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南北朝時代の終わりに前期川原北畠氏が居城とし、断絶後の室町時代に後期川原北畠氏が居城とした場所。「川原御所の変」で廃城となったという。現在は浪岡の街に埋もれ、水路などに堀の面影を見る程度。
年代 | 出来事 |
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14世紀後半 | 北畠顕信の次男の北畠守親が浪岡に落ち延び、川原御所を築いて居城とする。 |
15世紀頃? | 北畠守親の子の親能の代を最後に川原北畠氏は歴史から姿を消す。 『北畠系図』 |
16世紀頃 | 浪岡北畠氏5代目の顕具の次男の北畠具信が川原御所に入り川原北畠氏を復興する。 『北畠系図』 |
1562年1月1日 | 「川原御所の変」が起こり、年始の挨拶で浪岡御所を訪れた北畠具信と顕重によって浪岡氏8代目の北畠具運が殺害される。北畠具信親子は、具運の弟の顕範によって討ち取られ川原北畠氏は滅亡する。御所はこの時に廃城となったものと思われる。 『永禄日記』 |
城の縄張りは浪岡の街に埋もれてしまっているため判りづらいが、先人の調査では東西の2つの郭から成り立っていたという。城址碑のある場所が西郭で周囲の水路や道路が外堀の跡と考えられるが定かではない、東郭については散策不足で遺構はよく判らなかった。