shi's famiryへshi's pageへ いろいろなこと・独り言 整理 2019/10/01 - 2018/07/01

データベースについて

パソコンを手にした頃(ずいぶん大昔〜PC−8001時代!)から、色々とデータを溜め込んできた。かっこ良く云えばデータベースを構築・データ集積を行ってきた。
もっとも、データベースと云っても、最初は、単にテキストベースで、本やレコードなどを買う度に 打ち込み、パソコンの進歩と共に進んできたが、メジャーなデータが容易に手に入る時代になり、個人独自の蓄積のメリットも少なくなった様な気もする。
又、ディスクサイズも天文学的な容量(最初のハードディスクは120MBだった)を手にする事ができる様になり、画像なども容易に取り込みができる様になった。
これからも個人好みのデータベースを維持していきたいと思っている。

ホームページについて

取り敢えずは、家族全員の雑多なホームページ、言い換えれば、ありふれたホームページからスタートし、徐々にレベルアップを目指して行きたいと思ってい たが、だんだん、家族が育ち、プライベートな、少し偏ったホームページになっていると思う。
しかし、もう、10年以上運営しているページであり、気力と運営費が維持できるあいだは続けて行きたいが。

ペリーローダンシリーズ

熱狂的なファンではないが、初版から読み始め、結果として、次が出るたびに”買わざるを得ない”中毒患者みたいなもの。
21巻から帯がカラフルになり、何かと目立つ存在となっている。
当初は、8冊/年が、10冊/年になり、12冊/年 となり、(訳者も増えたことだし)とうとう、2010年から24冊/年となってしまった。
さすがに2冊/月となると、買うタイミングやもろもろで、一息つけないし、きっちりと、発売日に店頭にならばないこともある。(特に地方書店)
書店にしても、どう取り扱うのか、面倒なのか、売れ残りを気にするのか、そんな書店が気になる。
松谷さんがなくなってからは、「訳者あとがき」を読むたのしみがなくなったのが残念ですならない。いつも、本腰を入れて読む前の、準備体操みたいなもので、さみしいかぎり。その後、訳者の色々な切り口になって、それなりに楽しめるが...
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500巻が出た時の内容/構成が、「つまらなくて」、これがきっかけで、以後、ローダン生活と決別し、何となく本屋に通う楽しみ?から、解放された。

ジェイムズ・P・ホーガン

何といっても、「星を継ぐもの」を読んで以来、新刊(まだ買っていないもの)を書店で見つけるたびに買い込む”若干の中毒患者”と思っている。
しかし、この人、面白いけど、はっきり云って、駄作もあると思う。
「星を継ぐもの」のイメージで読み込むれどね...
ホーガン最後の三部作の、最後の作品がいまだに出てこないのが東京創元社の無策だ!
でも、作者が亡くなったという現実で、この楽しみは打ち止めかな。

犬について

昔から、犬がでてくる本を 見つけては読んでいた。
なかでも、大型犬がでてくる本は夢中で読んだもの。
しかし、我が家に本の中に出てくる様な犬が飼える様になるとは思っていなかったが、
ただただ、かわいいけども何かと大変な日々あるのみ。

本について

独身中は、休日に、レコードと本を購入し、部屋でコーヒーをいれて、あるいは、ビール片手にレコードを聴きながら本を読むのが最高のリラックスタイムだった。
結構、なじみの古本屋で時間を費やすことも多かったが、独身から脱したあとは、レコードが縁遠くなり、本を時々読む程度になっている。
本は、専門書などでない限り、基本的に収納上すこぶる小スペースなので、文庫本を主体に集めてきている。

オーディオについて

結構、独身中は所得の99%?をオーディオにつぎ込んでいたが、結婚後の財政難とデジタル時代になってからは、LPレコードを聞く機会が一気になくな った。
一時期、通勤に1時間、あるいは、単身赴任で帰省4時間の時期があり、レコードをかたっぱしからパソコンに取り込み、ポータブルオーディオで音に浸る時間が多く持てたこともあった。
この過程で音楽を聞く時間は多くなったが、オーディオ=HiFi とは縁遠くなったか。
しかし、この関係でアナログからデジタルに音源を移行することができ、色々な場面で、色々な音楽を聞く楽しみも新たに気分一新と云ったところ。
古い時代の人間の端くれとして、いまの音楽シーンは良くわからないが、手元の「古い」音源を聞くと、最初に聴いた時代の記憶が蘇ってくる。
これはこれでよしと思っている。いまは、蓄積したオーディオソースをいかにパソコン・オーディオで取り出すか悩んでいる。

デジカメについて

デジカメ(QV−10)を1995年頃に買い、その手軽さでどこに行くにも持ち歩き、フィルム代も現像代も気にせずに取れるのが最高だったが、しかし、パソコンのスピード競争と同じで、画質の悪さは、当初は撮り易さ・手軽さで気にならなかったが、段々、欲がでるもの。
2号機は、10倍ズームとFD媒体が気に入り、子どもでも使い易そうなMVC−FD7を購入し、我が家で大活躍をしていたが、3号機として、CFとUSB接続、それとコスト的に見合っている?と思い、200万画素機(QV−2000UX)を手にし、時代の進歩を感じる次第。
このQV2000と、名機?QV−10は、210万画素と25万画素と、相当に開きがあるが、1つだけ共通性があり、それは、購入価格。ほぼ、同じだ。(改めて技術革新を感じるしだい)
3代目カシオ?としてリストカメラも手にしたが、携帯カメラに過去のものとなった。
もうデジカメも必要十分過ぎる性能・画質となり、携帯と同じで、組み込まれた機能のごく一部しか使わない(使えない、使い込めない)ところまで進化している。
しかし、最近は、その性能さや面白み、魅力が欠けてきた感があり、停滞している。

パソコンについて

最初に触れたパソコンは、1978年頃、コモドールのPET2001だった。
モノクロだが鮮明な画面とゲームが印象に残っているが、たしか、音がなかったのが残念だった。
自分用は、PC8001→PC8001mkII→PC9801U→PC9801EX→FMV499→FMV5120→自作に至っていたが、最近は、市販品中心でいじることが少なくなった。
最初に手にしたハードディスクはPC9801EXの時の120MBだった。
FMV499の時はメインメモリーが8MBだったが、現在では比較する意味のない容量となっているし、結構な容量のNAS やUSBメモリーが必須となっている。
もう、すべてのスペックは天井に近づいている様な気がする。
ディスプレイも「すごい」、としか云えなくなってきた。
これからも一生手放す事にならないベストパートナーでもある。
山登りについて 登山でない、ただの山登りは、中学の頃から登っていたが、ハイキングに毛が生えた程度のものだった。
但し、田舎は福岡であり、学生の身分では、そこいらの山がフィールドであり、登山家がうなる様な山は、足でいける範囲にはなかった。
しかし、就職で東京(今は松本)に移り、最初に秩父三峰・雲取、そして、八ヶ岳に行って以来、多少、山登りと云える山に登る様になった。
八ヶ岳は、4回くらいに分けて、結果として、北は大河原峠から南は小淵沢の駅!まで、歩きとおしたが、編笠から小淵沢の駅までが何とも云えず、辛く長い距離だった。
北アルプスは、朝日岳から針ノ木までは行ったことになるが、その先の槍まで遠く、長く、つながりそうにない。
槍は上高地からは何度も登っているし、これからも機会があれば登りたい山だと思っている。
ちょっと、難があるが、槍から西穂までの縦走も、変化があり、歩きがいのあるコースだった。
細切れ登山だが、上高地を中心に周囲の山も一周しているか、もう、気力が...
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リタイヤ人生に突入し、気力も意欲も財力も欠乏し、山は遠くから眺めるものだ。