木下黄太氏インタビュー
「放射能防御」と脱原発を巡る、もろもろの事情
「週刊新潮」はなぜ木下黄太を叩いたのか
木下 でもそういう私の最悪のイメージ通りにはならなかったわけだから、「木下、責任を取れ」と言われたら、この点はまちがっていたと言わざるをえません。だけど、僕を批判する大半の人は、そこには触れずに、その先のことを非難するんです。
「週刊新潮」だけは当初から僕を批判していましたが。これは、オウム事件の頃からの遺恨がありますので。オウム事件関連で「週刊新潮」のほうから接触してきました。こういうことはよくあります。
こういう場合は情報交換が基本です。「お互いに必要な情報をバーターするのかな」と思ったら、「お金どこに振り込んだらいいですか?」ですからね。
こちらの情報に金を払って乗っかってこようとしてきてるんですよ。
僕にはこれは許せない話でした。
運営者 ふつうは取っ払いで封筒に入れて1万円送ってくるんですけどね。
もっとあげたかったんでしょう(笑)。
木下 情報のギブアンドテイクならいいんだけど、そうじゃなかった。更にオウム事件関連(警察庁長官狙撃事件関連)で「週刊新潮」とは、別の明らかな遺恨があったところに、局内からリークがあったのでしょう、僕が逃げたことを嘲笑いたいという気持ちがあって、そういう記事が出てるんです。
でもね、彼らが頼りにしている学者が、テレビカメラに写ってる時と、楽屋にいる時とでは、全然違う顔をしてたんです。楽屋では顔面蒼白ですよ。
運営者 本心では、本人が逃げたがってたでしょうね(笑)。
木下 ぼくの中では、「こんな人間には頼れない」と一瞬で判断がついています。そういう学者に頼っている週刊誌なんて全然あてにならない。情報が取れていないことは明らかです。でも、最近読んだ本には、「週刊新潮」編集部内で、家族を西日本へ逃がしていたケースが結構あったと記述があります。そうすると、こいつらは只のクズですね。自分達のしていたことを誤魔化して、
こっちの攻撃をしている、「週刊新潮」らしい話ではありますが。僕、この週刊誌の連中は昔から嫌いなんです。他誌とは全然違う。
ただ僕は、3/11の夜から「やばいな」とは思ってはいたのですが、翌日1号機が爆発しても、まだ様子を見ようとしていました。即座に逃げなかったのは、情報がありすぎたためです。世の中の人はわからないかもしれないけれど、3/15の朝の段階の原子炉についての状況が見えてきていて、「これはもうもたない、一刻の猶予もない」と判断して、私的な周りは逃したんです。僕はその時
はまだ2,3日は居ましたけど。
この判断はかなり遅かったと思います。考えすぎて、自分が甘かったというか。
運営者 それはわかりませんが。
木下 いえ、だからこの点において僕の判断はまちがっていたと思います。
甘いです。
運営者 それを報道したわけではないんだから、誤報として謝る必要はないでしょう。たとえブログに書いたとしても、そうなる「可能性もある」と書いたのであれば、全然問題ありません。
誤報でなければ、僕なんか大威張りですけどね。僕は自分が「プレジデント」を編集していた時には、一度も訂正記事を出した事はありませんから。
木下 それは印刷メディア、雑誌ではすごいレベルですよ。
運営者 そのかわり、逃げもいっぱいかましてるわけです。だから、そんなことで木下さんが細かく気に病む必要などまったーくないと私は思いますけどね。
木下 まあ、ブログにもそうは書いていないですが。また、遺恨のある「週刊新潮」以外のメディアは、僕を叩かなかったです。よく覚えてるんだけど、「日刊ゲンダイ」の記事なんかは、僕が取材を受けていないのに内容が正確で、僕に対してはむしろ好意的でしたから。たぶん僕が社内の女の子に、電話で話した内容が、そのまま出ている感じです。酷いのは「週刊新潮」だけです。
運営者 仲良くしてくださいよ(笑)。
木下 「週刊新潮」はムリです。この被曝問題がなかったとしても。前から、どちらが生き残るかの問題だと思いますよ。これはシビアな話です。遊びは全くありません。あいつらを許すつもりは1パーセントもありません。
■木下黄太氏インタビュー
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