蔵王越え(山形蔵王〜宮城蔵王)

 恒例の年末登山に、東北旅行を兼ねてカミさんが一部同行することになった。車の有効利用で往路の旅費を浮かそうということだったのだが、一人あたりの交通費負担額が減るというのはパートナーにとっても有益なことだったに違いない。それにこの蔵王登山ではカミさんに車の回送という大仕事をしてもらったが、実際彼女なしでは出来ない登山だった。今からふり返ると宮城側で落ち合うことは大変な冒険だったが、うまくいったのは運が良かったのだろう。カミさんに感謝。


日時  平成6年12月26日(月)

行先  蔵王越え(山形蔵王〜宮城蔵王)

日程と記録

 前日昼頃、蔵王温泉に到着するが、徹夜の運転でみんな疲れており、天候が良くないうえに登山の時間的余裕もなかったため、山寺(立石寺)の観光をして、浅沼蕎麦という蕎麦屋で蕎麦を食った。ここの人たちはみんな心暖かく、奥の炬燵に入れてもらって1時間あまり話し込んだのがいい思い出になっている。そのあとスキー場に戻って、駐車場近くのレストランで夕食をとって蔵王温泉に入浴し、駐車場付近にテントを張っていた。

 今日はいい天気だ。発達途中のモンスターが白く輝く蔵王スキー場でカミさんと一緒に数本滑ったあと、10時頃、蔵王山頂駅でスキーにシールを装着し、カミさんと分かれて、パートナーと地蔵山に向けて登行を開始する。カミさんにはトランシーバーと車のキーが預けてあり、我々が地蔵山頂付近に到着したら交信して、車を下山口まで回送してくれる手はずになっていた。しかし詳細については、トランシーバーを過信していたため、登山中もしくは向こうに到着後でいいだろうくらいに思って、どこで落ち合うかさえろくに打ち合わせずに出発してしまったのだった。だが、たちまちこれが大失敗だったことに気が付くのである。

 地蔵山には案外早く到着した。頂上の鉄塔付近から電波を出してみるが、ゲレンデからはそんなに離れていないはずなのに、何の反応もない。もしトランシーバー本体のトラブルでこのまま連絡が取れなければ、宮城側で落ち合うことが絶望的になり、年末登山の予定が台無しになる。車なしでどうやって今後の行動をするべきか。また逆に、運転に不慣れなカミさんの方は雪国で車というお荷物を抱えて路頭に迷うことだろう。僕達の気持ちには暗雲がたれ込めてきた。

 熊野岳までルート上に長い竹竿が一定間隔で並べてあり、今日のようなクリアな晴天では迷いようもない。3月頃になればこれらの竿もかなりの部分積雪に埋もれてしまうのだろうか。シール歩行を再開する。雪はクラスト気味でスキーが硬質の音を立てる。

 熊野岳のだだっ広い頂にはお社があり、びっしりとエビノシッポが付いている。その陰で休憩をして、電波を出してみるが応答はない。軽くトラバース気味にひと滑り。蔵王の象徴であるお釜の縁に降り立つ。馬の背と呼ばれるその縁をたどり先を急ぐ。

 少し下って登り返し、12時30分、刈田岳の山頂に到着。ここにも立派なお社がある。そして眼前に白いお釜が見下ろせる絶好のビューポイントだ。ここで一休み。トランシーバーでの交信を試みるが、やはりだめだ。

 

 12時50分頃、シールを外し滑降を開始するが、宮城側へのルートは狭く、積雪は薄めで、しかもクラストしていて滑りにくい。斜滑降と横滑りを交えつつ滑る。

  

 樹林帯に入ると雪も柔らかくなったが、傾斜の方も緩くなり、有名なクラシックルートのわりに、あまり大滑降の要素は多くないように感じられた。コース中には林道らしき部分もある。そのうちに澄川スキー場の上部に出て、快適な斜面を滑降する。スキー場開発がされない昔は蔵王温泉からの登りや、この斜面の気持ちの良い滑降も含めて登山活動だったのだろうが・・・。

 たちまちゲレンデ下に到着し、スキーを付けた重いザックを担いで林道へと歩き出した。僕は峨々温泉に入浴しながらカミさんを待つのもいいなと思っていたが、それがどこにあるのかもよく下調べをしておらず、あらためて地図で確認すると6kmくらい離れていることがわかった。またここにはバスも通っていない。仕方がないので、ともかく峨々温泉に向かって林道を下りながら、カミさんと連絡を取れるように交信を試みるより仕方がないだろうということになった。

 

 4kmくらい歩いたろうか。パートナーが試みに電波を出してみると、思いがけず応答が聞こえた。カミさんの声だ!それは奇跡に近いことのように思えて心は躍り上がった。カミさんは今高速道路を走っているらしい。我々を迎えにこちらへやってきているのだ。

 裾野の広い蔵王では、かえってお互いに離れていることで、途中に電波の障害物もなく受信状態がいいのだろう。近距離であったはずの地蔵岳とゲレンデで通じなかったことが嘘のようだ。僕たちは現在地を伝え、ここまでの道のりをアドバイスする。それから常時連絡を取り合うことにした。

 蔵王エコーラインのゲートを越えたところでカミさんを待った。しかし交信の内容から、どうやらカミさんは道を間違って一つ北側の道を上がって青根温泉に向かっていることがわかった。ルートの修正をうながすが、あたりは雪道で運転も並大抵のことではないだろう。

 1時間後、いろいろ気をもんだが、見慣れた車がやってきた。フロントガラスを通してカミさんの顔が見えた。どうやら事故にも遭っていないようだ。お互い笑顔を交わすが、それは無事に再会出来た歓びと苦笑いが微妙に混ざったものだった。

 峨峨温泉に行ってみたが、外来客の時間を過ぎていたため、入浴することは出来なかった。

 松島に旅するというカミさんを仙台に送り、ホヤの置いてある飯屋で一緒に夕食をとって分かれた。我々は西吾妻に登るべく、さらに天元台スキー場へ移動をしたのだった。


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