ロボット21世紀

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瀬名秀明 著
装幀 坂田政則
文春新書
ISBN4-16-660179-2 \860(税別)

 アトムの誕生まであと二年。AIBOやアシモといった、それまでの(現実社会での)ロボットに対する常識を一気に飛躍させるようなロボットたちの登場で、にわかに何度目かのロボットブームを迎えた日本。ロボットの研究開発では現在間違いなく世界のトップにある日本で、技術者たちはロボットに何を求め、何を実現させようとしているのか、を瀬名秀明氏が一年半に渡る取材でまとめた本。

 本書はおおざっぱに3つのセクションに分かれてて、最初がいわゆるヒューマノイドの可能性、それから(元来チャペックが命名した意味合いにおいての)ロボットとしての可能性、そして21世紀(とその先)を見据えた、(総称としての)ロボットの未来への展望、という形になっていて、瀬名さんが一番書きたかったのは、ヒューマノイドとしてのロボットの可能性(と問題点)、そしてそれらを取り巻く現状と未来への展望、という部分なのだろうと思うのだが、その技術的アプローチのおもしろさはオレも認める。アシモのスムーズな歩き方の秘密とか、なぜヒューマノイド型ロボットは、直立二足歩行形式を目指すのか、というあたりのリサーチは読み応えがある。安定した歩行というのは、実は常に不安定な状態を作り出して得られる物だ、という発想の転換がアシモのスムーズな歩きっぷりに繋がった、ってあたりのエピソードは最高に楽しい。それでも、オレはヒューマノイド型ロボットの実現に関しては、少なくともこの先100年ぐらいは現実的な話ではないのではないかと感じる。瀬名さんが思ってるより(瀬名さんは危惧しつつも30年先には状況は変っているのではないか、という立場を取っておられるように見えるが)、先は長いと思うのだ。

 この前「A.I.」見たからそう思うのかも知れないけど、完璧なヒューマノイドって言うのは、じつは案外人間社会にとって邪魔な存在なんではないのだろうか、と思えてしまうのだな。研究者のみなさんや瀬名さんは、"人とつきあえる"ロボット、という未来像を描いているように見えるのだけど、オレは"人が人とつきあう"ことをサポートする物がロボットなのだと思いたい。有名な"ディープ・ブルー"とのチェスの勝負に敗れたチェスの世界チャンピオン、カスパロフの言葉を引いて、瀬名さん自身がこんなことを書いている。

 試合後、カスパロフは「プレッシャーに押しつぶされた」とのコメントを残している。だがこのとき、彼はさらに奇妙なことを口走っていた。人間とは違う知性をディープ・ブルーに感じた、というのだ。

 これを初めて聞いたとき、私は背筋に鳥肌が立った。恐ろしい、と瞬間的に思ったのである。

 これはディープ・ブルーがこれまでこの世に存在しなかった新たな知性を獲得したということなのだろうか。

 機械が人間に近づくにつれ、この手の抜きがたい、得体の知れない恐怖感というのは増していく物なのではないだろうか。時間が解決するものなのだとは思うが、それでも人と同じように動き、人を超えた能力を発揮するモノが社会にそうすんなりとは受け入れられるとはにわかに考えにくい。むしろ第5章で語られる、人が暮らしていく上でさまざまな局面で黒子となって働くロボットこそが、ロボットの理想像なのではないかとオレは思う。"パートナー"ロボット、というコンセプトが出てくるけれど、オレは人間に必要なのはパートナーという"存在"なんじゃなく、他の人間とのコミュニケーションが今よりも活発な"世界"だと思うし、ロボットというのはそのための裏方に徹して欲しいと思ってしまうのだな。これはオレの頭が瀬名さんの頭より9年分古いものだからなのかも知れないけれども。

 そこらへん、イマイチ同意できないモノを感じつつも、全体としてはやはり楽しい本であると思う、し、非常に重要な警告も含まれている。今、日本のロボット研究は世界の最先端だけれど、それはあくまで単体のロボットの機構などの部分に関するものであって、ロボットをどう使うか、という、ソフトウェアの部分、ロボットでなにを提供するか、というコンテンツの部分においては必ずしも日本は世界のトップを走っているわけではない、というあたり、果たしてこの先も日本がロボット先進国でいられるかどうか、少々不安にもさせられる。"HOS"というコンセプトを持ってきた押井守と伊藤和典は、やっぱリすごかったのね(^^;)。

 それはともかく全体として、「瀬名秀明嫌い!」って人でもこれはかなり楽しめる本なんじゃないでしょうか。お薦めっす。

01/9/5

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