って、20世紀に世界史に台頭した東洋の旗手=日本と、同じく20世紀に欧州からバトンを委譲された西洋の旗手=アメリカで、同時に真価を問うたということは、21世紀の世界の行く末を暗示するものなのかもしれない。

 12月31日、大晦日に長野県松本市でスタートした今回のプロジェクトは、正月を明けて1月2、3、4日と東京で連続公演し、引き続き太平洋をわたって7日からサンフランシスコ、セントルイス、シカゴ、そして11日のニューヨーク、カーネギーホールまで、マーラーの交響曲9番ただ一曲だけからなる都合8回のコンサートシリーズであった。筆者は幸い、仕事で訪れることになっていたニューヨーク=カーネギーホールにおける千秋楽のチケットを前々日に入手し、この演奏を耳にするという幸運に巡り合えた。

 結論からいうと、この演奏は筆者のコンサート経験でも希に見る感動的なものであった。しかもこれは決して筆者一人の受けた感動ではなく、当夜カーネギーホールに居合わせた2000人弱の聴衆が、等しく共有したものであったと断言できる。なぜなら、この19世紀の交響楽へのレクイエムともいうべき作品の終末で、あたかもなごりをおしみつつ、静寂なる終焉に向かうかのごとき弦楽合奏が、巨大なホールの空間の中に、宇宙の微弱電波のような空気のかすかな振動として消え去っていったあと、およそ1分間にも及ぶ「無の世界」が現出するという奇跡が訪れたからである。以前も指摘したかもしれないが、欧米の音楽会では咳や様々な雑音で集中力をそがれることが多いのだが、今回の演奏会に限っては、NYの聴衆が金縛りにあったかのごとく、虚無の静寂の中、微動だにせずに指揮者=司祭による緊張の開放の合図を固唾を飲んで待っていたのである(1分間はもしかしたら筆者の誇張かもしれないが、少なくとも30秒は過ぎたと思われるし、それだけの異様な緊張感が会場の空気に張り詰めたとこは事実である)。これは、かつて筆者が十数年前、NHKホールの最前列で体験したバーンスタインの指揮するイスラエルフィルによるマーラーの9番の歴史的名演の感動を超えるものであった。

 さて実際の演奏であるが、第一楽章の複雑極まりない、恐らく近代オーケストラ作品の中でも極め付きに演奏の難しい音楽を、小澤・サイトウ・キネンは全くあぶなげなく極めて明晰な演奏に仕上げていた。この時点では後述する弦楽セクションの実力は、まだ片鱗を見せるにとどまっていたのであるが、木管セクションとホルンの安定した美しい響きは、ともすれば楽譜通り演奏する事で汲々とするこの楽章に美しい「歌」を感じさせてくれた。とくに難所である後半の木管とホルンによるカデンツァ(音楽の友社版のスコアでいうと378小節目)におけるホルンとフルートのポリリズムによる難しいパッセージは感嘆するほど見事であった。
 フルートは日本を代表する工藤重典がトップを吹いていたが、ホルンのトップは残念ながら名前がわからない。日本人ではなかったようなのでメンバー表から察するにRadek Baborakなる奏者かもしれないが、筆者は素性を知らない。(誰かこの辺の事情を知っている人はぜひご教示いただきたい。)しかし、彼に限らずこのサイトウ・キネンのホルンセクション(この演奏会では5人)は、おそらくウィーンフィルやベルリンフィルに匹敵するほどの感嘆すべき腕前の持ち主たちであり、カーネギーホールの空間を豊潤かつ朗々とした響きで満たしてくれた。

 この19世紀への訣別を宣言するかのような、無調音楽と調性音楽、拍節音楽とポリリズム音楽の狭間を行くような難局を乗り切った小澤・サイトウ・キネン・オーケストラは、第二楽章からさらに真価を発揮しはじめる。第二楽章冒頭、ファゴット、オーボエ、クラリネットの諧謔的な旋律の、伸びやかな響きが会場を満たした。このオケのトップオーボエは、ソリストとしても活躍している宮本文昭である。おそらくベルリンフィルのシュレンバルガーと並んで、今世界で最も饒舌な響きを聞かせてくれるオーボエ奏者である。クラリネットは元ベルリンフィルのトップとして君臨した名手、カール・ライスター。往年のカラヤン・ベルリンフィルの響きを支えたビロードのように柔らかく豊かな響きは健在であった。
 このオケは故斉藤秀雄の弟子が集まったオケという歌い文句ではあるが、斉藤秀雄でもすべての楽器に弟子がいるわけではなく(桐朋音大では主に弦楽奏者と指揮者を中心に育てたはずだが)、一部は斉藤秀雄の弟子ではない名手の助っ人を頼んでいるのが実態である。しかし特別編成のヴィルティオーゾオーケストラというオケの趣旨に賛同し、小澤の音楽性、人間性を慕って毎年参加する名手は後をたたないという。ライスターなどは、その典型だが、筆者の印象に残っているのは、実はこのオケを創立以来支えている影の立役者、ティンパニのエベレット・ファースである。彼は筆者も良く知っている。名門ボストン交響楽団の名物ティンパニストで、筆者がボストン在住時代に、ボストン交響楽団の会員だった時には、彼の太鼓が聞きたくて通った記憶がある(小澤の指揮で演奏会形式で上演されたリヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」の終結部で、彼が渾身の音で響かせた3連符の強烈な打撃は忘れられない)。
 今回も、彼は健在で(白髪のおじいちゃんだが、一体いくつになったのだろう?)、素晴らしい太鼓の響きを聞かせてくれた。実際に見たことのある方は賛同していただけると思うが、彼の場合、指揮者の正面に対峙して、曲の盛り上がりに合わせて出番が来るのをなんとも言いようの無い緊張感を態度で表してながら待ち構え、いざキメの一発というところで居合い抜きの剣士のような間と気迫を持って叩くのである。これは見ているだけで、「一本」と叫びたくなる技である。そもそもティンパニというのは管弦楽作品のキメを担う重要な要であると同時に、普段は指揮者の正面にどっかと座りコンサートの成り行きを客観的に観察しながら、指揮者と「あうんの呼吸」で入魂一刀のパンチを持って舞台を引き締める役割を担っている。ここに小澤が全幅の信頼を寄せるファースを起用していることが、サイトウ・キネン・オーケストラの成功の秘密の一つであることはまず疑いないだろう。

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