「惜しまれて去る花道」は、今回は文字通り、ふさわしい表現かもしれないと思われます。 前任者のズービン メータと楽団の冷めた関係から、ちょっとはぐれた感じだったニューヨークフィルをわりと早期間にまとめ、集中力と自信を戻させた立役者が11年の任期を終える最後のイベントフルなコンサートの夜です。
マズールの場合の「冷めた関係」は楽団とではなく、理事役員会とだったのは周知の話です。 退任にあたって、TVや新聞とのインタビューで、「やり残した事がまだまだあり(例:ボストン響には夏のタングルウッドがあるが、NYCフィルにはそれにあたる場所がなく、夏の音楽祭をNYCフィルの名物として立ち上げるなど、プロジェクト案が彼の頭の中にあったようです)後ろ髪をひかれる思いで残していくことになる」とコメントしています。
また、彼自身も「東西統一後の故国での環境やシステムがどのように変わっているのか理解するのに時間がかかるであろう」(もっとも彼の次の任地は故国でなくフランスですが、アメリカをベースにからヨーロッパベースへということでは変化が大きいと考えられます)と言っており、この11年間でニューヨークへの愛着がかなり彼の中に大きく育まれているのがわかります。
さて、コンサート内容ですが、どれも彼自身の選曲によりプレイビルにも各々彼のコメントが添えられています。音楽を通しては勿論ですが、このコメントにより、彼の人柄がうかがわれ興味深いものでした。 さらに、舞台でそれに花を添えたのが司会役をつとめる往年のアメリカンソプラノ、ビバリー シルズ(指揮者と同時期にリンカーンセンターのプレジデントを引退)スピーチです。
コンサート内容ですがまず、スタートはバーンスタインの「キャンディードオーバーチューン」から。指揮者のコメントとスタイルが印象的です。
「NYCフィルとバーンスタインの由縁は歴代の音楽監督のものとはまた違った特別な愛着を感じます。特に、このオーバーチューンは楽団員自身が各々名匠である楽団にとっては特別な意味を持ち、実際心から知りつくしています。バーンスタインが亡くなって直ぐに彼らがこれを演奏したのと全く同じものが年月を経て今夜聞けるのです」とコメントし、事実、指揮者無しで楽団だけの演奏というユニークな形式で幕を明けました。
今夜のプログラムは本当に特別製で、今までのコンサートで「演奏する陽の目を見なかった作品コレクション」とでもいったものばかりで、肩のはるものはなく、誰の耳にも聞き易い、それぞれに趣向をこらした楽しい作品集でした。 基本的には彼のこれまでのスタイル、つまり楽団員の作りだす音の個性と技量に敬意を払い、光をあてるというものです。
いくつか私も聴いたことがない美しい音楽をはさみ、彼と同じくライプチヒが長かったメンデルスゾーンへ続き、そして希有コレクションの極みはオペラ「蝶々夫人」のACTIIのイントロダクション―蝶々さんの悲劇を暗示する曲―です。
これについての彼のコメントが奮っていて「75回目の誕生日を迎えて今までの人生のハイライトの数々を思い起こすと、20数年前ライプチヒ近くのとある劇場で、妻のともこがタイトルロールを歌った事があります。彼女の声は大きくはないが、美しいドラマチックソプラノで、それは役柄ととても合っていてオペラ自体が大変引き込まれるものになったのを鮮やかに覚えています。今まで数え切れないくらいオペラの指揮を手がけてきましたたが、その夜は私は客席の中の聴衆のひとりでした。家族のひとりとして、当然ながらカメラマンの役目を仰せつかっていましたから」この巨匠が客席の中で写真をパチパチと取っていたとは! なんともユーモラスな表現の中に家族思いの暖かなものを感じました。