今ふたたびの海

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ロバート・ゴダード 著/加地美知子 訳
カバーイラスト 田村大
カバーデザイン 岩郷重力
講談社文庫
ISBN4-06-273538-5 \838(税別)
ISBN4-06-273576-8 \838(税別)

裏切りまくられる快感

 史上初のバブル、"南海泡沫事件"は身分の高低、財力の多寡を問わず英国の数多くの人々に等しく巨大な負債を作る結末を招いた。ロンドンの地図製作業者、ウイリアム・スパンドレルもそんな中の一人。彼の場合は父とともに従事していた地図作製の仕事に対する融資者たちが、バブルの崩壊とともに経済の表舞台から消え去り、返す当てのない負債だけが残ってしまったというほとんどとばっちりに近いものだったのだが。

 何はともあれ破産状態のスパンドレルは今、監獄の拘禁区域内に建てられた簡易宿泊所で、多少の自由は効くけれども、あくまで囚人という立場で毎日を送っていた。そんな彼の元に一人の身なりのいい人物がやってくる。スパンドレルたちの主要な債権者であり、さらにこの"南海泡沫事件"の発端となった"南海会社"の理事でもあるサー・シオドア・ジャンセンの従僕であるというその人物は、サー・シオドアの要望による仕事をスパンドレルが引き受ければ、彼が抱えている負債をすべて無しにしても良い、というのだった。仕事の内容は、サー・シオドアの許から一つの荷物を、アムステルダムのとある人物に確実に届ける、というもの。否も応もなく、シオドアからの仕事を請ける羽目になるスパンドレル。だが彼が運ぼうとしていたものこそ、"南海泡沫事件"に関わったすべての人物の名前と、会社への出資額を克明に記した一冊の本、関係者の間で"グリーン・ブック"と呼ばれる超極秘書類だったのである…

 キター!!!のゴダード最新作。英国で起きた、史上初めて"バブル"という言葉が登場した"南海泡沫事件"に関しては「紙の迷宮」なんてなかなか良くできた作品があった。向こうはこの事件はあくまで背景で、バブル崩壊後の不安定な世情の中で、一人の(おそらく史上初の)私立探偵が事件に向き合っていく、というようなテーマの話だったけど、ゴダードの話の方は、積極的にこの事件に入り込み、実在、虚構の人物を巧みに絡め、バブルという制御不能な怪物に時に翻弄され、時にそれを利用して自らを他より優位に立たせようとする様々な人物が入り乱れる第一級の歴史小説に仕上がっている。

 いつものゴダードらしさも健在で、今回もドツボ男と正体のつかめぬ美女を軸にお話は二転三転。こちらの頭もゴダード・モードに切り替わっていて、どんなときにも「ふふん、これには裏があるのだね、予想通りの展開にはならないのだろうね」とこっちが用心して読んでいるにもかかわらず、底意地の悪さではゴダードの方が常に上を行く。まったくうまい。

 ただ、徹頭徹尾面白いかというと、残念ながら今回はそこまでは行っていないのじゃないかという気がしないでもない。特に終盤のまとめ方がちょっと、いつものゴダード作品に比べて甘いかなあという感じ。ゴダード作品といえば優柔不断でいつもドツボにはまる男と、その男と関わりを持つ謎ありまくりの美女、てのが定番で、で、男の方(スパンドレル)はまことにこのゴダード的主人公になっている。今回は、毎回ツボにははまるんだが、それでも"正直さ"だけはかろうじて持ちこたえる、なかなかいい感じの主人公になっていると思った。問題はヒロイン、エステルの方。

 通常ゴダード作品のヒロインというと、主人公が勝手に運命的な出会いだと思いこむほどの美貌で→その美人が事もあろうに冴えない主人公に好意を示し→主人公が舞い上がったところで→ちゃぶ台ひっくり返し→その後、話が進むにつれて彼女がなぜそんなことをしたのかの理由が徐々に明らかになって→最終的に彼女はものすごく重たい過去を背負っていた人物だったのだ、があああん、というのがわかる、てな流れになる訳なんだけど、今回この最後のがあああん、の部分がちょっと甘いというか軽いというか。それ故に最後の大どんでん返しで「何てことしてくれるんだー、この上まだひっくり返すのかいー!」という快感にちょっと乏しかった。前作(発行順では前々作)「一瞬の光の中で」がその辺、完璧なゴダードスタイルを形成してただけに少々落差的に大きいものを感じてしまったのかも知れない。そうはいっても抜群に面白い本であることは確かなんですけどね。

 最後に「紙の迷宮」でも紹介した、南海泡沫事件についてよくわかるサイトをあらためてご紹介。ちなみにこの上に、本書にも登場するミシシッピ会社事件についての説明もあります。参考までに。

02/09/26

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