『WILD ARMS 2nd Ignition』における英雄論を批判する

0 はじめに

 やるゲームといえば、ギャルゲとエロゲ。RPGは少々苦手で、どうしても途中で投げてしまっていた。そんな私が、たいへん楽しく最後までプレイできた数少ないRPGの一つが、このWILD ARMS 2nd Ignition(以下WA2と略記)であった。
 暴れまくる巨大怪獣、ピンチ一発変身する主人公、たいへんステキでした。
 しかしまあ、このゲームがRPGとして優れているかどうかなどは、この分野に疎い私の評価できるところではない。
 問題は、シナリオであり思想である。
 WA2のテーマは、英雄すなわちヒーローとは何かと問い直す、というものである。
 ところが、私は、このテーマについてWA2が提示した結論に、まったく賛同できないのである。
 以下、WA2のヒーロー論を批判していきたい。
 ちなみに、当然ネタバレが含まれるので、注意されたい。また、マリナさん攻撃が最後に展開されるので、これも嫌な人は読まないでください。

1 それはヒーローではない

 論点は単純である。そもそもWA2は、ヒーローとは何か、ということをまったく見誤っている。それゆえに、WA2のヒーロー論は、的外れなものに終わってしまうのだ。
 WA2は、世間一般の人々がヒーローと呼ぶ人がヒーローである、という非常に素朴な立場に立脚して論を進めている。後述するように、これは端的に誤りである。そこからヒーローを否定する結論が出てしまうのは、当然と言えば当然だ。
 世間一般の人々にヒーローと呼ばれることを目的にするのはもちろん空しい。また、世間一般の人々が誰かをヒーローに祭りあげるのは、その誰かを全体のための犠牲として扱うことを正当化しようという欺瞞的な動機に基づいている場合が多い、ということも、まあ、今さら指摘されるまでもないことである。
 しかし、ここで立ち止まって考えてもらいたい。それは本当のヒーローなのか、と。
 もちろんそうではない。そんなことは誰でも知っている。ヒーローものの歴史とは、それでもなおヒーローがヒーローとして成立する条件とは何か、を考える営みの連鎖なのであり、これまでにもうかなりの議論の蓄積がある。WA2はそれらを無視してしまっている。

2 ヒーローを認定するのは誰なのか

 WA2には次の視点が欠けている。WA2は、誰がヒーローと呼ばれるべきか、ということは論じている。しかし、誰がヒーローなのかを決めるのは誰か、という問いに、まったく注意を払っていないのである。
 しかし、これでは困る。先に述べたように、世間一般で流通するヒーローの称号は、損得にまみれた政治的な思惑に左右されてしまうものだ。まず、確認しなければならないのは、世間の一般大衆は、ヒーローが誰かを認定する資格をもたない、ということである。
 どういうことか。端的に述べるならば、こうだ。ヒーロー認定とは、認定されるヒーローだけでなく、ヒーローの認定者にも一定の資格を要求する行為なのである。ヒーローを論じる場合には、後者の資格要件についてこそ、問い直さねばならない。
 では、誰がその資格をもつのだろうか。この問いには既にいくつかの答えが提示されている。順に検討していきたい。

3 ブラウン管の前のみんな

 誰にも正体を明かさないヒーローが存在する。言うまでもなくウルトラマンシリーズが典型である。この場合、そのヒーローをヒーローと呼ぶ認定者は、物語の内部には存在しない。この立場はすなわち、そもそも物語のうちで誰がヒーローなのかを話題にすることをしない、というものである。
 ヒーローものの基本線はこれである。物語の内部でのヒーロー認定は、どうしても利害が絡み、不純なものとなる。ならば、そもそも誰がヒーローか、という議論を物語のなかから排除してしまったほうがよい、というわけだ。ある程度正体を隠すヒーローが多い理由の一つが、これである。
 この場合、あえて認定者を探すとすれば、ブラウン管の前のみんな、ということになろうか。
 あたりまえの話である。いくら物語のうちで誰かがヒーローだヒーローだと呼ばれていても、我々自身がそれに説得力を感じられなければ、終わりである。ヒーローは、ブラウン管の前のみんなに認められて初めて、真のヒーローとなる。言うまでもない。(拙論「称号としての仮面ライダー」におけるクウガ解釈を参照されたい。)
 ただまあ、これだけではストイックに過ぎて、少し寂しい。物語のうちにも、ヒーロー認定の要素が欲しくなる。すると、問題は以下のように展開する。
 認定者がブラウン管の前のみんなである場合には、ヒーロー認定の正当性は完全に確保される。ブラウン管の前の我々は、物語の内部の利害にはまったく関わりがないのだから、判断を誤らせる原因がそもそも存在しないのだ。では、物語のなかのキャラクターでありながら、ブラウン管の前のみんなと同じように、曇りなき視点からヒーロー認定を行えるような立場がありうるのか否か。

4 戦友

 戦いのなかで育まれた真の友情は、ヒーロー認定に正当性を付与するに十分である。共に戦ったものだけが、ヒーローをヒーローとして語ることを許される。これこそが価値ある評価なのだ。それなのに、アーヴィングを典型に、WA2の面々は世間の一般大衆からの評価しか問題にしない。自分の戦いを支えてくれた友のほうを向くことなく、世間様の顔色ばかり伺う。それでは駄目だアーヴィング、と何度叫んだことか。しかし、彼は最後まで向く方向を間違えていた。アーヴィングのラストの行動が戦友たるプレイヤーに疎外感を与えるのは、そのせいである。WA2での例外はブラッドシナリオだろうか。

5 宿敵

 これは強い。敵対するものからも、ヒーローとして認められる、ということの価値は、もはや言うまでもない。これもヒーローものでは頻出の形態である。しかし、WA2にかぎって言えば、この方法は使えない。敵が人格をもたない天災だからだ。前半部には、これを織り込む余地はあった。しかし、真の脅威が明らかになってしまえば、それはどう見ても自然災害。宿敵もなにもない。ヒーローについて問いかけながら、一つの答えの可能性が初めから消されてしまっているわけだ。

6 子供たち

 ヒーローの認定には、曇りなき視点が必要である。そのような視点をもつものとして、子供が多く引き合いに出される。ショッカーの暗躍に大人たちはまったく気づかない。子供たちだけが(ブラウン管の前の君たちもその一人なのだが)仮面ライダーの戦いを知っている。この構図を思い出そう。古くは鞍馬天狗の杉作少年にまで遡る古典型だ。子供の無垢な瞳は、真のヒーローを見抜くのである。WA2においては、ブラッドシナリオとマリアベルエンディングが一応この要素を取り入れていると思われる。しかし、作品全体を支えるまでには至っていない。

7 マリナ問題

 このように、WA2はヒーローが成立する条件、すなわち、正当なヒーローの認定者を立てること、をきちんとクリアしていない。そのうえでヒーローについて問うているのだから、否定的な結論しか出ないのは当然である。そのなかで例外があるとすれば、ブラッドシナリオであろうか。しかし、残念ながらブラッドは主人公ではないのである。
 我々はここで、あらためてWA2がヒーローを否定してまで提示した積極的な結論を検討しなければならない。すなわち、アシュレーシナリオを検討しなければならない。いや、正確には、マリナシナリオを検討しなければならない。
 アシュレーが世間一般が呼ぶところのヒーローを否定して帰るのは、マリナのもとである。これはすなわち、究極的な価値の認定者をマリナに置いた、ということだ。マリナこそが、WA2の勝利者である。
 では、マリナが象徴するものは何か。それは正当なものなのか。
 断じて正当ではない。
 マリナはヒーローを否定する。それは、ヒーローとは世間の一般大衆の幸福のための生贄にすぎない、という洞察に基づいている。これまで論じてきたように、これはある意味正しく、ある意味間違っている。ヒーロー概念がそのような危険性を孕むことは否めないが、それだけで尽きるわけではない。しかしまあ、主張そのものは理解できる。
 問題は、マリナがこう語る動機が、個人的な幸福の追求を一歩も出ていないことにある。彼女の願いは、幼馴染との平凡で幸福な日常をただただ維持することに向けられている。つまり、マリナのヒーロー否定は、たんに、なぜ自分だけが損をしなくてはならないのか、という不満を述べているだけにすぎないのである。マリナは大義を理解しない。エゴイズムだけに生きる。これでは、ヒーローを生贄にする一般大衆の論理とまったく変わるところがない。
 マリナと一般大衆は同じ穴の狢なのだ。
 もちろん、大義だけを振りかざしても仕方がない。テロリストでも大義をもつのだから。このことは、拙論「『アイアンキング』と漢の友情」において既に述べた。しかし、自分の小さな幸福にだけ固執する立場は、負けず劣らず認めがたい。これまた拙論「燃えは萌えに優先する」を参照してもらいたい。エゴイズムが魅力をもつとしたら、痛快なピカレスクロマンにまで高まらねばならないだろう。不満不平に基づくエゴイズムではどうにもならないのだ。
 それなのに、だ。WA2では、大義から目を背け、ただただ自らの小さな幸せだけを希い、人々が戦うなか、何もせず祈っていただけのマリナが、勝利を手に入れる。これで本当によかったのだろうか。戦っている女性は他にたくさんいるのだ。戦友でもある彼女たちにこそ、目を向けるべきではなかったか。
 まとめよう。WA2がヒーローを否定してまで辿り着いた結論は、みみっちいエゴイズムの肯定にすぎないのではないかという疑念が私には拭えないのである。

8 総括

 もう少しシナリオの分析をしてもよいのだが、まあ、オチも見えているようだし、やめておこう。
 まあ単純にマリナさんには萌えないというだけのことである。
 アナスタシア姉さん、カノン姐さん大好きです。(ここにリルカがこないのが私の趣味の特徴なのだが、まあそれはどうでもいい。)
 ともあれ、ここまで長々語らせるとは、WA2恐るべし、と見え透いたフォローを入れて本稿を閉じることにしたい。

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