Deleuze & Guattari "Mille Plateaux":ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』

12. 1227年―遊牧論あるいは戦争機械

pp.473~: ノモス,近代国家における暴力

『千のプラトー』解題へ

報告: 2005/09/01

戦争機械論の最後の部分でした。久々に参加された蛭田さんや,カント読書会の流れで参加された方々もいらっしゃったので,ドゥルーズ&ガタリの基本概念の確認を簡単にしました。

ちなみに,話題になった「ノモス」については,ドゥルーズの『差異と反復』第一章にすでに同じ表現があることをこの前発見しました。どうもドゥルーズ哲学の重要なテーゼ,「存在の一義性」と,「ノモス」や「平滑空間」とは密接な関係にありそうです(よくよく考えれば当然なのですが)。次回口頭で簡単に報告できればと思います。

蛭田さんがマックス・ウェーバーを引きながら,近代国家における暴力の二つの形態,すなわち,「内」における暴力の独占と,「外」における戦争,を簡単にまとめてくださったおかげで,それとの対比でドゥルーズ&ガタリの戦争機械論のユニークさがどこにあるのか,少し見やすくなったのではないかと思います。簡単に言えば,D&Gは「内」の暴力と「外」の暴力を切り離そうとしているわけですね。それがどのような帰結をもたらすのかは,まだよく分かりません。次の「捕獲装置」のプラトーを待ちましょう。

前回からまた新たな参加者をお迎えできました。法律事務所(!)を営んでいらっしゃる,鈴木さんです。フェミニズム関連でもいろいろと活動されているそうです。鈴木さんには,ぜひ実務経験者の目からいろいろとコメントをいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 ――大久保

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