さてシカゴ交響楽団ですが、とにかく昨晩の主役はホルン、特にトップのデール・クレベンジャーでした。終演後、彼だけ立って挨拶したとき、会場中が割れるようなブラボーの怒声がとんだのでも明らかです。こんな凄いホルンはなかなかないでしょう。フォルテで吹いたとき、あの広いホールにびんびん響き渡る、芯のある深い響きがします。ほとんどミスをしませんし。この人がリードして、まるでホルン協奏曲のような3楽章で7人のホルン吹きが活躍するのですから、聞きごたえありますよね。
この人と、後述するトランペットのトップを吹いているアドルフ・ハーセス、それにトロンボーンのヨップのジェイ・フリードマンの3人は、CBSレコードが1968年にシカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、クリーブランド管弦楽団のブラスのトップを集めて、立体ステレオで録音したジョバンニ・ガブリエリの管楽アンサンブル集の名盤で、シカゴを代表して吹いているわけですから、何と30年余りトップの座を守っている名物男たちなわけです。
さすがにみんな白髪のお爺さんでしたが、とくにクレベンジャーには脱帽しました。全盛期のベルリンフィルのゲルト・ザイフェルトと互角(小生はカラヤン、ベルリンフィルで73年NHKホールでの「英雄の生涯」、79年普門館でのマーラー交響曲6番で、この人のホルンに驚嘆した経験がある)といえるでしょう。ザイフェルトが引退した後のベルリンフィルのマーラーの交響曲3番を昨秋、同じシカゴシンフォニーホールで聞きましたが(指揮はアバド)、ことホルンに限ってはややパワーダウンの印象を持ちました。ちなみに往年のソロ・ホルン、ノベルト・ハウプトマンはまだいましたが、7番ホルンという寂しい役でした。
本稿の趣旨から離れますが、ベルリンフィルの音は、シカゴよりもっと艶っぽく、色気がありますね。オーボエのシュレンベルガーの貢献が大きいと思います。弱音部のシルキーな肌さわりの響きは、セクシーでさえありました。それでも3番の最後の大音響はシカゴも真っ青のすさまじいフォルテでしたが。
さて、マーラーの第五交響曲のことを書くのに、有名な冒頭のトランペットのことを書かないわけにはいきませんね。でも、残念ながらこれだけが昨晩の不満だったのです。
勿論吹いていたのはハーセス。でも出だしの3連符の跳躍のところで、のっけからひっくり返ってしまいました。この出だしのトランペットの送葬ラッパは実に難しいのですね。たった一人の最弱音でこの大曲を開始しなければならないプレッシャー。多くの実演でトチっているのを目撃(耳撃か?)しています(「展覧会の絵」も同じですな)。さすがの名手ハーセスもここでは音がひっくり返ってしまいました。
でも、不満なのはその点ではなく、彼の音そのものです。非常に太くて立派な音なのですが、いかんせん音が大きく太すぎる。チャイコフスキーの第四交響曲なんかだったらいいのでしょうが、マーラーのピアニシモにはもっと高音域に倍音を含んだ、細く透明な天使のラッパみたいな音が欲しいと思います。一楽章は出だしも終わりもトランペットのピアニシモですから。その点、ベルリンフィルやウィーンフィルのトランペットは、何ともいえない艶のある柔らかい絹のような音が出せるのですよね。楽器がちがうのかもしれないけど。きっとハーセスはお爺さんになって唇が堅く厚くなってしまったのでしょう。残念でした。
一方、意外や素晴らしかったのは弦楽アンサンブルでした。ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」で一躍有名になった4楽章も素晴らしかったけれど、2楽章でヴァイオリンがG線を多用して、非常に太くて深々とした美しい旋律を奏でるのですが、ジュリーニがシカゴを指揮した同じマーラーの第9交響曲の名録音の終楽章を彷彿とさせる、素晴らしく感動的な響きでした。低弦群もどっしりした響きでアンサンブルを支えて、立派でした。同じ2楽章の中ほどでチェロがパートソロでピアニシモの「泣き」を入れるところなんて、トリスタンの出だしそのものの悲劇性と品格を持った音をだしていました。
いずれにせよやはり全米トップの評判高いシカゴ交響楽団は素晴らしく高性能のオケでした。特にホルンは恐らく世界トップ水準と言えるでしょう。こんなオケを美しいシカゴシンフォニーホールでいつも聞けるシカゴ市民は幸せです。筆者は午後10時半の終演後、2時間運転してインディアナにもどりましたが、シカゴとサウスベンドには時差が1時間あるので帰宅は1時すぎになりました。でも、正直言って病み付きになりそう。そういえば4月のコンサートの予定に、リヒァルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」があったな・・・。これって、ホルンが最高に活躍する曲なのですよね・・・・。