木下黄太氏インタビュー
「放射能防御」と脱原発を巡る、もろもろの事情
「被曝回避派」と「脱原発派」は、実は重なっていない
運営者 木下さんは放射能防御プロジェクトの運営をしているわけですが、放射能から身を守るためのグループのはずなのに、そこから外れたところで様々な問題が起きています。脱原発の皆さんとも連帯してもおかしくないのに、時間が立てば立つほどみんなばらけてきて、いがみあっている状況があります。
なぜ目的追求型のグループの中で問題が起きるのかについて、内輪話にもなっちゃうんだけど、今日は話してみたいと思います。
木下 どうして被爆問題の中でトラブルが多いのかということですが、ひとつ重要な事は、脱原発を主張する人たちと、被曝回避を目指す人たちとは、実は重なっている部分は最初から少なかったんです。
運営者 同床異夢で、「脱原発の人たちは放射能は嫌いなんだろう」と思い込んでいたら、そうではなかったということですか。
木下 そうです。そこをまちがえてはいけません。
原発事故直後は、福島第一原発の事故を緊急事態と捉えて、その原発事故の推移や収束について話題にする人がネット上でも非常に多かったんです。
運営者 木下さんもそうでしたね。
木下 それはたまたま私の立ち位置が、当時は官邸の中に電話で話せるネタ元が何人かいたし、福島第一原発の運転シュミレーションのプログラミングを担当していたメーカーの友人がいたりしたので、内部情報をかなり知ることができる立場にいたからです。
だから僕自身は、当初から、あのような水蒸気爆発があった時点で、放射性プルームが発生して多少の健康被害が出るであろうことは想定していましたが、それよりも、原子炉が持たなければ壊滅的な打撃がありますから、そっちの方が比重が大きかったですよ。
運営者 日本滅亡の瀬戸際だったわけです。
木下 事故の後、数ヶ月間はその危険性があると思っていました。その感覚がまちがっていたとは今でも持っていません。
運営者 だから福島第一原発の事象をフォローする必要があったわけですね。
木下 全滅したらそもそも終わりなんだから、そこを回避するしかないという思考パターンだったのです。僕には、推進側に近い情報ソースがあって、彼らの話を聞いていると、「これはもうどうにもならないので、早く逃げないと命の担保も無いかもしれない」というところからスタートしてるんです。
爆発事象が起きて、福島原発から30キロ以内は壊滅し、200~300キロ以内に多大な被害が及ぶという最悪想定をしていました。しかし実際は、決定的な全滅になっていないわけですから、ある意味ではぼくの見立てはまちがっていた
ともいえます。
運営者 チェルノブイリのように原子炉が圧壊して、環境中に直接大量の放射能が放出されるという事態ですね。
木下 それ以上です。東電関係者の中には、「200~300キロ以内は全滅する」
と言ってきた人すらいましたからね。
推進側の学者の顔色も真っ青だったんです。スタジオにいる学者について、官邸から電話で人物鑑定の依頼があって、「人柄は大丈夫な人ですよ」と答えたら、30分後にはその学者がスタジオから官邸に入っていたということもありました。
つまり僕は「「政府には、この原発事故を収束させるための対処方法は全くないのだ。お手上げなのだ」という事を手に取るように見ていたわけです。
運営者 やっぱり、政府には対処能力はなかったんだ。
木下 だから僕は、原発20~30キロ圏は最悪は物理的に壊滅するだろうと予想していました。この場合は、東京がいまの飯舘村くらいの高濃度汚染地域になるだろうとイメージしていたんです。そうすると、原発から何百キロか離れていないと、まず命に関わることになります。
運営者 私もほぼその程度の災害規模を想定していました。万一そうなった場合には、日本脱出も必要になる未曽有の大災害です。
木下 原発4基ですからね。そうならなかったのは、運がよかったとしか言いようがない。
運営者 まだラッキーだったんですよ。われわれは。