暗闇の戦士たち

特殊部隊の全て

b010904.png/5.2Kb

マーティン・C・アロステギ 著/平賀秀明 訳
カバー装幀 日下充典
カバー写真 AP/WWP
朝日文庫
ISBN4-02-261352-1 \940(税別)

 ハイテク軍事サスペンスやミリタリーものの模型の好きな人間であれば、世界最強といわれる英国の特殊部隊、SASの名前はご存じであろう。テレビ・シリーズ、「ラット・パトロール」(若い人は知らんか)のモデルともなった砂漠の遊撃部隊。のちにヨーロッパに転戦し、大戦終結後は英連邦の紛争地帯であるアジアのジャングルやIRAのテロが頻発する北アイルランドで常に過酷な特殊戦に従事することになる精鋭なんだけど、英国にSASあるように、世界各国にはさまざまな特殊部隊があり、それらは一見平時に見える今も、世界のどこかで闇の活動を行っているのかも知れない。そんな、世界各国の特殊部隊の生い立ち、変遷、隊員の選抜や訓練の様子、それから実戦行動についての詳細なルポルタージュ。

 特殊部隊の訓練風景、てえとクランシーの「レインボー・シックス」でもかなり詳細に描かれているけど、現実の特殊部隊の訓練の過酷さってのは、小説を遙かに凌ぐ。肉体を徹底的に苛め抜くだけでなく、精神的な苦痛、さらには拷問のシミュレーションまでもこなさなくてはいけない、しかもその訓練を耐えた先に待っている物も、過酷さにおいて訓練と何ら変る所のない戦場。いったいどんな人間だったら、こんな過酷な部隊に入って心身をすり減らしたいと思うものなのか。

 SASはともかく、第二次世界大戦中のアメリカなどでは、いわゆる"ギャング"たちのような、裏社会のはみ出し者たちだけで構成された特殊部隊があったのだそうだ。協調性も命令を遵守する気もないけれども、ただ最悪の環境下で敵を殺すことだけに生き甲斐を感じる人種、という連中を集め、彼らがすり切れるまで使い潰す、というのが誕生直後の特殊部隊の姿であったようだ。ただ、その"殺しの技術"だけでは対応できない、ジャングルでのゲリラ戦、テロリスト相手の作戦、ハイテク戦争における敵戦線内部への侵入と遊軍の誘導といった新しい必要性が登場するたびに、各国の特殊部隊は徐々に様変わりし、またお国柄のような物もでてくるあたりが興味深い。あくまで兵士としての個人を鍛え上げようとする英国、マフィアのように行動できる強力な警察を目指すかに見えるフランス、潤沢な資金に物をいわせた、ハイテク戦闘集団を目指すアメリカ、って感じか。

 対テロ、対LIC任務の重要性が増してくるにつれ、それまでの冒険野郎的な性格は、徐々に訓練を積んだエリート部隊、という印象に、各国の特殊部隊ともに様変わりしてきているのだけど、それでもやはり、これらの部隊のミッションというのは限りなく死に近い物であるわけで、こういう部隊に籍を置く人々というのは、やはりどこか、特別な情熱のような物があるのだろうと思う。もとアメリカの特殊部隊の隊員であった人物の、こんな言葉が印象深い。

 「特殊部隊は、ギリギリの状況で人生に喜びを見いだすタイプの男たちによってつくられる。そういう人間のチャレンジ精神は、父なる死の存在なくして満たされることはない」とロン・ヨーは言う。「それは極めて危険な状況に立ち向かい、それを征服することでしか果たされない。最大の敵を乗り越えることが、究極の満足感を与えるのだ(後略)

 さらに別の戦士のこんな言葉が続く。

 「戦闘行為には、どれほど接戦のスポーツでもめったに味わえない爽快感をもたらす手段のとしての側面がある。掛け金は非常に高く、負けた物には死しか残らない」

 こういう人々に活躍の場を与える特殊部隊、って存在の是非はいったん置くとしても、各国とも、それは、必要なものなのだという認識のもと、少なからぬ予算をそこにつぎ込み、装備と錬度の維持に勤めているわけだけれども、それは、とりもなおさず、彼らが必要になる局面が必ずある、という認識があるからだよな。翻って自分の国を見てみたときに、この国が「起こるかも知れない危機」に対してあまりにも無防備なのではないかという気は、する。

 それにしてもこんな、「特殊部隊はすごいぜー、おー!」な本が、良く朝日文庫から出たもんだな(^^;)。あ、あと、最後になりましたけど本書には、今や英国冒険小説の売れっ子作家になってる、アンディ・マクナブとクリス・ライアンのSAS時代のエピソードもしっかり出てきます(^o^)。

01/9/4

前の本  (Prev)   今月分のメニューへ (Back)   次の本  (Next)   どくしょ日記メニューへ (Jump)   トップに戻る (Top)