姉萌えにおけるコントラストの重要性について

はじめに

 私は以前「姉萌え憲章」で姉属性の本質について考察を行ったのであるが、思い返すに、かなり甘いところがあった。
 見落としていた重要な論点を付け加えるとともに、より正しい姉論を提示することを試みたい。

「姉」とはなにか

 そもそも姉とはなんだろうか。
 ここで強調したいのは、「姉に本質的な性格」や「姉に本質的な振る舞い」は存在しない、ということだ。姉とは性格や行動様式にかんする規定ではないのである。どんな性格であっても、どんな振る舞いをするのであっても、人は姉でありうる。
 当たり前の話だ。「弟妹」がいさえすれば(そして女性でありさえすれば)、誰でも姉なのだ。

「姉属性」とはなにか

 そうであるならば、「姉属性」においても似た事情が成り立つはずだ。
 つまり、「姉属性」を性格や行動様式だけから規定してはならないのである。原理的には、どんな性格であっても、どんな振る舞いをするのであっても、「姉属性」は成立しうるのである。
 では、本質はどこにあるのか。「姉属性」にまず求められることは、「弟妹」と「それ以外」について異なる関わり方をする、ということではないか。これこそが「姉属性」の第一の必要条件なのである。
 「姉属性」は、「弟妹」という特定の存在について、特定の態度を示すことにより、「姉属性」たりうる。そして、重要なのは、その態度を「弟妹」以外の相手には決して見せてはならないということである。
 たとえばこういうことだ。
 「弟妹」にだけ優しい、という態度は、「姉らしさ」を構成する。
 しかし、誰にでも優しいのであれば、それはただ面倒見のいい性格をしているだけであり、「姉属性」とは無関係になってしまうだろう。
 「弟妹」にだけ攻撃的、という態度は、「姉らしさ」を構成する。
 しかし、誰にでも攻撃的であれば、それはただ粗暴な性格をしているだけであり、「姉属性」とはこれまた無関係になってしまう。
 「面倒見のいい性格」と「粗暴な性格」はほぼ正反対の性格規定である。ところが、「弟妹」と「それ以外」との「コントラスト」において出現するならば、どちらであっても「姉属性」の核心たりうる。「コントラスト」が本質なのだ。そして、「コントラスト」から切り離されてしまえば、両者とも「姉属性」とは無関係になってしまうのだ。
 一歩進んで普遍化すれば、「コントラスト」は任意の性格を「姉らしいもの」にしうると言えよう。
 繰り返そう。「姉属性」が「姉属性」であるためには、「弟妹」だけに向ける固有の態度をもっていなければならない。すなわち、「弟妹」と「それ以外」について、態度に「コントラスト」がなければならない。

他の近親系属性との関係

 この「コントラスト」、具体的には「身びいき」や「内弁慶」、という論点は、「姉」だけでなく近親系属性一般に当てはまるのかもしれない。たとえば「妹」であっても、普通に考えれば、「妹らしさ」は特定の「兄」や「姉」にだけ見せるものであるだろう。
 ところが、「姉属性」にしろ「妹属性」にしろ、こと萌えが問題になる場面では、「姉っぽい性格」や「妹っぽい振る舞い」で「姉萌え」「妹萌え」をつくっていこうとする試みが少なくない。しかし、ここまで述べてきたように、これはあまり賢いやり方ではない。こう考えてみると、『シスタープリンセス』は「どんな属性であれ妹たりうる」としていたわけで、まさに正しいわけだ。
 では、「姉属性」と「妹属性」とは、どう区別をすればいいのだろうか。
 血縁だけに限れば簡単であるが、義理や幼馴染、ご近所なども含めて、一貫した説明を与えるにはどうすべきか。
 私はかつて「姉萌え憲章」で「守り慈しむ」という契機から、「姉属性」を定義づけようとした。
 しかし、この立場は、「姉属性」を性格や振る舞いのありようから定義しようとするものであり、問題的である。ここは単純に年齢だけで「姉」と「妹」を区別したほうが正しかったようだ。
 「コントラスト」で定義される近親属性のうち、年上のものを「姉」ないしは「母」、年下のものを「妹」ないしは「娘」とすべきであろう。
 このとき、「姉」と「母」の区別についても再考する必要が出てくる。「姉萌え憲章」では「守り慈しむ」ことにおける「背伸び」の有無に着目した。しかし、もはや「守り慈しむ」契機に訴えることはできない。
 新しい私の考えは、「姉」および「妹」は年齢の量的区別に基づくが、「母」および「娘」は「大人と子ども」という質的区別に基づく、というものである。
 「姉」は、たんに「私のほうがお姉さんだからお姉さんしなきゃ」と思う。一日でも早く生まれていればいいのである。一方、「母」は「私は大人であの子は子どもだからお母さんしなきゃ」と思う。社会制度や文化に基づいた、大人と子どもの役割の違いについての一定の理解が前提になっているわけだ。ここに「姉属性」と「母属性」の差異は存する。
 「妹属性」と「娘属性」の区別も同様にできるだろう。

「実姉」と「義姉」の区別について

 ここで、「実姉」と「義姉」との区別について確認しておきたい。たんに態度における「コントラスト」を強調するだけでは、この差異を十全に説明できないからである。「コントラスト」は、「実姉」だけでなく、義理、幼馴染、ご近所など、姉一般を説明する原理であり、姉の下位区分には関わらないのだ。ここで必要となるのは、「コントラスト」の根拠についての考察である。
 「実姉」であれば生物学的な根拠、「義姉」であれば社会的な家族制度が「コントラスト」の根拠として挙げられることになるだろう。そして、それ以外にも、さまざまな理由で「兄弟姉妹」の絆が結ばれることがありうる。その根拠に応じて、態度の「コントラスト」そのものは同じでも、実際の萌えのニュアンスは少しずつ変わってくる、と考えられる。
 たとえば、近親相姦エロ萌えにおける背徳感は、「実姉」の場合と「義姉」の場合ではかなりニュアンスの異なったものであろう。それは、侵犯するタブーの性格がかなり異なるからである。さらに言えば、血縁もなく、社会的な縁組もなく、たんに姉弟的な関係で育てられただけの場合もまた、エロ萌えにおいて、異なる背徳感が生じるであろう。一般にインモラルなエロさは「実姉」モノの場合がいちばん大きいと思われるが、ここではインモラルさの強弱よりも、その質の違いについて注意を喚起したい。だめよだめよを踏み越えた瞬間の、萌えポイント、エロさのポイントが「実姉」と「義姉」とでは微妙に違うのであり、姉モノのバリエーションに応じたこの味わいの違いを繊細に読み取ることができなければならない。そして、繰り返すが、この違いは、たんに現象的な「コントラスト」に着目するだけではなく、その根拠にまで着目しなければ、理解できないものなのである。

「姉属性」のパラドックス

 これまでの考察に基づいて、「『To Heart 2』についての覚書」および「属性理論からの『つよきす』読解」などで述べておいた問題を再定式化しておく。
 「姉属性」には、一つのパラドックスが本質的につきまとう。
 「姉っぽい性格」ほど「姉萌え」を成立させにくいのである。
 ある「姉」キャラを、「姉っぽい性格」にしたとしよう。「姉っぽさ」が性格であるかぎり、そのキャラは「弟妹」だけではなく「それ以外」にも「姉っぽい振る舞い」をすることになるだろう。
 そのとき、「コントラスト」は失われてしまう。そして、すでに述べたように、「コントラスト」なくしては「姉萌え」は十全には生じえないのである。
 たとえば、『To Heart 2』における向坂環も『つよきす』における鉄乙女も、このパラドックスのために、その潜在萌え力を完全に発揮しえていない。
 タマ姉の場合、性格が姉御肌であるがゆえに、弟であるタカ坊への「姉的な態度」もその延長線上で解釈されてしまう。乙女さんの場合も、「先輩属性」をもつがゆえに、弟であるレオへの「姉的な態度」が目立たなくなってしまっているのである。
 もう一つ『つよきす』で注意すべきことは、かてて加えて「弟」の位置にいるレオが誰に対してもヘタレであるがゆえに、「弟らしさ」の「コントラスト」も成立していない点である。これも欠陥である。本稿では「姉属性」における「コントラスト」を強調したが、当然のことながら、対応する「弟」の態度にも「コントラスト」は要求される。別の例で言えば、姉萌え界では一般に名作と謳われる『Crescendo 〜永遠だと思っていたあの頃〜』、アレをどうしても私は楽しめない。それは主人公たる弟くんが、四方八方に弟臭い態度を振りまくからである。それではただの馬鹿な子供である。「弟」は「姉」にたいしてのみ「弟」でなければならない。こういうところにも敏感でないと、「姉萌え」はどこか阻害されてしまうように思う。
 一方、『True Love Story Summer Days, and yet...』のるり姉は成功している。性格が姉系であるのは先の二人と同様であるが、弟に向ける振る舞い…というか仕打ちが、まさに「弟だからする」もの「弟にしかしない」ものであると明確に描写されている。「コントラスト」が効いているのである。それゆえ、るり姉は上質の姉萌えを喚起できるのである。

「姉属性」と「先輩属性」

  まとめにかえて一つ重要な教訓を示しておこう。
 「姉属性」「姉萌え」を正しく成立させたいのであれば、「姉っぽい態度属性」「姉っぽい態度萌え」を、「姉」から厳密に区別しておかねばならない。
 「姉っぽい態度属性」は、内的な論理にそくして、「先輩属性」や「姉御肌属性」などに置き換えて表現されるべきである。そして、「姉属性」「姉萌え」とはまったく異なるものとして扱うべきなのだ。
 たとえば、「姉萌え」と「先輩萌え」は表面上は類似しているし、支持者の外延もかなり重なっている。しかし、やはり異なる論理に基づいている。
 「姉」は個別特定の「弟妹」との関係において成立するが、「先輩」は「後輩」一般との関係において成立する。「先輩」の「先輩」らしさは「後輩」であれば誰にでも同様の態度をとるところにある。
 そして、「先輩萌え」は、この「後輩一般への態度」が崩れて「特定の誰かへの想い」が現出するところに成立する。
 一方、「姉萌え」においては、このような一般性から個別性への転換はない。最初から特別な「弟」が、そのまま特別な「男の子」に移行するのである。このように、萌え成立の規制がまったく異なるわけだ。
 近接属性の論理の差異にはつねに敏感でなければならない。

おわりに

 まあ考えてみれば当たり前の話であるが、「姉」は関係概念である。しかし、「姉属性」というかたちでキャラの属性にしてしまうと、しばしばこの明白きわまりない真理が忘れられてしまう。自戒を込めて言うのであるが、萌えはキャラを志向するがゆえに、姉弟関係から姉キャラのみを抜き出して語ってしまいがちなのである。そうなると、いろいろ間違いが起こってしまうわけだ。
 姉萌えもかなり市民権を得てきたように思えるが、このあたり気をつけていかないといけないだろう。

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