1994年12月25日(日) 1994年12月26日(月) 1994年12月28日(水)
1994年12月29日(木) 1994年12月30日(金) 1994年12月31日(土)
1995年 1月 1日(日) ギリシア・エジプト旅行記表紙
12月27日(火)
8:00頃ホテルで朝食、今日は気分も良く、おいしく食べられた。
9:00 バスで市内観光に出発。天気はちょっと雨模様。
ギリシアは自国で自動車の生産はしていないので100%輸入車とのこと。日本車も多い。車が増えすぎたので、曜日によって偶数ナンバーと奇数ナンバーで規制をしているが、金持ちは偶数と奇数両方のナンバーの車を持っているという。交替と言えば学校もそうで、1つの教室を午前と午後といったように使い分けているので、授業は半日だそうだ。観光が大きな割合を占めている国なので、子供は学校に行っていないときは外国語を習いに行くそうだ。2カ国語から3カ国語話せないと就職は大変らしい。
大統領官邸を見て、科学アカデミーを通り、考古学博物館へ。入館料1500ドラクマ。撮影可だったが、後から思えば所蔵品のカタログを買えば良かった。できればゆっくり見たかった。


雨は上がり、リカベトスの丘からアクロポリスを挑む。そしてアクロポリスへ。入場料1500ドラクマ。団体の場合は公認のガイドが一緒ではないといけないらしい。その人は日本語ができないので、ついているだけで、実際はギリシア人と結婚して地元に住んでいる日本人が案内してくれたけど。

パルテノン神殿などを見て、アクロポリス博物館に入る。神殿の彫刻を復元した模型があったが、石材の使い分けや見事な彫刻、当時はきっとすごいものだったんだなと思う。ここで日本語のガイドブックを600ドラクマで購入。
ゼウスの神殿を通り、第1回近代オリンピックが開かれたオリンピック・スタジアムへ。席も石造りで、道のすぐ横にトラックがあり、簡単に入れる。ちょっと意外な感じがした。入り口には各大会の開催年と場所が彫られた石碑があり、あたりまえだけど1964年のTokyoもあった。
市内のレストランで昼食。ムサカを食べた。また、この辺りではサラダにはドレッシングなどはなく、テーブルに置いてある塩やこしょう、オリーブ・オイル、ワイン・ビネガーを好みでかけて食べるそうだ。
いったんホテルへ戻る。周辺をぶらぶらするが、周りには店などは無かった。数学などでギリシア文字には慣れていても、標識や看板がよくわからない。
バスで空港へ向かう。出国、搭乗手続きも短時間で終わる。
18:15 オリンピック航空OA325便でカイロへ。隣の席のアメリカ人は、機内食のいろいろなものをパンを割ってはさみ、ハンバーガーのようにしていっぺんに食べていた。うーん大胆。でも、アメリカ人は母国語で母国の通貨でほとんどの国へ旅行できる、うらやましいな。
20:10 カイロ着。もう辺りは真っ暗。ビデオカメラを持っている人は通関で何か手続きが必要らしい。エジプト人用の入口は空いているが、外国人用の入口は長い列。
建物から出ると思ったより寒い。待っていたバスはさすがJTBで、空港に停まっていた中では最も豪華。
カイロ市内でマクドナルドの看板。世界中大体同じ値段だそうで、外国人には高くはないが、エジプト人の金銭感覚からすると、高級レストランだそうだ。
空港から1時間弱でギザにあるフォルテ・グランド・ピラミッド・ホテルに到着。ライト・アップというより電飾(!)が華やかなホテルで、部屋の窓から三大ピラミッドが見える。もし可能ならばピラミッドと星を撮影したいと思っていたが、ホテルの電飾とクフ王のピラミッドのライトアップで無理なようだ。それに昼夜の気温差で夜はもやがかかったようになり、星は見にくいことがわかった。水道の水は話に聞いたとおり白っぽく濁っている。砂漠なので仕方なく、たとえシェラトン・ホテルなどの超高級ホテルでもカイロでは白っぽい水が出るそうだ。ちょっと心配になり、歯磨きもミネラル・ウォーターを使う。すごいところに来てしまったとこのとき思った。(その後も何回か思った)。明日からはスーツケースを使えないので別のバッグに必要な荷物を移す作業をしてから、早めに寝た。
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