立花隆先生、かなりヘンですよ

「教養のない東大生」からの挑戦状!

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矢田和一郎 著
カバーデザイン HOLON
宝島社文庫
ISBN4-7966-2840-1 \686(税別)

いつのまにやらトンデモ"知の巨人"

 立花隆の著作は、「宇宙からの帰還」と「臨死体験」ぐらいしか読んだ覚えがないわけで、その乏しい読書体験に限って言うならば、この人物の著作というのは、きわめて緻密なリサーチから来る説得力、みたいなところに特徴があるのだろう。それが一番顕著に表れたのが、「田中角栄研究」であったのだろうね。で、オレが読んだ2作も、リサーチの面ではまことに緻密。特に「臨死体験」の方は、そんなことまで検証しなくても、って思えるくらい緻密なリサーチがなされてる。ただ、その多方面かつ細部に渡るリサーチの結果導き出される結論というのが、微妙に現実離れしたものになってることが多々あって、少々首をひねってしまうことも多かった。本書は、立花氏自身、客員教授を務め、氏自身が「教養のない」と喝破したその東大生による、立花氏の著作に対する異議申し立て。

 前述したとおり、ある時期からこっちの立花隆氏は、どうも文章やテレビでのコメントなど見てても「ちょっとおかしくないかこのオッサン」って雰囲気がぷんぷんしてくるわけなんだけど、本書の著者、矢田氏(と彼の協力者グループ)の考察によると、無教会派キリスト教徒の家に生まれ(信仰自体は後に否定するに至るのだけど)た事から来る宗教的なモノへの興味、理系を目指しながら色弱のためにそれを諦めざるを得なかった経験から来る科学的なものへの知識欲、さらにその、科学的なテーマでの著作「宇宙からの帰還」の取材中に触れたニューサイエンス(ほれ、ガイア理論とかのあれですがな)に強い印象を受けたこと、さらにその過程で、氏が人類は新たな段階に向かって進化しなくてはいけない、という確信を持ったことが大きい、ということであるらしい。

 「科学ってすばらしい」「人類は進化しなければいけない」なんてのは、SFファンの多くもそう考えていることだろうし、そういうテーマの名作も数限りない。たぶんSFファンじゃなくたって立花氏と同じようなことを考えてる人は多いんじゃないだろうか。オレもそうだよ。科学ってすてきだと思うし、人類は進歩しなくなったら種としては退行してしまう生き物だと思っている。そんなワシらでも考えてるようなことを立花氏が考えてはなぜいけないのか。

 それは、「知の巨人」を持って任じる立花氏が、それらの、今のところまだ学問的に完全に立証されていないことを、すでに明らかなことであるかのように勝手にねじ曲げ、これしか道はないのだと決めつけ、それを「教養のない」ワシらに押しつけてくるところにある、ということだ、というのが著者の主張。人類は進化しなければならない→その決め手は人類全体が巨大なネットワークを形成してできるグローバルブレインしかない→そのとっかかりとしてインターネットは農業、産業に続く人類の第三の革命とならなければならない…みたいな論理の流れから、それに都合のいいようにデータを引き、結論を組み立てていく、というようなことをいろんな分野に渡って行っているのが最近の立花隆なんだそうだ。なるほど、それはつまりトンデモ本を書きまくってる、ということですな。

 で、本書ではインターネット、AI、宇宙開発、環境ホルモンと遺伝子開発といった、多岐に渡る分野での立花隆の著作の、立花隆による思いこみが原因で生まれたトンデモ記述を次々と検証して行く本になってて、確かに読んでて面白い。立花隆というブランドで、かなりのトンデモがうまくごまかされているのだなあと感心する。同じ事を、たとえば「相対性理論は間違ってる」って主張で有名な窪田登司あたりがやらかしてもみんな笑って読む(それ以前に誰も買わんか、そんな本)だけで終わるけど、立花隆先生の著作であるからにはこれは正しいのであろうとありがたがってしまう「教養のない」人間は結構いると言うことなのだろうな。

 立花氏の「お話」は、ただのお話である限りにおいては面白い話で済む。だが、立花氏の社会的立場を考えれば、面白い話だけでは済まされないはずだ。著名人にはそれなりの責任というものがあるのではないだろうか。

 まことに持ってその通りなんだが、なんかこう人類規模のゲシュタルト生命体みたいな進化した人類の姿を夢想して、科学の現状の進歩の遅さを憂えてニューサイエンスを説く立花隆って人物が、逆に妙に可愛いらしい人物に見えて来ちゃうのも確かだったりするんだよなあ(^^;)。

02/09/27

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