徒然徒然なるままに  

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'01.1.28 sun

 昨年中にいくつか徒然なるままに制作した私の立体作品を載せておきます。

蜂のオブジェ。全長90cm、翼長150cm位。
こんなのが実際にいたら怖いです。(2月)

これはハンドランチグライダー。全長45cm程度。
これを思い切り飛ばしてみたいものです。(7月)

オカリナ。
大きいのはソプラノC調、
小さいのはソプラノF調になっています。
まずまずのチューニングに仕上がりました。
F調のものは七輪で焼いたためいろんな色が出ています。
楽器作りというのは無心になって楽しめます。(12月)


'00.10.10 tue

 キングクリムゾンの大阪公演は素晴らしかったです。実にQualityの高いコンサートでした。

演奏曲目

1) VROOOM
2) Thela Hun Ginjeet
3) TCOL
4) Into The Flying Pan
5) FraKctured
6) Oyster Soup
7) seizure
8) Lark's IV
9) CODA: Ihave a dream
10) ProjeKct D
11) Dinosaur
12) Elephant Talk
13) RED
E-1) Three of a Perfect Pair
E-2) The Deception of Thrush
E-3)Cage
E-4) "HEROES"

 私達の座席はステージに向かって右側の方で、「おおっFripp卿の正面か!」と思っていたら、Frippはステージの中央を向いてギタースツールに腰掛けていたので、私達からは彼の横向きの姿しか見えず、残念ながらギターのピッキングを観察することは出来ませんでした。でももっと右の観客の中にはFrippの後頭部しか見えなかった人もあるようです。

 演奏曲目はどれも良かったですが、特にThe Construction of LightやLarks Tangues in Aspicといったニューアルバムのインストナンバーは魅力的でした。Fracturedは演奏もタイトで情動的なパワーがあり、曲が進むに連れて思わず心拍数が上がってしまいました。ただVroomの演奏もそうでしたが、大音量からピアニッシモになってFrippのギター音だけになる場面で一瞬全くの無音になっていました。アレッと思っているとフェードインで演奏が続いているのが聞こえてきましたましたが、故障か演奏のミスかなとヒヤヒヤましました。あれってFrippのペダルで音量を調節しているんでしょうか?適切なボリュームにうまく操作できないものなのかな。

 それからFracturedの最もメタリックな音になる場面ってAdrianはギター弾いてないんですね。横にあった装置(ハイテク楽器だと思いますが)をいじったりしていましたが、あまりハードに動いている様子もなく、かなり音が分厚く感じられる場面なので意外な感じがしました。

 AdrianのボーカルはニューアルバムのモノよりもThela Hun GinjeetやThree of a Parfect Pairといった過去のナンバーの方が私には魅力的に聞こえましたが、生のステージであれだけキッチリ聞かせるあたり才能あるボーカルだと見直しました。

 Pat Mastelotのドラムはパワフルで存在感がありました。Tray Gunnはやっぱり遠慮していたのでしょうか。John Wettonの場合はステージを重ねるごとに音量が大きくなってDavid Crossが自分のバイオリンの音を聞き取るのに苦労していたというエピソードがGreat Deceiverのブックレットにありましたが。

 ところで私は実はMacユーザーなんですが、ステージ上に置いてあって背景に映し出すいろんなパターンを作り出していたノートパソコンはPower Book G3だったと思うのですが!

 さて昨年5月に新譜を発表し、復活を遂げたこのキングクリムゾンですが、過去のライブ音源の発掘リリース・・・等もあり、平均するとほとんど毎月なにかしらクリムゾン関係のCDが発売されています。しかしそれにしても結成以来30年を迎えたバンドとしては必ずしも過去に拘泥わることなく(メンバーもコロコロ変わりますが)ますますスリリングな活動を続けていることに驚きと感動を覚えます。まあそういうわけでカミさんに内緒でヘソクッてこれらの新譜を手に入れるつらさと喜びを最近度々味わっています。実はコンサート前にいくつかのCDをまとめ買いしてメンバーのサインをもらっちゃいました。


'00.8.10 thu

 「兵庫教育」という冊子の今月号に私の拙文が掲載されたので、それを転載します。


山スキーのリスクと楽しみ

山岳遭難

 あれから1年あまりが経って、普通に生活するには全く支障がないほどに回復した。ありがたいことである。つい先日の高校総体の登山大会でも生徒引率で摩耶山を歩いてきた。この文章が掲載される頃には左脚の脛骨に入っている金属の棒を抜き取る手術を受けているかもしれない。だがそれにしても2回も骨折してしまうとは予想もしないことだった。
 最初は4年前の2月に、スキー場のコースを外れて滑っていた時だった。荒れた雪に脚を取られて転倒し、しばらく激痛にうめいていたが、立ち上がろうとしたら膝がフラフラするだけで、足は持ち上がらなかった。この時、脚の骨折の場合は自力下山は到底無理であるということを思い知らされたのだった。
 そして2度目は昨年5月に山形の飯豊連峰で山スキーの滑降中に、あっけなく同じ部分が折れたのである。金具を抜いて2年と経っていなかったからかもしれない。無線で山岳救助隊に連絡を取って、一夜のビバークの後に救助されたが、地上搬送の途中に雪崩が襲ってきて、逃げる我々のすぐ後ろでブロックが止まるなどの危険もあった。今こうして安楽に生活できていることを幸いに思う。


山スキーへの傾倒

 私は大学の探検部でいろんな野外活動を経験したが、新任の時に赴いた但馬には氷ノ山という名山が身近にあったことから、山スキーに精を出すことになった。スキーを始めたシーズンの春、登山靴でスキーを履いて氷ノ山分回しをツアーし、何十回も転びながらよれよれになって鉢伏スキー場に下ったことは忘れられない体験だ。それでも気分は爽快だった。


山歴

 それ以来、氷ノ山や但馬の山を繰り返しルートを変えてツアーし、時には後山や三室山など多分初滑降かもしれない際物スキー登山もやった。
 また北アルプスや東北の山にも毎年数回はスキー登山に出かけたが、槍ヶ岳飛騨沢滑降ではまったくエッジが利かないアイスバーンをスキーに乗ったまま何百mも滑落したり、立山〜双六岳のツアーでは寒気のために遭難した青年の遺体を発見したこともあった。悪天の直後ほど山が美しくのどかで、そのすがすがしさとはおよそ不似合いに見える状況に不思議さを覚えたものだ。
 そして94年の春にはオートルートというシャモニ〜ツェルマット間の谷を登り氷河を滑るツアールートを現地のガイドとともに踏破した。スキーは旅の道具であるところが素晴らしいと思う。この時マッターホルンの最も懐近くにあるシェーンビル小屋で宿泊したが、ほんの一瞬霧の中から姿を現したその銀の斧のような山体を忘れられない。


山スキーの魅力

 確かにいろんなリスクはあるが、山スキーは最高の遊びであろう。白く荘厳な山の中で、まっさらな雪面に自分達だけのシュプールを描く楽しみ。雷鳥がのどかに這松をついばむ原始のままの自然がそこにある。日本画を学び美術教師を生業とする私は、そうした出会いをスケッチブックにとどめ、スキーを走らせる。陽光眩しい雪原で食事をとり、山を下ると共に春が訪れてフキノトウが顔を出す。露天の温泉に凍えた身を浸し、地元の蕎麦をすすれば、これはもう最高の快楽だ。今では積極的な滑降はとても出来ないが、雪の中に身を置くだけでも幸せだと思えるのだ。


山の楽しみエトセトラ

 唐突だが最近ウクレレに凝っており、昨年の秋のワンゲルの登山にマーチンバックパッカーという細身の楽器を連れていった。山の歌というのも情趣があって、山小屋で大合唱大会になったこともあるが、そこに新たな楽しみも持ち込もうとしている今日この頃である。
 またGPSという装置とコンピュータを使って自分たちが辿ったルートを鳥瞰図に描かせたり、前もって仮想登山をする楽しみも出来た。
 そんなわけで数々の手痛い目に遭いながらも、この遊びは簡単にはやめられそうにない。家族のために滅多なことは出来ないが、実はこの2月にも「筋金入りの脚」で、大山の頂上から滑ってきたのだった。


山の楽しみをさらに一つ書き加えるならば・・・

山の温泉

 温泉の有り難さといえば、5年前の年末に西吾妻の若女平で一夜を明かし、冷え切った体を温めた、白布温泉の湯の最高の快楽を思い出す。あんなに幸せを感じたことは滅多にない。高い天井に湯気の立ち昇る趣深い浴場だったので、この冬火災にあったという新聞記事を読んだがとても残念に思った。
 また槍への偵察から下山した時だったか、新穂高温泉の露天風呂で雪のちらちら舞う中で子供と二人の若い女性が番傘を差して入浴しているところに出くわしたことがある。その風情が何ともいえず印象的だったが、彼女たちが上がるときにその傘を貸してくれたのがまた嬉しかったものだ。日本のよき温泉よ永遠なれと願わずにはいられない。


'00.4.15 sat

 最近、2才半の我が娘のことで感心したことがあったので書き留めておく。
 4月9日にカミさんが急に産気づいて入院した。めでたく長男誕生と相成ったわけだが、翌日から新学期が始まることになっていた私はうちの実家のじいさんばあさんに長女を預けてそこから仕事に通うことにした。それで実家の奥の間に敷かれた布団で寝る前に「明日はパパは仕事に行くけど、まどちゃんはおじいちゃんやおばあちゃんとおるんやで」と言っておいた。そのとき娘はこれといった反応は示さず、聞き流した風にも思えた。
 だがその翌日、早朝に寝床を抜け出して出勤しようとしたときに、隣に寝ていた娘が私の気配に気づいたのか、ふと薄目を開けてこちらを見た。さてどうするかと見ていると、こちらの心配を見すかしたように「行って来ていいよ。」とつぶやくと、また眼を閉じたのだった。


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