−『満点ママ』−私の章
『お話し大好き 家族の時間』

小百合。一九五一年(昭和二六年)生まれ。童謡の会主催


池田小百合

    最終更新日 2003年5月5日  (This Home Page is made by H. IKEDA.)


      ブタはきれい好き   池田小百合

 私が小さかった頃、この町は減田政策で、養豚・養鶏の農家が増えていた。豚を飼っている家の前を通る時、子どもたちは鼻をつまんで、「くせえ、くせえ」と、言いながら、ランドセルをカタカタ鳴らして通りすぎた。
 ある日、豚が売られて行くとの情報が流れた。近所の子どもたちが学校から帰ると、その農家に集まった。豚は、キーキー、キューキュー悲鳴をあげて、逃げ回っていた。一番太った豚がなかなか車に乗らなかった。
 鼻をつまみながら見ている子どもたちに、養豚農家のおじさんは、こう言った。
 「豚は、本当は、きれい好きなんだよ。人間が汚くしているから臭いんだよ」
  しばらくして、だれかが、 「豚を殺している所を見に行かないか」と言い出した。
 屠殺場は、歩いて一時間ぐらいの所にあった。近所の子どもが、数人集まった。大きい子も、小さい子もいた。みんな元気いっぱい、楽しく、歌を歌ったり、棒を振り回したりして歩いた。すぐに屠殺場についた。みんなは塀によじ登って中を見た。私だけが登れなかったので、中を見る事ができなかった。私は、とても小さかったのだ。
 中を見た全員が、顔色を変えていた。気持ち悪そうで、今にも吐きそうだった。
 夕暮れの道を、親に内緒で出てきた経緯もあり、誰ひとり話もせずに、ぞろぞろ歩いて帰った。
 帰りが遅かったので、それぞれの家で、それぞれに叱られた。
 「豚は、本当は、きれい好きなんだよ。人間が汚くしているから臭いんだよ」
 この言葉は、それ以来ずっと心に残った。
 時がどんどん過ぎた。 麿実の小学校の卒業式があった。私は母親として出席していた。町長の代理で、町会議員が演壇に立った。なんと養豚農家のおじさんは、町会議員になっていた。他の来賓の方々と同じように、長い祝辞を述べた。 しかし、それはまったく印象に残らなかった。私の娘たちにも、強烈なメッセージを披露してほしかった。
 「豚は、臭い、汚い、太ってると、馬鹿にされるけれど、豚は、本当は、きれい好きなんだよ。人間が汚くしているから臭いんだよ。いじめ言葉に『ブタ』を出さないで下さい。 『ブタ』と、言われても決して自殺をしないで下さい。命を大切に、中学に行っても、勉学に励み・・・」と言ってほしかった。
 来賓の祝辞は、自分の言葉で、語ってほしかった。 高齢者は、若者に、すてきな言葉を残してほしい。財産や、家名ではなく、『心に響く言葉』を残してほしい。  (1987年)


  「乞食」/買い物をする男/家出と自殺/栗の木(略)


     母 親     池田小百合

 私が中学二年生になった年、母は二十年間の小学校教員の職を退職した。
 最後の日に、中学生の男の子が一人訪ねて来た。
 「僕が松田小学校の一年生の時、砂場で足をくじいて歩けなくなった。その時、先生がおぶってくれて、うれしかった。ありがとう」と言った。自分で買って来たというショートケーキを一個差し出した。イチゴが乗っていた。
 母は、自分で食べずに、私に食べさせた。母は、きっとよい先生だったのだろう。この少年を育てたのだから。  (1987年1月記)


    退院の日/太る/ ウォークマン/戦争を知らない子どもたち/
    終戦の日の記憶/車椅子/ドナーカード/子どもに言葉を/つくしとスギナ(略)


    子育ては親の責任     池田小百合

 家族化が進んでいる。
 だが、まだまだ祖父母同居の三世代家族が少なくない。
 母親が仕事を持っている時は、祖父母が子どもの世話をしてくれるのは好都合だが、基本的には、自分の子は自分で育てよう。
 たいがいの祖父母は、まず『子どもを泣かしたくない』と思っている。したがって、いやな事や面倒な事は子どもにさせずに甘くなる。
 次に祖父母には『直接的な責任がない』。孫は、しょせん自分の子どもではないので、嫌われなければ良いと考える。
 さらに、両親と祖父母の『子育ての方針が食い違う』。  生きた時代が違うのだから、価値観も当然違うに決まっている。
 私は、両親が教員で共働きだった為に、叔母に預けられて育った。当時としては、珍しい『カギっ子』だった。叔母は、物知りで、私に、いろいろな事を教えてくれたし、従姉妹たちとは姉妹のように育った。『ひとりっ子』の教育には、この事は、とても良かった。 その時は、それで良かったが、大人になって、両親と同居していても、他人のような関係からは、なかなか抜け出せない。叔母や従姉妹とは、わだかまり無く話せるのに。 近所のおばあさんが来て、次のような話をした。 「東京から来ていた孫が『ここのクソババアも、うるせえなあ。どこのババアも同じだ』と言ったので、おこづかいを渡して、ご機嫌を取って帰したんですよ。年を取ったら、お金を持っていないとだめだね」。 私は、情けないと思った。
 「おばあさんが、お元気だからですよ」と慰めを言ったものの、その孫の親、つまり東京に嫁いだ娘を育てたのは、あなたである。
 孫に「クソババア」と言わせているのは、母親となったあなたの娘さんだ。このような孫には育ってほしくない。
 山形にいる夫の母親は、がんという難病と戦っている。孫に当る悠実も麿実も、 「おばあちゃん。元気を出して、頑張って」と、言葉をかけている。
   (1999年8月記)


  白い花の悲しみ/ゆっくり たっぷり/夢を飛ばす/童謡を歌おう/童謡の歌詞の勘違い(略)



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