徒然徒然なるままに 

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'99.8.7 sat

 6月末に退院して、7月から職場復帰しています。7月15日が診察日で、レントゲンを撮りましたが、やっと骨が形成されていることが確認されました。あとは日にち薬といったところ。冬までには松葉杖を使わなくて済むようになるだろうと思っているのですが・・・。


'99.6.21 mon

 骨折入院して一月半が経ちました。今日レントゲンを撮ったのですが、あまり変化は無いようです。(骨折のレントゲン写真はここをクリックして下さい。ただし手術前のものです。)つまり骨が形成されている様子が見られないというわけです。とりあえず予定通り今月末には退院しますが、通院で様子を見ながら数カ月後に骨盤の骨を脛骨に移植するなどの追加の処置をするかもしれないということでした。もちろん今後の荷重も相変わらず体重の2分の1で、松葉杖生活のままということになりそうです。ガックリ。また心に暗雲が立ちこめてきました。

 さて、入院している間にいろんな患者さんと同室になりました。整形外科病棟ではありますが意外に重病の人が居るものです。

 50歳代位なのにずっと寝たきりの人もありました。かなり苦しそうで、頻繁に看護婦が出入りします。時々咳込むのですが、その声でかなりの量の痰が溜まっているのがわかります。結局検査の結果、腎臓に異常があるいうことで手術が延期になり、数日の内に別の病棟に変わっていかれました。あまり苦しそうなのではじめは声を掛けるのをためらわれたのですが、隣のベッドなので少しだけ話をしたところによると、肝臓の他いくつかの内臓が癌に冒されており、それが骨に転移しているのだということでした。彼の淡々として、意外にしっかりとした声には厳粛さがありました。

 また水先案内人として乗っていた船から転落し、回転するプロペラで腿を叩かれて大腿骨を骨折して3ヶ月間ほど入院されていた停年前の患者さんもありました。患部が解放性の骨折(つまり骨が皮膚を突き破った骨折)で、骨が細菌に感染している可能性があるということで、すぐに手術をせずに、皮膚の外から骨にボルトで金属の棒を固定する「創外固定」という処置をして2週間ほど経過を見たらしいのですが、金具が突き刺さっている部分から絶えず出血してくるのを容器で受けながらじっとしていたそうです。その期間中確かな見通しもなく、不安な気持ちのまま身動きもできずに待っているのがつらかったと言っていました。でも彼の場合は幸いなことに結局感染は無く、2週間後に本来の手術が受けられたわけですが、別の部屋の若い患者は、そうした感染のためについ最近11回目の手術を受けたが、まだうまくいっていないのだということでした。彼等のことを考えると僕などはまだ単純な方なのかもしれません。

 その患者さんからはある日、乙武洋匡氏の「五体不満足」という本を貸りました。これは手足に生まれつきの障害を持つ著者が明朗で前向きな若者として成長してゆく様子を綴った自伝です。この本の文体にはやや子供っぽいところもあるのですが、オプティミスムにあふれた文章を読んでいると、仮に私の左脚が満足に治らなかったとしても、著者のように前向きに生きる勇気がわいてくるようです。こうしていろんな人に元気を与えてくれるという意味では、こういう著者がいて、その本がこんなに売れたり、雑誌に取り上げられたり、テレビに出演しているというのはいいことですね。

 また別の老人は椎間板ヘルニアを患って入退院を繰り返しています。彼はその他に、(これは本人に真相は知らされなかったそうなのですが多分悪性腫瘍で)、数年前に胃と胆臓を切除していて体力が落ちている上に、最近は網膜剥離で手術を受けて像が二重に見えるそうです。また一昨年に一人息子さんを亡くし、昨年は奥さんを亡くして、今は一人暮らしなのだということでした。病を抱えて一人で生活することの大変さを聞くにつけ、自分の老後はどうあるべきか考えてしまいます。

 しかしまた勇気づけられるエピソードもあります。いつもリハビリで一緒になる老女は多分すでに90歳を越えており、そしてどういう事情からか左目は義眼で、喋る力もほとんど無く、全身がすっかり老いさらばえてしまっているといった風情です。どうした病気で入院しているのかはわかりませんが、もうすでに死神と握手していると言ってもいいように見えるのです。だから彼女は車椅子に乗せられて理学療法室に来るのですが、自力で動くことはほとんど出来ないようでした。ところがはじめは座ることもやっとだった老人が、電動で傾斜角度の変わるベッドに毎日10分程度もたれているうちに、それは数週間の間に徐々に55度位まで傾斜が増していったのですが、つい最近は自分で車椅子からそのベッドに移ったり、つかまり立ちが出来るほどにまでなってきたのです。人間というのはすごいものですね。もう完全に成長とは無縁であとは朽ちてしまうのを待つばかりに見える人も、やはりこうして成長し続けているわけですから。


'99.1.25 mon

 11月にCG検定2級を受けたのだが、どうやら合格したらしく、先日合格証が送られてきた。3級は上部に銅色の3本線が引かれていたのが、2級は銀色の2本線だった。なんだかこっちの方がみすぼらしいと思うのは僕だけだろうか。
 受験対策には休日を一日つぶして、過去問題を解いたのだが、昨年の問題は計算問題も多く、知識問題も3級と比べてかなり高度な内容だった。しかし実際に受験してみるとそういった難問は姿を消しており、あとでウェブで公開された解答を見てみたが、割と自分の正答率は高かったようだ。CG-ARTS協会も、検定が一層広く普及することをはかっているのかもしれない。


'99.1.10 wed

 実はこの頃よく音楽を聴くようになった。音楽は芸術に対する創作意欲を掻き立ててくれるのでとても良いことだと歓迎している。カミさんはいつの間にかクレジットカードの出費が増えているのを不審に思っているが。

 僕は大体何でも聞く方で、大学に音楽学部があったのでクラシックにも一時ハマってバッハのカンタータやワグナーの楽劇を聞きまくったこともあった。だが、この頃愛聴しているのはキングクリムゾンやレッドツェッペリンそしてビートルズといった懐かしいロックバンドのものが多い。これらの多くは高校生の頃に受験の友としてよく聞いていたのだが、昔は主に友人に借りたLPからテープに録音したものを聞いていたわけだ。だからもう一度これらをCDのクリアな音で聞いてみたいという欲求があったのと、ここ数年の間にロバート・フリップらの手によって70年代クリムゾンのライブ録音が立て続けに発売されたのをたまたま店頭で見つけたのが大きなきっかけとなっている。そしてキングクリムゾンに関しては90年代再々結成後の活動にも強い興味を持つことになった。

 キングクリムゾンはよく知られているように、頻繁にメンバーチェンジを繰り返したが、どの時代においても演奏技術が高く、その中で作り出された曲にはいろんな傾向のものがある。叙情的なもの、超絶技巧的なもの。ハードで重いもの。ある曲は完成度が非常に高いし、あるいは逆にインプロヴィゼーション主体のスリリングな技巧的な演奏もまた多い。また意図的に難解に仕上げた曲も多く、一つの形式にとらわれることなくその音楽はかなり自由自在である。クリムゾンはそうしたバラエティに富んだ曲を絶妙に組み合わせてアルバムを構成することを意図していたと思われるので、彼らの曲を十把一絡げに論じることは出来ないが、僕は「太陽と戦慄パート2」や「フラクチャー」、「レッド」のように僕達の中に混沌として存在する未分化なエネルギーを、増幅させ噴出させる曲がキングクリムゾンの真骨頂だと思っている。これらはストラビンスキーの「春の祭典」あたりのバーバリズムにそのルーツを見ることが出来るのかもしれないと思ったりするのだが。

 そういう意味では80年代のミニマリズムクリムゾンはそれなりに楽しめたが、あまり僕の期待するクリムゾンではなかった。またバンドは当初の予定通りアルバムを3枚作ってあっさり解散してしまったのだった。

 だからその後僕はあまりクリムゾンのことは注意を払っていなかったのだが、先日CD店で「スラックアタック」を見つけ、不覚にもクリムゾンがこの90年代前半にも復活していたのを知ったのだった。そしてこのアルバムを聞いて90年代再々結成したクリムゾンに再びバーバリズムとインプロヴィゼイションが戻ってきたことを知った。これは血沸き肉踊る出来事だった。そして立て続けに「スラック」「B'ブーム」を買った。特にライブアルバム「B'ブーム」の演奏はどの曲も生命感があって好きだ。過去の曲がダブルトリオの編成で演奏されるのも迫力があって面白い。現在は活動休止中だが、そのクリムゾンのメンバーがそれぞれProjeKct One、ProjeKct Twoという小編成でいくつかのアルバムを出している。その成果を再びキングクリムゾンに還元するということになっているが、それはいつになることか。ロバート・フリップ自身の活動は盛んだが、僕はやはりクリムゾンとしてのヘビーな曲が肌に合うようだ。解散したという話は聞かないので新作が出る可能性はある。期待したい。

スラックアタック 
THRaKaTTaK <1996>

Robert Fripp (guitars,         Adrian Belew (guitar)soundscapes)
Trey Gunn (Warr guitar)         Tony Levin (NS electric upright bass)
Pat Mastelotto (acoustic and &   Bill Bruford (acoustic and & electronic
electronic percussions)        percussionsand marimba)

スラック THRAK <1995>

Robert Fripp (guitars, soundscapes,     Adrian Belew (guitar, voice, words)
mellotron)
Trey Gunn (stick, backing vocals)     Tony Levin (upright & electric                            basses, backing vocals)
Pat Mastelotto (acoustic and &       Bill Bruford (acoustic and &
electronic percussions)           electronic percussions)

B’ブーム B'Boom <1995>

Official Bootleg Album. Recorded live in Buenos Aires, Argentina, October
1994.

 ツェッペリンもつい先日「BBCライブ」というアルバムを中古で見つけて買った。これも懐かしい。ジョン・ボーナム不在の再結成は有り得ないと思われるので、もう新作は出ないだろうが、ライブのインプロヴィゼーションたっぷりの演奏はスタジオ版とはまた違った味があって楽しめる。「フィジカルグラフィティ」もオリジナルジャケットを模したCDを買って目下聞き込んでいるところだ。

 ビートルズの「ホワイトアルバム」は2月程前にプラケース版のCDを買ったのだが、最近オリジナルジャケットを模したものが出た。イギリス版でシリアルナンバーが入っているというものである。プラケース版ではグレーの印刷になって無粋だった「The BEATLES」のロゴもこれではレリーフになっており、オリジナルに忠実に作られている。実はプラ版を買うかどうか考えていた時にこれが特に気になっていたところだったので、もう少し待てば良かったとの思いがつのる今日この頃。中身は何も変わらないのだろうが。

 それにしても、嗜好というのはそうそう変わるものではないのだなということを感じたここ数カ月の音楽遍歴であった。


'99.1.5 tue

 年末登山のために三宮の書店で地形図を探していたら、隣に立っているのが登山家・重廣恒夫氏だった。会社(アシックスに勤務されている)帰りだろうか、上品なコートにジュラルミンのケースを下げて、非常にシャープな印象。白い髭がよく似合う。本人かどうか自信がなかったのでしばらく迷ったが、思い切って声を掛けてみた。そうしたら

「はい、そうですが。」
 と太くて落ちついた返事。僕の方の声はうわずっていた。

「あの、私、実は先生の講演を聞いたことがあるんです。え・・と、あれは5年くらい前に・・、イカワスポーツのイカワさんに誘われて、あれ・・、場所は何処でしたかね・・。確かナムチャバルワの報告をされていたときでした・・。」
 といったようなことを話す。僕はその講演の時に重廣氏の理知的な話に深い感銘を受け、登山隊の隊長を務める人として非常に能力の高い人だなと思っていたので、こうして言葉が交わせることはとても光栄なことに思われた。

「イカワスポーツにはよく行かれるんですか?」
 と重廣氏。

「あ・・、このごろは行ってないですね。」
 わりと年末にはよくお世話になる店なのだが今年は顔を出していない。いつも山スキー関係の用品やらレスキュー用品やら、あまりその辺の店に置いてないようなものを無理を言って取り寄せてもらう店なのである。そうしたことを説明しようかどうかと思っていると、

「実は今イカワさんの所に行って来た所なんですよ。」
 とのことだった。客としてか、それとも仕事でかはわからないが、重廣氏が頻繁にイカワに出入りしていることが伺える。共有している行動範囲があるということは嬉しいことだ。

 僕は数年前にイカワさんに山スキーのウェア注文したのだが、サイズが大きくてもう一度注文し直したことがあった。ところがそうして売れずに店に置いてあったウェアを「これは面白い。」と言って買っていったのが実は重廣氏だったのだと、イカワさんから聞いたことがあった。だが、その話はなんとなくしそびれてしまった・・・。

「どこか国内の山に行かれるんですか。」
 と聞いてみたら、

「この頃は日本の山によく登っているんです。」
 とのこと。百名山プロジェクトは山岳雑誌やマスコミで話題になったからよく知っていたが、やはりその後も日本の山に挑戦を続けておられるらしい。重廣氏の手には「三峰」とかいう名の地形図があった。それは何処なのだろう?

 僕は四阿山の二万五千分の一の地形図がなかったので五万分の一を見つけたが、自分がこの山域に入山することを話してその場を辞した。レジへ向かいながら自分の顔がとても火照っているのを感じた。


'98.9.23 wed

CG検定3級合格証 6月にCG検定マルチメディア検定3級を受けて合格した。会場は僕の勤務校で、「情報処理」という講座の担当者(YOCさん、彼のHPは「YOCの大きな口」)が監督で、その講座を受講している生徒達もかなり多数受験していた。3級は問題も簡単だったが、生徒達が結構受かるものらしく、教師である僕が不合格になるわけにはいかないというプレッシャーがあって、受験の日は結構疲れた。他の合格した生徒の話だと結局合格者は7人に2人だったそうだ。
 今月になって僕の手元に証書が届いたが、他に資格と言えば、教員免許と学芸員の免許、運転免許にアマチュア無線の免許位しか持っていないので、実際にはあまり役に立たない資格かもしれないが、僕にとっては貴重なモノである。


'98.8.30 sun

 この頃、11カ月になるうちの娘がしきりに「パパ!」と呼ぶ。僕はどうもパパは照れるのでお父さんと呼ばせたかったのだが、実際に呼ばれてみると満更でもなく、手元に抱き寄せて頬摺りしたくなってしまう。ところがこれが他の人に対しても「パパ!」と呼びかけるもののだから、どうやら「パパ!」とは必ずしも僕のことではなくて、単なる呼びかけの声にすぎないらしいのだ。カミさんは自分のことを「ママ」と呼ばせたがっているのだが、こちらの方はなかなか発音しない。もっぱら「パパ」である。何か食べたいときには「ンマンマ」と言っているが。
 うちにはウサギがいて「パンダ」と呼んでいるのだが、娘が産まれたときから、ウサギが悪さをする度に「パン!」と叱っていたのを聞きながら、自然に「パ」を覚えたのかもしれない。しかしもし他の子供達も、まず最初に発音するのが「パ」であるなら「パパ!」に”父親”の意味を与えた先人は粋な計らいをしたと言っていいだろう。
 母親は赤ん坊にとっては居なくてはならない人であり、それゆえに子育ての大変さもあろう。しかし同時にそれにやりがいを感じ、子供に対する自然な愛情が育まれる。父親は必ずしもそうではない。むしろ、風呂に入れる度に泣かれたり、子守していても母親の姿が見えずに泣き出した子供をあやしていると、何とも言えない無力感を感じることがある。そんな父親へのささやかな贈り物がこの「パパ!」であると言えないだろうか。母親だけにいい目を独占されるのではなくて、こうして気のせいであっても父親も報われなくてはと密かにほくそ笑む僕でした。


'98.7.5 sun

 昨日から仕事の気分転換にこのH.Pの作成を始めた。子守もなにもかも放ったらかしなので、カミさんの機嫌が悪い。そんなプレッシャーも柳に風と受け流し、至って気まぐれに、お手軽なページから作って行く。


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