石に刻まれた時間

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ロバート・ゴダード 著/越前敏弥 訳
カバー写真 ©氷室徹
カバーデザイン 中島かほる
創元推理文庫
ISBN4-488-29807-9 \1000(税別)

もう一声…は贅沢な要望なのかな?

 最愛の妻マリーナに押し切られる形で、ロンドンからコーンウォール州の片田舎に引っ越すことになったぼく、トニー。最初はとまどいもあったけれど、やがては都会の喧噪を忘れ、ゆったりとした時間の流れるこの土地を好ましいと思い始めるようになった。だが幸せは長く続かなかった。マリーナの変わり果てた姿が海岸で発見されたのだ。切り立った断崖の上には彼女のハンドバッグが…。傷心のぼくに救いの手をさしのべたのは無二の親友、マットと彼の妻でマリーナの妹でもあるルーシーだった。彼らに勧められるまま、妻との思い出の詰まったコーンウォールの家を出て、彼らが住むレスターの新居を訪れるぼく。だがその家は見るものの感覚を異様にゆがめる作りの不可思議な建物だった。

 第一次大戦前、異端の建築家エミール・ボズナンなる人物の手で設計され、"アザウェイズ"と名付けられたその建物は、あらゆる部分が円形に見えるように設計され、その構想を実現するために膨大な手間がかけられている建物だったのだ。その玄関をくぐったときから、来訪者は自分の遠近感が全くあてにならないような錯覚を覚えてしまう奇怪な構造の邸宅。だがこの家が奇怪なのはそれだけではなかった。かつてこの家に住んだものの上には常に、奇怪で悲惨な事件に見舞われ続けた過去があったのだ…

 刊行順としてはウルトラスーパー大傑作、「一瞬の光の中で」と、(あくまでゴダードにしては)水準作の「今ふたたびの海」の間に位置する作品。「一瞬の光の中で」がそこまでのゴダード作品に「うーんちょっと」と思わせるものが増えてきていた、そんな心配を一気に吹き飛ばす大傑作だったせいか、それに続く作品はどれもかつての(とは初期の傑作、『千尋の闇』や『蒼穹の彼方へ』を思わせる)ゴダードらしさを存分に味あわせてくれる作品になってる感じがする訳なんだけど、これもそんな一冊。特に序盤から中盤、そして終盤に差しかかろうかと言うところまでの圧倒的にねっとりとした、濃厚な味わいと、読者の予想をことごとく裏切ってみせる底意地の悪さは健在。今回は謎を秘めた建物と、その建物が醸し出す異様な雰囲気の中で登場人物たちが次々と夢と現実の区別がつかなくなってしまう、という一種のサイコ・スリラーというか横溝正史的な伝奇スリラーっぽいテイストもあって楽しめる。さらに"アザウェイズ"を巡る歴史の大きなうねりみたいなものまでも隠し味に用意されてて、もうお腹いっぱい…の残念ながら一歩手前なんだなあ、途中まではこれ、「もしかしたら『一瞬の…』級の大傑作かも」と、ものすごく期待したんだけれども、最後の最後で個人的にはちょっと煮え切らないものを感じてしまったのだった。

 ややネタバレ気味になりますがご容赦。私がゴダードの本を読むときに期待するのは、一見不可解で、オカルティックに見えることどもであっても、その背後には必ず『ああそうだったのか』と膝をたたきたくなるような説明がされてる、ってところな訳で、だからここをぴしりと押さえてる「千尋の闇」や「リオノーラの肖像」、「一瞬の光の中で」は大傑作なの。このお話で言えば、不可解な構造を持った家に住む人に、夢と現実の区別がつかなくなったり、見るはずのないものを見てしまったり、という現象に、一度は説明を付けて欲しかった(それでもなお説明できない謎が残る、てのは歓迎するんですが)のだけど、今回はそこにちょっと、ゴダードらしい念の入れようが希薄だったかなあ、と。

 中盤までの展開が圧倒的に私好みで、ゴダードらしい濃厚さでもうスライムの中を手探りで読んでいくような感覚を存分に味あわせてもらっただけに、お話がまとめに入ったところで「え、それだけ?」と思えてしまうのがどうにも残念なのですよ。もう一発、読者を裏切って欲しかったと思う訳なんですが。これだけ濃い話を読ませてもらっておいて、そりゃ贅沢な望みだろう、という声もあるかもしれないけど、なんせ相手はゴダードだからね、こっちはどうしても、もう一声、底意地の悪いところを発揮して欲しいと期待してしまうのだろうね。

03/03/14

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