第三幕後半のブリュンヒルデとウォータンの対話と「ウォータンの告別」の場面は、ワーグナーが書いた最も感動的な音楽に支えられ、胸にしみる舞台である。
ワーグナーのト書きに忠実でまことにオーソドックスなオットー・シェンクの演出では、ウォータンが愛娘のブリュンヒルデの眼からワルキューレとしての神性を抜き取り、一人無防備な眠りにつかせるのだが、この娘を守るため火の神ローゲを呼び起こし、赤々と燃え上がる炎の壁を築くクライマックスが用意されている。舞台一面に霧を発生させ、それが夕焼けのように燃え上がっていくのであるが、それは感動的なシーンである。
その中に一人たたずむウォータンが「我が槍の矛先を恐れるもの、この炎の輪を越えるべからず!」と勇壮な「ジークフリートの動機」に合わせて歌うエンディングは涙なしには見ていられない。
キットのウォータンは、この場面、気品と優しさのあふれた歌い方で歌い収めている。CDなどではこのセリフは、あたりを払うような威厳をもったフォルテッシモで歌われるケースが多いのだが、よくよくスコアを確認すると、はじめピアノからスタートして途中次第にクレッシェンドし、最後にフォルテで終わると指示されている。キット・ゲルギエフはほぼこのスコアの指示どおりに演奏していた。
さらにその後、金管群が朗々とこの「ジークフリート」の旋律を繰り返すのだが、有名なクナッパーツブッシュ盤などは、ここで強烈にテンポを落としソステヌートして、豪放壮大な気分を盛り上げてさらなる感動を誘うのであるが(カラヤンやショルティでも若干減速をかけている)、ゲルギエフはまったくそういった処置をせず、インテンポのまま淡々と進んでいった。
その後、ホルンが朗々と奏でる感動的な「告別の動機」も、通常であればフォルテで壮麗に奏でられるのであるが(カラヤンはここを非常に強調してベルリンフィルのホルン群をフォルテッシモで音が割れるほど朗々とソステヌートで吹かせている)、実はスコアの指定はピアノ・エスプレッシーヴォ。ゲルギエフはここでも大見得を切らずに力むことなく淡々とスコアどおりに演奏させていく。まるで舞台の上の炎がゆらゆらとたゆとう様に・・・。
そして次第に「炎の動機」が上昇・昇華していき、最高音に上り詰めてホ長調の主和音が静かに消えていく中、音もなく幕がおろされて、4時間半にわたる楽劇が大団円を迎えたのである。ゲルギエフはともするとロシア的で野卑な演奏をするというイメージをもたれているが(あの無精ひげをためた風貌と、満身の力をこめたような指揮ぶりからきているイメージだろう)、実際は大変スコアに忠実で繊細な指揮をするということがよくわかった。ただ、彼が指揮をとった際にはオーケストラに緊張感がみなぎり、大変熱のこもった手抜きのない演奏をするため、実際の音響以上に充実感のある響きとなり、それがワーグナーの緻密なスコアとあいまってこの稀有な水準の上演を実現したのだと実感した。
満足感にため息をつきながら会場の外へでると、開演前にパラついていた小雨も止み、春の夕暮れのセントラルパークを通ってきた心地よい湿度をふくんだ風が筆者の熱を持った顔に心地よく吹いてきた。