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駒寄城 こまきじょう

別名
久川城、柳川城
時代
鎌倉時代~安土桃山時代
分類
中世山城
規模
標高:800m、比高:約220m
現状
町指定文化財/山林
場所
福島県南会津郡南会津町古町(※詰城)
最終訪城日
2011年11月5日

河原田盛光が築いた山城で河原田氏の代々の居城。現在は山林となっている。

城史

年代 出来事
1189年 1189年の奥州合戦での戦功により会津の伊南郷を賜った河原田盛光が、下野国河原田郷より伊南へ下向して築いた山城で、最初は久川城と呼ばれたという。 『会津古塁記』
1215年 「久川城」の名称が「きうせん」という凶名に通じるため「柳川城」に改められる。(※久川を音読みすると凶占になるため?) 『会津四家合全』、『会津古塁記』
1543年7月21日 蘆名盛氏は会津統一を目指して奥会津へと軍勢を進め、伊南川に沿って河原田領へと侵攻した。河原田氏は駒寄城を放棄して宮沢城へと篭城して戦い、蘆名軍をなんとか撃退したという。 『新編会津風土記』
1589年秋 河原田盛次は伊達政宗の勧告を拒否して伊達軍の襲撃に備えることにしたが、駒寄城では大軍を相手に出来ないために新たに久川城を築いて移り住み、この時に城は廃城となった。なお、城下町も川の対岸へと移転し、旧城下町は古町と呼ばれるようになった。 『会津四家合考』

縄張り

城は伊南川の右岸に聳える標高840mの要害山(尾毛山)の北西側に築かれた山城で、大きく分けて中腹(標高600m)の居館部分と尾根上(標高800m)の詰城部分に分かれている。

【居館:物見台】
山の中腹の居館跡最奥には巨岩が鎮座しており、その岩の上に祠が祭られている。この場所は物見台だとか櫓台だとか言われているが、どちらかというと当時から城の守り神として祀っていた場所ではないかと思われる。

【居館:土塁・横堀】
居館跡で最も明確な遺構で、ハッキリとした横堀と土塁が走っている。土塁は北側にも確認できるが、しっかりとした堀はあまり見られない。

【居館:郭群】
山裾の沢と沢に挟まれた箇所に雛壇状に郭が展開しているが、植林される前は水田として開墾されていたため、今も水田独特の凹型の地形が残っている。城内の一角には水田用の溜池跡の大きな窪地も残っており、大分遺構は改変を受けているようであった。

【詰城:主郭】
居館跡からさらに200mほど山道を登った先の尾根に詰城があり、主郭はコの字の土塁に囲まれている。主郭は尾根の先端に向かって低くなっており、三方が断崖絶壁の天険の要害であるが、主要な郭がここにしかないため、少人数でしか篭城できない。

【詰城:堀切】
主郭背後の尾根続きの場所には堀切が数箇所掘られており、場所によっては間に土居を置いた二重堀切り(見ようによっては三重堀切)となっている。

【詰城からの展望】
詰城から古町方面へは視界を邪魔する木々があまり無いため展望が非常に良い。

アクセス

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