−『満点ママ』−夫の章
『お話し大好き 家族の時間』

一九五一年(昭和二六年)生まれ。高校の理科教員


池田小百合

    最終更新日 2003年5月5日  (This Home Page is made by H. IKEDA.)


      幸福   池田小百合

 家族四人で家の二階の南側の窓から外を見る。
 うららかな昼さがり。シーンと静まりかえった空を、時おり鳥が横切って行く。坂の一番上の家なので見晴らしがいい。
 「なんだか、ホッとするね」と、夫が言う。
 「まるで、つげ義春さんのマンガの中にいるようだね」と、私が言う。
 娘たちは夫の手と私の手を握りしめて、じっとしている。連休だというのに、どこにも行かない。
 ささやかな幸福。
 つげさんの家でも、みんなで外を眺めているのだろうか。
 この静かな幸せが、ずっと続くといいと思う。
             (1987年5月3日記)



     勉 強    池田小百合

  「勉強って、とても幅広いものだ。ただ机の前にすわってするのが、勉強とは限らない」。
  夫は子どもたちの勉強について、だいぶ意見がある。

 いつも私と議論になる。しかし、夫の意見は世間からみると、だいぶずれているようだ。こんな風である。

  「子どもは遊びから多くのことを学ぶ。
  ドリルをやらせるだけが勉強ではない。
  学校でやっていることと同じ勉強を、家でさせるのは間違いだ。
  そんなことをすると、子どもは学校の先生を信頼しなくなってしまう。
  それは先生にとっても、生徒にとっても不幸なことだ。
  子どもにとっては、教える先生が二人いてはいけない。
  二人のひとに教わった子どもは二種類の真実の前で迷ってしまい、
  どちらの大人も信頼しなくなってしまう。
  家庭で教えることと、学校で教えることは違ったものでないと。
  学校では『よく学び』、家庭では『よく遊べ』」。

  「フランス文学者の渡辺一夫が、『ほんとうの教育者はと問われて』で、学ぼうとする心のある人の前に素晴らしい人が現れてくるのであって、そういう気持ちのないところでは、どのような試みも実を結ばないと言っていた。
 大事なことは勉強を続ける意欲だよ。意欲を育てるのは、難しい。親自身でさえ、必ずしも勉強を続けているとは、限らない。
  また、一生懸命に手足を使うことも勉強だ。
 手足の運動は脳を作るはずだからね」

  「この成績は、子どもにとっては良すぎるよ。
  コップに無理にお湯を注げば、あふれるし、あふれるぐらいだったらいいけれど、割れてしまったら困るだろう。
 高校生ぐらいになって、取り返しがつかない例がたくさんあるんだ」

  どの親も、子どもをのびのびと育てたいと思っている。
  子供は、遊べと言わなくても、遊びを考え出す天才だ。
  しかし、小学校三年生ともなると、一日のうち、学校にいる時間は九時間近くにもなる。親と顔を合わせるのは、朝夕の食事の時だけだ。
  学校での教師の指導力が問われる。学校の勉強は教師に任せておいて、よいのだろうか。
  一クラスに四十三人もいるのに。
  娘たちは、今日も絵を描き、それを切りぬき、ペープサートで、『やまたい国の女王ヒミコ物語』をやったり、嘘のお金をたくさん作って『質屋さんごっこ』をしたりして、いくらでも遊び続けている。
                        (1987年記)


 猫が空を飛んだ/夫はこんな人/古いTV番組/憧れた人(略)



   父親の役目  池田小百合

 新宿から小田急線の最終電車に乗る。
 ラッシュアワーだ。ほとんどが、男性サラリーマンだ。みんなくたびれている。アタッシュケースを抱え、新聞や週刊誌を持って居眠りをしている。この人々に『子育てに参加しましょう』と呼びかけても無理だ。だが、三六五日のうち何日かは、ゆとりの時間をつくろう。家族の為にも、自分の為にも。
 昔、おやじはみんな頑固者だった。
 「嘘をつくな」「返事は、はっきりと」「挨拶をしろ」「他人に迷惑をかけるな」。教育や教養はなかったが、主張があった。どの家も貧しかったが、おやじの頑固な主張が子供を育てていた。
 今は、どうだろう。父親に頑固な主張はあるだろうか。 厚生省は、歌手の安室奈美恵さんの夫で、ダンサーのサムさんと息子を使って、ポスターを作った。キャッチコピーは『育児をしない男を、父とは呼ばない』だ。お役所仕事にしては、強烈なメッセージだ。
 受けとめ方は、いろいろだ。しかし、勘違いをしてはいけない。型破りのこのポスターは、父親に「オムツの交換をせよ」「ミルクを飲ませろ」と言っているのではない。
 父親には『重要な相談』をしよう。 子供の進学や塾、お稽古をどうするか。近所付き合い、親戚や祖父母と、どのように接するか。 『重要な相談』から逃げてはいけない。真剣に向き合って答える。それが父親の子育て、それが父親の役目だ。
 父親の答えは、たいがい当たっている。なぜならば、家庭を客観的に見ているので、子育てにドップリつかって、自分の子供しか見えなくなっている母親より、ずっとすぐれた意見が言えるからだ。 父親は自信を持とう。賢い母親は、必ずその意見に従う。それは、母親が見失った正しい意見だからだ。
                (1999年記)


   食事は楽しく  池田小百合

 娘たちが、それぞれ下宿したので、夫と二人だけで食事をする。 何でも、好き嫌いなく食べていた夫が、 「まずい。それは嫌いだ」「これは、味が濃すぎる。僕は、薄味が好きです」などと言い出した。
  「お父さんは、私たちと一緒に食べている時は、私たちに、好き嫌いをさせないために我慢して食べていたんだね。やっぱり、お父さんは、偉いね」と麿実が言った。
 年を取って来て、ただ食の好みがかわっただけなのに。
 夫と二人だけの食事の取り決めをした。
 『家にいる時は、かならず一緒に食べる。食卓に出たおかずは、全て半分ずつ食べる。話しながら楽しく食べよう。ずっと一緒に食べよう』
                      (1999年記)



      ワープロの訓練  池田小百合

 ワープロ歴十五年のキャリアになった。 バシバシ音をたてて打つ。夫が、 「そんなに強く打たなくてもいいんですよ」と言う。  頭の中の文章が消えないうちに打っている。
 最初は、なかなか打てなかった。一行打つのに一時間もかかった。
 一ページ打てて、やれやれと思っても、保存の操作を間違えて、全部消えたりした。苦労が水の泡となり、涙がこぼれた。 見かねた小学生の麿実が、 「お父さん、やってあげなよ」 と言ったが、夫は、やってくれなかった。 「やってあげるのは簡単だけど、自分でやらなければ勉強にならない」 と夫は言った。
 簡単ならやってくれればいいのにと思い、また涙がこぼれた。
 「これは、どうするの?」と聞くと、「説明書に書いてあるでしょう」。  「次は、どうするの?」「前のと同じだよ」。  夫は、いじめているとしか思えない口ぶりで、そっけなくあしらった。また涙がこぼれた。
 涙をこぼしている内に、どんどん上達した。
 子供会の行事予定表の作成をした。童謡の会の会報『虹のかけ橋』も百回となった。
 神奈川新聞に、童謡の文章を連載した。『童謡を歌おう・神奈川の童謡33選』『童謡で遊ぼう』『満点ママ』三冊の本の著者となった。 「ほら、僕の指導がよかったからですよ。感謝をしてもらいたいですね」と夫が言った。 見守って、励ますだけの指導もある。ワープロが打てる事は一生の宝なので、ありがたいと思った。 そして、もしかしたら、夫がいなくても生きられるのではないか。とも思う。 
             (1999年記)


      間違い    池田小百合

 NHKの女性人気アナウンサーが、野球選手の名前やホームランの回数を間違えた。サッカーの得点や、相撲の決まり手を間違えたりもする。
 夫に話すと、「いいんですよ、間違えても。みんなの注目を集めるでしょう。あなたも『ここが違った、あそこが違った』と言えるほど覚えていたでしょう」
 本当にそうだ。すらすらニュースが読まれていたら、さっさと忘れられて、こんな話題にならなかっただろう。
 そのアナウンサーは、今朝も、はつらつと登場し、沢山間違えて、最後にニッコリ笑って、スポツニュースの時間は過ぎた。
                  (1999年記)


   老 後   池田小百合

 四十歳になった時、夫が言った。
  「五十歳になったら、今までの仕事の成果を削りながら生きて行くんだよ。実際に仕事ができる年齢は、五十歳までだね。目が悪くなって、集中力がなくなる。これからの十年間が勝負だね」。
  作詞家なかにし礼氏の作品だけの歌謡曲の特集番組がNHKテレビであった。何千もの詩を書いて、大ヒット曲を生み出した彼は、もう詩を書かない。けれども、彼の曲は、歌われ続ける。彼は、若き日の仕事の成果を削りながら、未知の未来を歩いて行く。
 私たちは、もうすぐ五十歳になる。あれから、どんな仕事ができたのだろう。成果をほとんど上げていないので、これまでの成果を削って生きていく事は不可能だ。これから生きて行くのは、大変だと思う。 死んでしまうのは、簡単だ。どんなに偉い事をした人でも、犯罪者でも、普通に生きた人でも、必ず死んでしまう。死ぬ順番が決まっていないから、未知の未来に向かって、みんなが生きる努力をする。 生きていくのは大変だ。時々、挫折者が出て自殺する。巻き添えをくって死亡する場合や、思いがけない犯罪に巻き込まれて、死亡する事態に陥る人もいる。病死にはある程度の覚悟があるだろうが、突然の死は、やりきれない。
 生きる努力を放棄して、怠けて暮らしたいという考えは、だれにでもある。努力をおしまず、必死で生きても、何も得られず、徒労に終わる場合もある。時代の流れ、運命、才能などが人と関わりを持つからだ。
 『無知の涙』の著者、永山則夫。彼は自分を連続射殺魔と書いた本を残した。その文章の一字一句が胸に突き刺さる。 彼は何のために生まれて来たのか。彼の人生には、良い事が一つもなかった。彼の生きる努力がたりなかったのか。中卒労働者が、網走出身者が、みんな犯罪者か。 死刑が執行され、彼の人生は終わった。彼の罪を死刑という罰で償うのは簡単だ。もし、彼が生きてその罪を償うとしたら、どうすればよかったのだろうか。私には答えられない。
  トルストイに『人はどれだけの土地が必要か』という童話がある。 神様の姿をした悪魔が、これまで一生懸命マジメに働いてきた農夫に囁く。 「日の出から、日の入りまで印を付けて囲い込んだ土地を全部お前にやろう」。
 農夫はそれまでになかった欲を出した。できるだけ遠くまで行き、シャベルで印を付けたが、もうすぐ日が沈む。農夫は必死で出発地点までもどろうとして走った。日が沈んだ時、やっと出発点にもどってきた農夫の息は切れた。悪魔はニヤリと笑い、農夫が持っていたシャベルで穴を掘って農夫を埋めた。農夫に必要な土地は、自分の棺桶の広さ、それだけでよかったのだ。 たいがいの人は、試行錯誤しつつ、ささやかな幸福あり、挫折ありの人生で終わる。そのささやかさが、むしろ大切だ。
  神宮寺祥著『逆境の心理学・涙が乾くまで』(世界文化社)の一節が印象的だ。「私たちは地球の間借り人にすぎない」。
 私の心は急に軽くなった。(1999年記)


       あとがき    池田小百合

 結婚二十五年で子育てが終わった。 楽しかった思い出が、現れては消えて行く。そうだ、つかまえておこう。 ここまで書いていると、夫が来て言った。 「以前に、あなたが書いた原稿があります」 「えっ?」書いた覚えがない。フロッピーの原稿を読ませてもらった。
  一九八七年一月から十二月まで、家族の生活を私が書いたものだった。 忘れていた、楽しい日々が、よみがえってきた。みんなに聞いて欲しいと思ったのだろう。だから、書きとめてあったのだ。 麿実は、幼稚園を卒園して小学校の一年生になった時期。 悠実は、中耳炎が全快して、小学校の三年生になった時期。 私は、ピアノ教室の先生をしていて、まだ、童謡の会を主宰する事など考えていなかった。それは、『赤ちゃん時代の子育て』が終わり、『子ども時代の子育て』の真っ最中の年だった。 読み進めると、今の自分の考えと全く違う部分があり、笑ってしまう。一貫しているのは『家族みんなで、楽しく食事をすること』だ。料理の苦手な私が、たったこれだけの事に、日々、悪戦苦闘している。 意外な事は、夫は子育てにほとんど関わっていないと思っていたのに、あらゆる所で、子育てに参加している。しかも、娘たちにだけでなく、私にまで「先生」のような指導をしている。 偶然、一九八七年と、一九九九年の記録が生まれた。
  十二年の時間の経過は、私を含めて家族を大きく成長させていた。



トップ アイコン
トップ

娘たちに贈る前書き/五歳まで
  姉妹の章
   姉の章
    妹の章
     私の章
     夫の章
      あとがき