5番街でしばらく買い物などをして気分を紛らわせ(頭の中にはさきほどまでの中国風のファンファーレが鳴り続けているのであるが……)、5時半に予約しておいたリンカーンセンターそばのフレンチの老舗、カフェ・ド・アーティストに向かう。
ここはニューヨークでももっともロマンチックなレストランの一つに数えられ、店内はロココ調の壁画と生花に溢れている。ZAGATの人気投票で9位、料理のポイントも24点と高く、予約を取るのも週末はなかなか難しい。さすがに「薔薇の騎士」の長丁場が待っているので、酒はグラスで注文し、筆者は値段の割に美味しいペリンのコート・ド・ローヌ赤97年、家内は洋梨の入ったシャンパンカクテル。料理は前菜に季節のマッシュルームのソテーとアスパラガスに生ハム、スモークサーモンなどを巻いたもの。メインにシーフードリゾットと牛肉のグラーシュ風煮込み。
前菜はいずれも美味。メインのリゾットは大きな頭付きの海老が乗っていたもののフレンチのリゾットなのでイタリアのようなわけにはいかない。これならニューヨークでは53丁目のREMIか、ワシントンのGoldoniといったヴェネチア料理店のリゾットの方がずっといける。
一方グラーシュの方は、通常のハンガリアングラーシュのパプリカに、カレー風味が加えられており、濃厚なれどかなり後を引く美味しさだった。肉も溶けるほど煮込んであり実に美味。デザートでとったチョコレートムースのモカソース添えも甘さ控えめで(これはNYでも珍しい)相当なものである。前の晩、フレンチの若手名手ジャン・ジョルシュのビストロ、JOJOで食したアジアフュージョン系の極めて高水準のフレンチ(メインはロブスターのタイカレー風味と鹿肉のブラウンソース)も良かったが、ここもクラシックな正統派なれどかなりいける。
いずれのレストランも3週間以上前に予約しないと週末の席は確保できない(ちなみに参考までに今NYで注目されているレストランはイタリアンのBabbo、その支店のLUPA、最大のワインリストを誇るVERITAS、天才ブーレーが開いた珍しいオーストリア料理のDanubeあたりか。いずれも1ヶ月前の予約が必要)というわけで、これから19世紀末の甘い夢「薔薇の騎士」を聴くにはいささか胃袋が満足しすぎた状態でリンカーンセンターに歩いて向かう。
さて、「薔薇の騎士」である。この19世紀末の徒花ともいうべきフーゴー・ホフマンスタール、R・シュトラウスの手になる長大かつ絢爛たるオペラは、7時半と通常より30分早い開演で始まり、終演はなんと夜中の11時45分という4時間あまりに及ぶ大作である。
東京のコンサート事情では夜10時過ぎの終演はほとんど不可能(埼玉や千葉在住の観客が帰宅できなくなる)という事実を考えるとなんとも贅沢な世界と言わざるをえない。ましてや都の公務員が務める東京文化会館などは、夜9時以降の業務を労働組合が拒否しているため、「薔薇の騎士」クラスの大作ともなると開演が午後4時という、色気のない世界となってしまう。オペラはせめて開演前に早めのディナーを楽しみ、終演後は近くのバーでシャンパンなどを傾けながら感動を語り合うという贅沢が、楽しみの一環であるべきである。
ちなみに若しメトでオペラをという計画を持つ向きには、終演後のためにリンカーンセンターから歩いて15分の大人のシャンパンバーFluteを推薦したい。54丁目とブロードウェイの交差点近くの地下にあり、グラスで7―8種類のプレミアムシャンパンが午前2時まで楽しめる。
さてナタニエル・メリルのプロダクションによる今回の「薔薇の騎士」であるが、これはオットー・シェンクと並ぶ正統派の舞台であった。舞台の上部にはオーストリア・ハンガリー帝国のエンブレムが掲げられ、18世紀末のウィーン宮廷の雰囲気をかもす優雅な舞台が繰り広げられた。
歌手陣も「トゥーランドット」とは打って変わって、充実した実力派で占められ、この長大な歌芝居を飽きさせることなく聞かせていた。オクタヴィアンのクリスチン・ジェプソン、元帥夫人のセシル・スチューダー、ソフィーのエリザベス・ノーベルグ・シュルツの主役3女声はいずれも美しい声の持ち主で、見栄えも優雅。まさに絵になる役だった。また今一人の主役、オックス男爵のエリック・ハルフヴァルソンも、美しく伸びるバスの低音と、ギョロメのどこか憎めないキャラクターで、なかなかのはまり役。やや背が低いためクルト・モルの堂々たる存在感は望めないものの、細やかな演技で長大な舞台を引き締めていた。