いや、まいった。こんなコッパズカシイ映画がこの世にあるなんて。耐え切れず画面から目をそむけてしまうシーンが多々あります。監督も出演者もシナリオも架空の登場人物も、みんな、何か勘違いしてる。羞恥心というものすらなくて、勘違いしている自分たちに気づくことなく、勘違いへひた走る。
あるいは、この映画がコッパズカシイのではなくて、1980年当時の「若者」じたいが、そもそもコッパズカシイものだったのかもしれない。このあいだNHKアーカイブで、この時期に竹の子族を取材したドキュメンタリーを、20年の「時」を経て放送していたが、コッパズカシかった。羞恥心なく勘違いを突っ走っているかれらに、目をそむけてしまった。
しかし、いっぽうで、ぼくは彼らがうらやましい。羞恥心もなにもなく、感じたことに素直な、若者らしい若者でいられた彼らがうらやましい。僕らの世代には、そんな自由はなかった。規制されているからではなく、競争圧力が許さないのだ。コッパズカシさは、目をそむけたくなるけれども、ある種爽やかでもある。
20年前にこんな醜態をみせた映像がDVD化されてしまっても、今、大人面して平気で生きている阿東海や内藤剛、伊藤蘭(=キャンディーズのランちゃん)の図太さを考えると、ちょっとやそっとの恥ぐらい、ゆるされていいかなあ、と、少し気が軽くなる。でも、主演の古尾谷雅人は最近自殺したんだっけ。
以上の感想から読み取れるように、このs映画は駄作である。ただ、自分に自信をなくした人たち、自己嫌悪に陥っている人たち、他人の目が気になって自由に動けなくて悩んでいる人たちにとっては、少し前向きな自分になるきっかけを与えてくれる作品かもしれない。「20年前、こんなんやってても、平気で大人やっている人たちがいるんだ」という事実を見ておくのも悪かない。つまり、反面教師というわけです。そんなところ。
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